若かりし頃・・

美大をめざして、石膏デッサンをやっていたことがあります。


絵の秘密としてのバルールをなんとか理解できました。


隣り合う色面同士が影響しあいます。


強い色の隣に弱い色がくるとお互いに強調しあいハレーションを起こしてしまい、面の連続が表現できません。


お互いをトーンダウンして調整することによって面の連なりが表現できます。
たしかこれをバルールがあっていると表現していたように思います。


また、絵が絵としての世界を構成するためには、図と地の関係が大事であることも学びました。


つまり主題をはっきりさせることです。


主題が図であり、その背景が地となります。


これはまさにゲシュタルトです。


主題と背景に境界を設けることです。


それによって認識が生まれます。


あなたが主題になるときには私は脇役になります。
私が主題の時にはあなたには脇役になってもらいます。


こうして、交互に順番に主題を入れ替えることによって、認識しているのです。


文には主語があります。
主語を入れ替えることによって、長い物語になります。


ゲシュタルト崩壊という病気があります。


自我の崩壊といっていいかもしれません。


自他の境界、いろんなものの境界がわからなくなってしまいます。


物事を認識するにはゲシュタルトの能力が必要です。
図と地を区別する境界を引く能力です。


空想であれ、悟りであれ、覚醒であれ・・
そこに認識が存在する限り、言葉を使っており、ゲシュタルトを使っています。


スピリチュアルや宗教は強く信じさえすればそれなりに力はあります。
それはそれらの教祖さまが存在していることからもわかります。


どんなものであれ、熱意をもって信じている人には動かされる人がたくさんいます。
それは、それが心理だということではなく、だだ熱意に動かされているのです。


ツールとしての役割を十分に果たしているわけです;


道具は利用するもの、振回されるものではないと思います。