現実を幻といって見つめようとしなくなっている人々が増えているような気がします。
スピリチュアルブームの影響でしょうか?
観念に囚われて抜け出せなくなっている人々です。
真実は私たちの一人一人は生身の身体です。
この身体の中には脳があって、その脳の中に潜在意識と意識が組み込まれています。
たとえ、意識が身体を無視したとしても、潜在意識が身体を支えています。
潜在意識が身体を意識外で保持してくれているので、意識がかってなことを考えることができるのです。
あなたは永遠の存在でもないし、その意識も肉体と共に滅びます。
永遠に存在するのは宇宙という場だけです。
その場があなただというなら、あなたは永遠の存在です。
あなたが、いくら幽体離脱したかのように、あなた自身を客観的に観察できたからといって、その観察している意識は永遠のものではありません。
その意識は、あなたの身体の上で起こっている現象です。場所を限定すれば脳の中で起こっています。
五次元とかにあなたの意識が存在していて観察しているわけではありません。
もしそうなら、あなたの意識は三次元の肉体に関係なくいつでも存在しているはずです。
なぜ、あなたが眠っているときに意識がないのですか?
肉体や脳が休んでいるときには意識も働いていないだけです。意識は肉体に起こっている現象です。
そして抽象的な概念は脳が作り出しています。
潜在意識や意識は脳の働きであり機能です。
抽象観念は真実ではありません。
肉体のように実在ではないからです。
純粋な三角形という図形は存在しません。
何かでそれを作ったとしても素粒子次元でバラつきがでてきます。
しかし、観念上は存在します。
それは脳が抽象化して作り上げたものです。
抽象化されたものを利用したり扱ったりすると便利なことがたくさんあります。
しかし、どんなことにもメリットとデメリットがあります。
デメリットはそれをツールとして以外に使い始めたときに起こります。
抽象化された概念はツールです。心理ではありません。
目の前に、起こっているのが真実です。
しかし、真実それ自体には意味はありません。
起こることが起こっているだけです。
それに意味付けしているのは人間の意識です。
言葉というツールを使って意味づけしています。
ツールは利用するものです。
言葉はツールです。
悪用すればマインドコントロールの道具に使えます。
存在しないものを、在るかのように見せます。
潜在意識は想像と現実に起きていることの区別がつかないので、受け入れてしまいます。
あなたの思考は、真実を知ることができません。
思考は道具として使えるだけです。
思考は言葉という道具を使用するからです。
道具は道具以外のもののために使うものです。
善も悪も、真理も、空も、自我も真我もすべて言葉であり、抽象概念に過ぎません。
起きていることに意味を与えて何かに利用するためのものです。
もちろん、自分で自分を苦しめてしまうことにも使えます。そういう信念を植え付けられている事も多いと思います。
言葉は言葉で、思考は思考で良いところもあります。私たちが享受している文化があるとすれば、それです。
思考を中断して自分自身の身体にフォーカスして、自分の身体が『今ここ』に存在することを確認することが瞑想です。
瞑想で抽象語で作り出した世界を真実だと思い込むことのために瞑想をするのではありません。
私たちは身体です。
身体現象が起こっていて、そこに意識が起こっているというのが真実です。
三次元以外に存在が存在できる場所はありません。
どんな道具を使っても映像化できない世界があるかもしれませんが、それも縦、横、長さがなければ存在とは言えません。
なぜ、本当は時間は存在しないと言うのかというと、縦、横、長さがないからです。
私たちは時間を空間や動きに還元して4次元と言う世界に住んでいます。
存在という意味で言えば3次元です。
今、この宇宙で一番小さな単位として考えれれているのが素粒子ですが、もし素粒子の中の世界を見ることができるとすれば、その中の世界も3次元ということができます。
しかし、その世界で起こっていることがあるとしたら、五次元で起こっていると言ってもいいかもしれません。
私たちの脳の究極単位も物理学の世界では素粒子です。その素粒子の中の世界で何か(例えば意識や思考)が起こっているとしたら、それは5次元で起こっていると言っても良いかもしれません。
なぜなら、どんな道具や技術を使っても映像化できない世界で起こっていることは、例えミクロの三次元で起こっていたとしても、それは異次元だからです。
しかし、ミクロ、マクロどちらの宇宙で何かが存在するためには縦横長さの空間が存在する必要があります。
それが必要のないものが単なる情報であり、抽象概念です。
抽象概念で言葉遊びをして、あたかもそれが心理であるかのように語っているのが現在ブームのスピリチュアルです。
本当のスピリチュアルは、現実を見つめて、そして受け入れ、徳を持って生きることです。
この三次元の現実を幻だといって逃避することはもったいないことです。
私たちは創造主によって与えれた肉体であり、身体であり、その中で起こっているのが私たちの心です。
つまり、心と身体は繋がっていて同じものです。
ゆえに、心だけが永遠に生き続けるという妄想は百害あって一利なしです。
永遠に存在するのは、創造主である宇宙という『場(空)』だけです。
私たちに必要なのは感情豊かに生きることです。
『悟り』も抽象概念であり存在しません。
それを求めても、存在しないものには永遠に到達しません。悟りと思ったその先に、またあるのが悟りです。

スピリチュアルブームの影響でしょうか?
