小さな子供をみると、つい心を奪われてしまいます。

いつも感心して見ています。

ほとんど何にも教わっていないのに、生きるすべを知っているという感じです。

もちろん、当の本人たちは気づいていないのでしょう。

すでにこの地球上で生きるための知恵は十分に持っているという感じです。

人類が長い間かけて獲得したその知恵は、遺伝子を通して継承され続けれているようです。

その知恵は本能と呼ばれていますが、データの集積されたものです。

ですから、意識で考えなくても、できてしまうことはたくさんあります。

逆に意識しすぎて、それを発揮できない場合が多いようです。


人類は遺伝子レベルの他に、ワールドワイドな社会の中でも、いろいろな情報を蓄積してきました。

個人レベルは、全て知ることは不可能な量です。


教育などによって、その一部を個人の身体の中の記憶装置に蓄えてゆくのですが、これが本能として蓄えたデータと調和しないこともあります。


私たちの身体も蓄えられたデータによって処理されています。
データの蓄積によってこの身体が作られていると考えることもできます。


身体的なデータ処理は身体にまかせておくのが一番のようです。


人間には社会生活がありますから、そのデータも個人レベルで集積してゆくわけです。
そして、集積して処理することが思考です。


普通の思考は意識することができます。
データ処理していることを観察することができます。


しかし、本能として蓄積されたデータ処理は、自動的であり、意識することができません。


いわゆる、潜在意識は本能に蓄積されたデータ処理であり、その無意識の思考のことです。


ある意味で、私たちの潜在意識の中には人類史に匹敵する莫大な情報が入っていることになります。

無いものは、出てきませんから、インスピレーションは、その中から意識の世界に流出したデータです。


私たちは情報の塊であり、それを処理して命を継続させようとする存在です。


情報を処理できるものが生命であり、生命は情報の塊です。


情報を処理しながら成長進化してゆくのが生命です。


その見えないエネルギーは肉体化することによって物質化し、物質化することによって、情報を記録し処理する装置となることができ、情報を処理して成長進化することが出来るのです。


私たちは情報(心)の塊であり、それが物質化した身体です。


心と身体は同じものです。


心はあるときは心のままで、あるときは物質化します。


目に見えない世界と、見に見える世界に境界はありません。


特別に目に見えない世界をスピリチュアルとと言って、取り上げるまでもないような気がします。


人気ブログランキング訪問者にシェアする