起こることはシナリオ通りに起こっていると言っている人たちがいます。

人生がシナリオ通りに進行しているのだとしたら生きている意味が無いと思いませんか?



『起こることが起こっている』と彼らが使う場合には、たぶん、すべて決まっていてシナリオ通りに起こっていると解釈しているのかもしれません。

そしてそれがすべて自分が書いたシナリオだと平気で言っています。

いつそのシナリオを書いたと言うのでしょう?
覚えていないけど書いているはずだという思考法なのでしょうか。

『起こることが起こっている』というのは、もともと仏陀が行った言葉です。

仏陀はまさか『起こることがシナリオ通りにおこっている』とは言っていないと思います。

たしか、仏陀は『縁起』と言ってっていると思います。

『縁』とは『出会うこと』です。

人や出来事や刺激と出会うことです。

縁に触れて次のことが起こります。
出会いによって次のことが起こるわけです。
一瞬の選択の違いによって出会わないということもあるわけです。

人間ばかりでなく命には自由があります。
判断し選択する自由があるのです。

選択の自由によって、出会いや次に起こることは変化してきます。
そして一度選択したことは変えることができません。
過去に起こった事実は変えることができません。

変えることができないとは、責任が生じることです。覆水盆に返らずです。
自由と責任はそのように一つのものです。
選ばないことも一つの選択です。

普通私たちが過去と考えているのは過去に起こった事実の解釈です。
事実は変えられませんが、解釈や捉え方は変えることができます。

過去は存在せず『今ここ』に統合されているのですから、当たり前と言えば当たり前です。



とにかく、出会いによって事が起こってきます。

私たち人間の進化の過程でいろんな選択を迫られたと思います。

その選択によって、次に出会う世界が違ってきます。

同じ環境から生まれたとしても、何を選択するかで次の出会いが変わってきて、それに対応することによって、生命体のあり方が変わってきます。

地球上の数え切れない生命体の種の数を考えるとそれが理解できると思います。
宇宙は永劫に存在するのですから、そのシナリオを書くこと自体不可能であり意味がないと思いませんか。確かシナリオとは一つの物語ですよね。
物語には始まりがあって終わりがあります。

宇宙には始まりもなく終りもありません。

宇宙は永劫に存在していて、星が生まれては消えてを繰り返しています。

地球という惑星が生まれ、命の海のスープの中から原初の生命体が生まれ、それぞれの出会いを繰り返しによって、この豊かな地球になってきたのだと思います。

宇宙に存在する命というエネルギーがどんな惑星と出会うかによって、その姿形は変わってくるでしょう。

地球との出会いの後でも、出会う環境の違いによって、様々な種へと進化しました。




命が生きることによってドラマが生まれます。
それを参考に真似て作るストーリーがシナリオです。

エンターテイメントには良いでしょうが、人生は筋書きのないドラマです。

生きて選択して初めてドラマとなるのです。

宇宙の目的もそれでしょう。

スピリチュアルリーダーたちこそ、それに目覚めるべきです。

エンターテイメントとしてのビジネスと自覚しているのであれば別ですが・・・