目がなければ物が見えません。
耳がなければ音が聞こえません。
いつも藪から棒に始まってすみません。
感覚器官はアンテナのようなものです。
受信機がなければ、目の前に情報があっても受け取ることができません。
何かに興味を持つと、潜在意識がアンテナを張るので、今まで気づかなかったものが気づくようになります。
何が言いたいかと言いますと、受信できないものは実際には何らかの形で存在していても、認知できないということです。
養老孟司氏は「バカの壁」という本の中で、そのことを指摘しています。
「話せばわかる」というのは嘘で、いくら話してもお互い伝わらないことがあるということです。
わかった気になるのはそこに何らかの誤解が生じたからでしょう。
もちろん、分かり合えることもたくさんあります。
「共通了解」できることも、たくさんあるから世の中は何とかうまくいっているわけです。
しかし、どうしても見えないものがある。
現実として見えてこない、別の現実も存在しているということを「バカの壁」の中で、養老氏はいっています。
まさにどんな人でも「バカの壁」あり、「共通了解」できない部分が存在しているということを頭に入れておく必要があると言っています。
理想は少しづつでも、いろんなものに興味をもつようにして、「バカの壁」を超えて「共通了解」の世界を広げてゆくことが人類の目指しているものなのでしょう。
世界は未だにそこのところを理解せず、戦争を繰りかえしています。
私たちが見ている現実は、私たちの意識が作り出している現実です。
そして、人それぞれ見ている現実は違います。
それは人それぞれ考えていることが違うからです。
その人独自の思考が現実化して見えているのだと思います。
思考をもっと柔軟にしてゆくようにすれば、「共通了解」の世界も広がってゆき、人々が幸せにに暮らせるようになってゆくのではないでしょうか。
考えるということは世界に向かってアンテナを張り出してゆくことになるのではないでしょうか。
アンテナを張ることによって見える世界が変わってきて、それに反応する自分の体験や感情が変わってきます。
現実は思考を変えることによって、変えてゆくことができるということです。
養老孟司さんが違う角度からそんなことを言っているような気がしました。
「バカの壁」にはもっといろいろ面白いことが書いてあります。
ぜひ読んでみてください。
【送料無料】バカの壁 [ 養老孟司 ]
耳がなければ音が聞こえません。
いつも藪から棒に始まってすみません。
感覚器官はアンテナのようなものです。
受信機がなければ、目の前に情報があっても受け取ることができません。
何かに興味を持つと、潜在意識がアンテナを張るので、今まで気づかなかったものが気づくようになります。
何が言いたいかと言いますと、受信できないものは実際には何らかの形で存在していても、認知できないということです。
養老孟司氏は「バカの壁」という本の中で、そのことを指摘しています。
「話せばわかる」というのは嘘で、いくら話してもお互い伝わらないことがあるということです。
わかった気になるのはそこに何らかの誤解が生じたからでしょう。
もちろん、分かり合えることもたくさんあります。
「共通了解」できることも、たくさんあるから世の中は何とかうまくいっているわけです。
しかし、どうしても見えないものがある。
現実として見えてこない、別の現実も存在しているということを「バカの壁」の中で、養老氏はいっています。
まさにどんな人でも「バカの壁」あり、「共通了解」できない部分が存在しているということを頭に入れておく必要があると言っています。
理想は少しづつでも、いろんなものに興味をもつようにして、「バカの壁」を超えて「共通了解」の世界を広げてゆくことが人類の目指しているものなのでしょう。
世界は未だにそこのところを理解せず、戦争を繰りかえしています。
私たちが見ている現実は、私たちの意識が作り出している現実です。
そして、人それぞれ見ている現実は違います。
それは人それぞれ考えていることが違うからです。
その人独自の思考が現実化して見えているのだと思います。
思考をもっと柔軟にしてゆくようにすれば、「共通了解」の世界も広がってゆき、人々が幸せにに暮らせるようになってゆくのではないでしょうか。
考えるということは世界に向かってアンテナを張り出してゆくことになるのではないでしょうか。
アンテナを張ることによって見える世界が変わってきて、それに反応する自分の体験や感情が変わってきます。
現実は思考を変えることによって、変えてゆくことができるということです。
養老孟司さんが違う角度からそんなことを言っているような気がしました。
「バカの壁」にはもっといろいろ面白いことが書いてあります。
ぜひ読んでみてください。
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