生まれたばかりの赤ちゃんの自由意思を問うかたがおりました。

赤ちゃんに自由意思はありません。

本能的に反射的に生きています。
というより、自分の力で生きることができません。

誰かが赤ちゃんの面倒を見ます。


つまり育てられるわけです。
ですから自由意思などあるわけがありません。


育てられ、教育される過程で言葉を覚え、自我に目覚めてきます。

そして自我の発達が始まります。

それまでは自分という意識がありません。
本能の働きによって反射的に生きてきたわけです。

そこまでの過程においても、本能的反射の他に新しく条件反射が組み込まれて来ています。

自我に目覚める前は本能的に習慣的に生きる事ができました。

しかし、教育を受けいろんな知識を身に付けてしまうと、それができなくなってきます。

いろいろと悩みが始まります。
つまり選択肢が増えてきて自分で何らかの決断をしなければならない状況が増えてきます。

創造的と言えば創造的、自由と言えば自由です。
もちろん拘束の中での選択の自由ですが・・

わたしたちはそういう意味で自由です。

現実はすでにあるのですから、もとから作り替えることはできません。

現状からどうするかが自由です。

形而上学の自由を求めても何の意味もありません。

現状維持のまま惰性で生きることも自由です。
現状に満足せず、自分を変えてゆくことも自由です。

今の自分がどんな状況であれ、潜在意識は今のままの自分が大好きです。

いままで一生懸命積み上げてきた考え方が好きです。

その考え方が現状を作り出してきています。


その考え方の中には自分が無意識で生きていた時代に、外から植え付けれれた考え方もあります。

条件反射でそう考えるのが当たり前になっている考え方があります。
条件反射で無意識ですから、自分がそう考えていることも意識せずに考えています。

それらの考え方の中には今の自分の現状に合っていない考え方もあります。

現状を改善したいと思えば、それらの無意識下の信念化した考え方を変えてゆく必要があります。

潜在意識に新しい考え方を意識の力によって植え付けて行く必要があります。

何ども何ども潜在意識に働きかけて言って説得します。

潜在意識が説得に応じたとき新しい信念が生まれ、その信念が現実化し始めます。


人生は一瞬一瞬選択の連続です。
それは意識と潜在意識の両方で初めて選択されます。

いくら勉強を続けようと思っても身体が疲れていれば効率も悪く、潜在意識の領域の整理的作用が優先されます。

それも選択であると考えると死でさえも私たちの最終選択であるという考え方もあります。


私たちは常に選択を迫られて選択しています。
意識が強く関われば悩むこともあるでしょう。

習慣的に行なっていることでさえも選択されていることになります。

私たちに選択の自由がある以上、結果はすべて私たちの責任です。

睡眠不足も空腹も遊びたい誘惑もちょっとなら我慢してよりよい状況を作るためにやるべきことを優先することもできます。

潜在意識がネガティブな感情を浮上させてきたときも、こころを切り替えて対処することもできます。

条件反射的、あるいは習慣的に起こってきた感情に対して「ノー」と言って、夢を叶えるための作業に時間を回す自由もあります。

自我はわがままという印象があるかもしれませんが、このより良いものを選択してゆく意思も自我の働きです。

自我は初めからあったものではなく、人間社会という環境の中で目覚め育ってきたものです。

自我は悪いものではなく、健全に発達すれば最終的にはスピリチュアルなものに成長するはずです。

自分の意思の力を信じて夢に向かって行きましょう。
どんな困難があっても夢を叶えましょう。


私たちが心から決めたことに潜在意識は従います。
なぜなら私たちの自由意思は潜在意識の主人だからです。・

でも、潜在意識に対して、いままで長い間、許可を与えてきたことをやめさせるわけですから、覚悟と粘り強い説得が必要になります。

ゾウさんの記事も読んでくださいね。
繰り返し繰り返しが説得ですからね・・・・