心が傷ついていたら、赦す意外に方法はありません。
赦すということは忘れることでも、なかったことにすることでもありません。
ちゃんとその原因を見極める必要があります。
犯罪被害者たちが犯人を許せないと思う気持ちは誰にでも理解できるでしょう。
しかし、憎しみを手放して許さない限り、その苦しみから逃れることができません。
かといって、赦しとは忘れることではありません。
その罪をなかったことにするのではありません。
法的な裁きは裁きとして受けてもらいます。
なぜ、どうして私たちに、こんな事件が起きたのかという理由をを知りたいと犯罪被害者の人たちは思うのでしょう。
赦しの過程において、真実を確認することが必要だということを本能的に分かっているのではないでしょうか。
赦しとは別に和解ではありません。
真実を理解してゆるしたからといって、仲良くしましょうということではありません。
赦しとは心の傷を直す行為であって、赦す相手との関係は問題ではありません。
犯罪者ではなくても、許せないと思う人はいると思います。
傷つけあってしまった友人など・・・
心の傷がある以上、許さなければなりません。
許しは別に仲直りではないので、赦しのあとに付き合ってゆくか行かないかは事情によります。
一番大切なことは心が癒されることです。
自分が受けた傷について、傷つけた当事者に今の感情を素直に伝えましょう。
もしかしたら、誤解であることが分かるかもしれません。
もしかして、自分が心を開いたことで相手も心を開いてくれるかもしれません。
そして真実がわかり、お互いが癒されるかもしれません。
相手も苦しんでいるかもわかりません。
とにかく、ゆるしとは忘れることでも問題から逃げることでもありません。
ニューエイジやスピリチュアルでワンネス理論などでごまかすことはまったく解決策になっていません。
一時しのぎにはなる思い込みのスキルだとは思いますが、それはごまかしや逃避を助長する考え方です。
まず自分自身をよく見つめること、自分の考え方の間違いや、捉え方の間違えがあったのかもしれません。
そして、相手のことは他人ですからよく話を効かない限り分かりません。
もし、いろいろ自分を見つめてどうしても原因が相手と思えるときには、それを相手にぶつけてゆくべきです。
相手のどういう行為で、自分がどんな感情になっているのかを伝えるべきです。
相手に自分をどうこう思わせようとしないで、苦しんでいるなら、苦しんでいる。怒っているならいかっている自分を見せることです。
今自分の心の中で起こっている感情のすべてを伝えてください。
そのように心を開いてぶつかってゆけば相手も心を開いてくれ分かち合いができるとおもいます。
本当は同じ人間ですからね。
聖職者たちでも赦しという行為が本当に難しいらしいです。
ジャン・モンブルケットさんという方が書いている「ゆるしのステップ」という本は、ステップを踏んでゆるしのために起こしてゆく行動が書いてあります。
ニューエイジやスピリチュアルな考えを超えていておすすめです。
楽天ブックスでは売れ切れのようです。他を探してみてください。