意識が異次元に存在していて、永遠に存在していると考えたい人たちがいます。

でも、私は身体のないところに意識は存在しないと思います。

身体こそが意識だと思います。

身体を通して受け継いできた情報によって、身体は複製され、複製するために情報を身体は持っているわけです。

身体の中には無数のデータが入っています。
データが形となって身体になっています。

身体という命は、環境からの刺激に対して反応します。反応するためのプログラムがデータを集積して作られており、それが心です。
心が働くとき、何らかの意識が生まれます。

意識は身体の反応の一部であって、独立して異次元に存在するものではありません。

身体と意識は同じものです。
身体が消滅すれば意識も消滅します。

身体はデータの塊です。
外部に残さない限り、あなたの身体とともにいつか消えてゆきます。

保存されたデータだけが、残ってゆきます。

もしあなたが、価値あるデータを持っていたら、それを残すべきです。

あなた自身の生きたという証を残すとしたら、遺伝子を残すだけでは十分ではないと思います。

遺伝子には祖先のデータの集積であり、あなたが生きた証とはならないからです。

もし、あなたが社会に貢献すれば、社会があなたのデータを保存して残すかもしれません。

あなた自身の永遠の命は存在しません。

あなたの死後、生きながらえるとしたら、あなたの生きて残したデータだけです。

エジソンやアインシュタインの身体は永遠に戻ってきませんが、彼らが残した功績は人類が存在する限り保存され続けるでしょう。

エジソンやアインシュタインの人となりのデータは彼らの死をもって確定しました。

でも、生きている私たちが何ものであるかは、まだ確定していません。

死んだ時に、私たちは、何ものだあったか確定するのです。

今、あなたがどんな状況にあろうと、生きている限り、どんな自分にでもなれる可能性を持っています。

生きている限りとは、身体を持っている限りという意味です。

その身体をもっているから、あなたはあなたでいられるし、思考し、あなたの人生を創造してゆくことが出来るのです。

思考できるのは身体があるからです。
身体にそれだけの知恵が埋め込まれているので施行することが出来るのです。

思考は物質として脳の中に存在しています。

宇宙の中は物質に満たされていて、物質しかありません。

素粒子以下の極微物質の存在は証明できませんがあるかもしれません。

物質はエネルギーの塊だと考えると考えられますよね。

エネルギーとは何かを創りだす力であったり、変化させる力だったりします。

心が動くとき、素粒子よりも極微な物質がエネルギー変換をしていると考えてもおかしくないですよね。

とにかく、目に見えない小さなものの世界は例え話を通してしか話すことができません。

五次元に意識が存在しているといっても、それは寓話のひとつにすぎません。

かってに寓話を創り上げて真実のように語ることは、これまた誤謬です。

誤謬はキリストやブッダが排斥したものです。

真実があるとしたら、身体が存在しているから心があるということです。

間違った考えや、迷信に惑わされないで生きようというのが彼らの考えです。

シンプルに考えましょう。そして、生きていることを楽しみましょう。


もちろん、これも私の寓話です。


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