ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は一つ宗教郡として『砂漠の一神教』とか『アブラハムの宗教』とか呼ばれ、それぞれ兄弟のような宗教です。

一神教は知性の発達とともに『発明』されたか、元々存在しているものに『気づいた
』かのどちらかでしょう。


ともあれ、抽象的思考が出来るようになって始めて可能なことです。


とにかく、この宇宙に統一的に働いている力があることに気づいたと言うことです。
または、そうとしか考えられないということです。


ユダヤ教、キリスト教、イスラム教それぞれに、神様の呼び名が違っていますが、同じ存在を表しています。


畏れ多くて、神様の名前は口にできないということでしょう。

そして、それぞれ、いろんな意味を持つ言葉によって表しているわけです。

例えば『大いなる存在』とか何でもよいわけです。



元々は同じ教義だったものが失われ、それぞれの宗教で権力などの影響を受けてことなる解釈が生まれてきたのでしょう。


仏教もある意味一神教とも言えるのではないでしょうか。
なぜなら、神様が何人もいてはおかしいからです。

仏教では、ニューエイジ思想がパクったようにワンネス的な大いなる存在の解釈です。

私たち個人個人の中にも神聖や仏性があり、宇宙すべてをひっくるめて一つの存在として捉えているのが仏教の思想のような気がします。


とにかく西洋の神は支配するもの、権力を持っているもののイメージです。


宗教が権力指向を持ってお互いに戦争をしているのは、そのへんに原因があるのかもしれません。


イエスの説いた教義はユダヤ教でもなくキリスト今日でもなく、イスラム教でもなく、どちらかというと仏教の考えに近いものだったような気がします。

つまり、イエスは利用されただけです。


それでも、イエスの教えは何らかのかたちで、いろんな宗教の中で伝えられ、
今日の世界に影響を与えています。

奴隷制が解体してきたのもそのひとつでしょう。
ヒューマニティーの思想が発達したのもそれでしょう。

しかし、まだまだ、世界には戦争が存在します。
世界政府を作ろうとしたり、他の国を植民地化しようと企んでいる国もあります。


世界はまだまだ、油断できません。
理想は大切ですが、綺麗ごとばかり言っていては危険です。

世界平和は、まず自国を守る力をつけてからではないでしょうか。