今あなたは何をしていますか?
当然パソコンの前でこの記事を読んでいると思います。
ところで今どんな気持ちで読んでいますか?
多分、今の瞬間においては、危険のない安全な場所で、パソコンを覗いていると思います。
もし、危険のある状況でしたら、そんなことしていられませんからね。
あなたの周りに、あなたを脅かす人は誰もいないので本当は自由な気持ちなのではないでしょうか。
でも、あなたは問題を抱えていて、それを解決しなければならないと思っているかもしれません。
今この瞬間に、自分で問題を提起して、思考によって問題を解決しようとしているかもしれません。
でも、問題が目の前にない今のこの瞬間は、なにも解決できないのが普通です。
過去に起こった出来事を思い出して、思考の中で思い悩んでいる状態です。
潜在意識には今起こっていることと、過去に起こってすでにデータになっていることとの区別はすきません。
ですから、「どうしよう」という焦燥感に襲われるのは普通だと思います。
私なども、明日にならなければ、何の手立ても打てないと、わかっていても、気になり、なかなか眠りにつけないこともしばしばありました。
頭では、わかっていても、潜在意識の次元では理解できていないからです。
今の瞬間に起こっていることと、過去に起こったことの記憶としてのデータの区別が、顕在意識、潜在意識の両面ではっきり自覚できることが覚醒であり、悟りだと思います。
「悟り」こそ東洋哲学の合理思想であり、正しい思考法のような気がします。
今この瞬間にできるここと、できないことを識別して、余計な思考はしない。
ものごとには、努力すればできることもあれば、努力しても絶対に不可能なことがあるので、それも識別して、できないことはあきらめる。
そうすれば、エネルギーのロスを防ぐことができ、自分の成し遂げたいことにエネルギーを集中することができます合理的です。
成功哲学の言っているところは、エネルギーの集中と継続です。
情報の遮断はとても大切なことです。
必要なこと以外の情報は遮断すべきです。
今、この瞬間に起こっていること以外の情報を遮断することも大切です。
過去、自分の中に蓄積された情報を遮断し、今起こっていることからの情報に集中してみることで、新しい気づきが生まれるかもしれません。
すでにレッテルを貼られた物事や言葉をいくら頭の中で思考をめぐらせても新しいものは生まれてきませんし、見えてきません。
今、この瞬間に実際に起こっていることを感じ、観察して、過去のデータが介在してこないようにして、裸の目で物事をみることができたら、すべてが新鮮に見えてくることでしょう。
今の瞬間、生で受け取っている情報と過去のデータでしかない今この瞬間には実際には存在していない情報を切り離して感じることができれば、それはとても合理的な知覚であり、知覚が覚醒した状態ではないでしょうか。
思考は過去のデータを使ってなされます。
思考が先走っては、今起こっていることの情報を得ることができません。
その意味で、まず思考を停止する瞑想も必要かもしれません。
じっくりと、今起こっている現実を味わってデータを取得したあとに思考するべきでしょう。
思考のための思考、抽象的になりすぎた思考には注意したいものです。
スピリチュアルを勉強して現実から遊離した思考をするようになってしまった人たちが気になります。
神も平和も、宇宙も次元も、ワンネスもすべて、抽象語であり、その言葉と具体的に対応する物事がありません。観念上に存在するだけのものです。
抽象観念はそれなりに便利なものです。
抽象観念にはそれぞれ、言葉が対応しており、言葉自体は私たちが創造したコミュニケーションの道具です。
自分たちの作った機械や道具の奴隷にならないためにも、今の瞬間に起こっていることと、終わってしまっている過去の情報であるデータを、切り離して考える視点を持つべきだとおもうのですが、どうでしょうか?
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当然パソコンの前でこの記事を読んでいると思います。
ところで今どんな気持ちで読んでいますか?
多分、今の瞬間においては、危険のない安全な場所で、パソコンを覗いていると思います。
もし、危険のある状況でしたら、そんなことしていられませんからね。
あなたの周りに、あなたを脅かす人は誰もいないので本当は自由な気持ちなのではないでしょうか。
でも、あなたは問題を抱えていて、それを解決しなければならないと思っているかもしれません。
今この瞬間に、自分で問題を提起して、思考によって問題を解決しようとしているかもしれません。
でも、問題が目の前にない今のこの瞬間は、なにも解決できないのが普通です。
過去に起こった出来事を思い出して、思考の中で思い悩んでいる状態です。
潜在意識には今起こっていることと、過去に起こってすでにデータになっていることとの区別はすきません。
ですから、「どうしよう」という焦燥感に襲われるのは普通だと思います。
私なども、明日にならなければ、何の手立ても打てないと、わかっていても、気になり、なかなか眠りにつけないこともしばしばありました。
頭では、わかっていても、潜在意識の次元では理解できていないからです。
今の瞬間に起こっていることと、過去に起こったことの記憶としてのデータの区別が、顕在意識、潜在意識の両面ではっきり自覚できることが覚醒であり、悟りだと思います。
「悟り」こそ東洋哲学の合理思想であり、正しい思考法のような気がします。
今この瞬間にできるここと、できないことを識別して、余計な思考はしない。
ものごとには、努力すればできることもあれば、努力しても絶対に不可能なことがあるので、それも識別して、できないことはあきらめる。
そうすれば、エネルギーのロスを防ぐことができ、自分の成し遂げたいことにエネルギーを集中することができます合理的です。
成功哲学の言っているところは、エネルギーの集中と継続です。
情報の遮断はとても大切なことです。
必要なこと以外の情報は遮断すべきです。
今、この瞬間に起こっていること以外の情報を遮断することも大切です。
過去、自分の中に蓄積された情報を遮断し、今起こっていることからの情報に集中してみることで、新しい気づきが生まれるかもしれません。
すでにレッテルを貼られた物事や言葉をいくら頭の中で思考をめぐらせても新しいものは生まれてきませんし、見えてきません。
今、この瞬間に実際に起こっていることを感じ、観察して、過去のデータが介在してこないようにして、裸の目で物事をみることができたら、すべてが新鮮に見えてくることでしょう。
今の瞬間、生で受け取っている情報と過去のデータでしかない今この瞬間には実際には存在していない情報を切り離して感じることができれば、それはとても合理的な知覚であり、知覚が覚醒した状態ではないでしょうか。
思考は過去のデータを使ってなされます。
思考が先走っては、今起こっていることの情報を得ることができません。
その意味で、まず思考を停止する瞑想も必要かもしれません。
じっくりと、今起こっている現実を味わってデータを取得したあとに思考するべきでしょう。
思考のための思考、抽象的になりすぎた思考には注意したいものです。
スピリチュアルを勉強して現実から遊離した思考をするようになってしまった人たちが気になります。
神も平和も、宇宙も次元も、ワンネスもすべて、抽象語であり、その言葉と具体的に対応する物事がありません。観念上に存在するだけのものです。
抽象観念はそれなりに便利なものです。
抽象観念にはそれぞれ、言葉が対応しており、言葉自体は私たちが創造したコミュニケーションの道具です。
自分たちの作った機械や道具の奴隷にならないためにも、今の瞬間に起こっていることと、終わってしまっている過去の情報であるデータを、切り離して考える視点を持つべきだとおもうのですが、どうでしょうか?
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