こころと身体

スピリチュアルな存在と物質

これはどうしても別々のものとは考えられないのですが、あなたはどう思いますか?


すべての物はエネルギーを持って存在しています。

エネルギーは波の性質と粒子の性質を持っています。

私たちの五感が粒子の性質を感じたとき、私たちはそこに物を感じます。

それ以外のものは目に見えないものとしてスピリチュアルな存在となります。


私たちの視覚がもし赤外線も見えてしまったら、ある意味不便になります。
この世界も、こんなに美しいものとは感じられないでしょう。


受け止めるエネルギー情報を制限して、世界を見ているというか、構築して、それを感じているわけです。


光がそうであるように、すべてのものが波と粒子の性質をもっているのではないでしょうか。

ただ五感というフィルターを通して感じたものだけが物質的存在と感じられているだけ・・・


だから、スピリチュアルなものが独立して存在しているのではなく、感覚器官というフィルターを通り抜けてしまう素粒子よりも極微な存在は、物質の性質を持っていたとしても、物としての性質を全然感じることができないということではないでしょうか?


ですから、本当は全てのものが波動と物質としての性質をもった存在ではないかと思うわけです。

セロトニンやドーパミンという脳内物質の存在によって、心のあり方が変わってしまうというのは現代では常識になっています。

瞑想などによって、脳内のそういったホルモンを操作することによって至福体験や神秘体験をするということです。

そしてそれは、見えない世界=物のない世界ということではなく、ただ五感では感じられないというだけで、そこには、心的要素と物的要素が同時に存在していると思うのです。

心などの波動エネルギーのあるところには、何らかの物質的エネルギーが存在している。


肉体を離れた意識や心などは存在しない。

心と身体の現象が同時に起こっているのが私たちだと思います。


目に見えないいくら極微な物質的存在でも、それが存在しないところには、いかなる法則も働き得ないと考えるのが自然ではないでしょうか?

心もなんらかの法則に従って働いているものと思われます。

物がそこになければ働き用のないのが法則です。


ニュートンが万有引力の法則を発見しました。
それ以前は誰もそのことに気づきませんでした。

スピリチュアルなことにニュートンが気づいたわけです。

りんごと地球が引っ張り合っていたわけです。

そこに目に見えない法則があったわけです。

りんごと地球という物が存在していて、そこにスピリチュアルな存在である万有引力の法則が働いているのです。

物を離れた、スピリチュアルな存在や意識は存在しません。


諸行無常もひとつの法則だとすると、変わらないものは存在しません。
つまり、個人的な意識と言えるような個別の魂は存在することは不可能で、いわば無我ということになります。

私たちはスピリチュアルな存在であって、同時に肉体的な存在です。

死んで還ってきた人は誰もいません。
命の情報と伝え続けない限り、人類も私たちも存在しません。

肉体という情報の塊も保存して継承してゆかない限り、心や魂や霊と言われているスピリチュアルな存在もありえないわけです。

ここまで進化してきた肉体がなけらば、スピリチュアルな存在なども語れません。

そして個は、一度だけの与えれれたチャンスです。
何億という祖先の血を受け継いで創造的に生きるチャンスです。

それを楽しむために生まれてきたのが人生です。


心を離れて身体はなく、身体を離れて心もありません。

スピリチュアルなものと物質的なものとは同じものの二つの側面です。


そして、五感という荒い目のフィルターではすり抜けてしまう物質的存在もあるということです。

それは、別に悪い子ではなく、その選択によって、私たちはこの世界を楽しめるのです。


夢ゆめ、観念の世界に生きるのだけはやめていただきたいなという思いで書いてきました。


あなたの身体を慈しんで労わってください。



急いで書いているので誤字とか、わかりにくい表現があるかもしれませんがご容赦ください。
あとで気がついたら直しておきます。




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