閑さや

岩にしみ入る

蝉の声


(しずけさや いわにしみいる せみのこえ)
松尾芭蕉の俳句ですね。


俳句や詩の世界はすごいですね。
この比喩だけで、ある情景や雰囲気を表し尽くしています。


言葉が少ないだけに共感できるという面があると思います。
行間は各人の想像力に任せてしまっているわけです。


ニューエイジや
スピリチュアリズムで使っている言葉もこれに似ています。

詩や俳句のように完結していて、
そこから論理が始まることがありません。

傷ついた心はそこに安らぎを求めます。


ニューエイジや
スピリチュアリズムで使っている言葉の中には
心を癒す薬としては素晴らしい表現がたくさんあります。

しかし効く薬にはそれだけ副作用があります。
どんなに良い薬でも飲み続けていてはいけません。

薬中毒になってはいけません。

現実世界に帰ってきて早くリハビリをする必要があります。


詩や俳句の世界もたまには良いでしょう。
薬にたよっているばかりでは、逆に治癒力が衰えてしまいます。
本来の生命力あふれる生き方ができなくなってしまいます。


スピリチュアルにはまって、仮想現実に生きているのは本当にもったいないです。
現実のほうが、心構えによってはどれほど面白いかわかりません。


人生は
当たり前のことですが、
生まれ、成長し、生きて、老いて、死を迎えます。

宇宙は始まりも終もなく永劫に続いていますが、私たち個には終わりがあります。

区切りがあるから美しいのです。
死は生のクライマックスであり、その人がどんな人であったかが確定します。


私は宇宙意識で永遠の命なのだと思い込んで生きることもできるかもしれません。
潜在意識は想像にも現実と同じように反応しますから、現実感は同じようにあります。


しかしそれはまったくの幻想です。

肉体がなくなれば意識もなくなるし、観察者でもなくなります。
永遠に続く意識や観察者がいるとしたら、
寝ているときに意識が中断する事実と矛盾します。


スピリチュアルやニューエイジの思想には心の薬になる言葉がたくさんあります。
しかし、それは薬であって、真実ではありません。


そこには、客観的な考え方がないからです。


真実とは実際に存在する事実のことです。

そして真理とは『理』という字がありますから、論理のことであり思考です。


どう解釈したら良いかというと・・・
もっとも模範になる考え方、あるいは思考パターンのことを真理と言います。


決して至高体験のような感覚的体験のことではありません。



スピリチュアルの考え方には論理的な批判精神がないのが特徴です。
スピリチュアルはまず思考を捨てることから始めるから当然といえば当然です。


そのために瞑想パフォーマンスを利用しています。


薬で心の傷を癒したら、そこが出発点です。

元の生活に戻ってゆくか・・・
思考を捨てたまま宗教の世界に入ってゆくか・・・

そして宗教は麻薬です。
薬も飲み続ければ中毒になり魔薬になります。

スピリチュアルの考え方は薬的に考えれば良いと思います。
少しでも回復したら、独自の考え方を探してゆくべきです。


私も一瞬はまりましたが、すぐに矛盾を感じるようになりました。
論理的思考ができる能力があれば当たり前のことです。


薬には副作用があるということです。

スピリチュアル・・・深入りは禁物です。