観念に囚われて抜け出せなくなっている人々です。
真実は私たちの一人一人は生身の身体です。
この身体の中には脳があって、その脳の中に潜在意識と意識が組み込まれています。
たとえ、意識が身体を無視したとしても、潜在意識が身体を支えています。
潜在意識が身体を意識外で保持してくれているので、意識がかってなことを考えることができるのです。
あなたは永遠の存在でもないし、その意識も肉体と共に滅びます。
永遠に存在するのは宇宙という場だけです。
その場があなただというなら、あなたは永遠の存在です。
あなたが、いくら幽体離脱したかのように、あなた自身を客観的に観察できたからといって、その観察している意識は永遠のものではありません。
その意識は、あなたの身体の上で起こっている現象です。場所を限定すれば脳の中で起こっています。
五次元とかにあなたの意識が存在していて観察しているわけではありません。
もしそうなら、あなたの意識は三次元の肉体に関係なくいつでも存在しているはずです。
なぜ、あなたが眠っているときに意識がないのですか?
肉体や脳が休んでいるときには意識も働いていないだけです。意識は肉体に起こっている現象です。
そして抽象的な概念は脳が作り出しています。
潜在意識や意識は脳の働きであり機能です。
抽象観念は真実ではありません。
肉体のように実在ではないからです。
純粋な三角形という図形は存在しません。
何かでそれを作ったとしても素粒子次元でバラつきがでてきます。
しかし、観念上は存在します。
それは脳が抽象化して作り上げたものです。
抽象化されたものを利用したり扱ったりすると便利なことがたくさんあります。
しかし、どんなことにもメリットとデメリットがあります。
デメリットはそれをツールとして以外に使い始めたときに起こります。
抽象化された概念はツールです。心理ではありません。
目の前に、起こっているのが真実です。
しかし、真実それ自体には意味はありません。
起こることが起こっているだけです。
それに意味付けしているのは人間の意識です。
言葉というツールを使って意味づけしています。
ツールは利用するものです。
言葉はツールです。
悪用すればマインドコントロールの道具に使えます。
存在しないものを、在るかのように見せます。
潜在意識は想像と現実に起きていることの区別がつかないので、受け入れてしまいます。
あなたの思考は、真実を知ることができません。
思考は道具として使えるだけです。
思考は言葉という道具を使用するからです。
道具は道具以外のもののために使うものです。
善も悪も、真理も、空も、自我も真我もすべて言葉であり、抽象概念に過ぎません。
起きていることに意味を与えて何かに利用するためのものです。
もちろん、自分で自分を苦しめてしまうことにも使えます。そういう信念を植え付けられている事も多いと思います。
言葉は言葉で、思考は思考で良いところもあります。私たちが享受している文化があるとすれば、それです。
思考を中断して自分自身の身体にフォーカスして、自分の身体が『今ここ』に存在することを確認することが瞑想です。
瞑想で抽象語で作り出した世界を真実だと思い込むことのために瞑想をするのではありません。
私たちは身体です。
身体現象が起こっていて、そこに意識が起こっているというのが真実です。
三次元以外に存在が存在できる場所はありません。
どんな道具を使っても映像化できない世界があるかもしれませんが、それも縦、横、長さがなければ存在とは言えません。
なぜ、本当は時間は存在しないと言うのかというと、縦、横、長さがないからです。
私たちは時間を空間や動きに還元して4次元と言う世界に住んでいます。
存在という意味で言えば3次元です。
今、この宇宙で一番小さな単位として考えれれているのが素粒子ですが、もし素粒子の中の世界を見ることができるとすれば、その中の世界も3次元ということができます。
しかし、その世界で起こっていることがあるとしたら、五次元で起こっていると言ってもいいかもしれません。
私たちの脳の究極単位も物理学の世界では素粒子です。その素粒子の中の世界で何か(例えば意識や思考)が起こっているとしたら、それは5次元で起こっていると言っても良いかもしれません。
なぜなら、どんな道具や技術を使っても映像化できない世界で起こっていることは、例えミクロの三次元で起こっていたとしても、それは異次元だからです。
しかし、ミクロ、マクロどちらの宇宙で何かが存在するためには縦横長さの空間が存在する必要があります。
それが必要のないものが単なる情報であり、抽象概念です。
抽象概念で言葉遊びをして、あたかもそれが心理であるかのように語っているのが現在ブームのスピリチュアルです。
本当のスピリチュアルは、現実を見つめて、そして受け入れ、徳を持って生きることです。
この三次元の現実を幻だといって逃避することはもったいないことです。
私たちは創造主によって与えれた肉体であり、身体であり、その中で起こっているのが私たちの心です。
つまり、心と身体は繋がっていて同じものです。
ゆえに、心だけが永遠に生き続けるという妄想は百害あって一利なしです。
永遠に存在するのは、創造主である宇宙という『場(空)』だけです。
私たちに必要なのは感情豊かに生きることです。
『悟り』も抽象概念であり存在しません。
それを求めても、存在しないものには永遠に到達しません。悟りと思ったその先に、またあるのが悟りです。