『われわれはどこから来たのか われわれは何者か われわれはどこへ行くのか』

、フランスの画家ポール・ゴーギャンが1897年から1898年にかけてタヒチで描いた絵画のタイトルです。

自分の存在していない世界が存在していて、そこに自分がやってくる、そしていつか、その世界から自分は去ってゆき、その後に自分のいない世界が永遠に続いて行くという不思議・・・

この気持ちよくわかります。

こだわりたい気持ちはわかりますが、ただそれだけのことです。

『今ここ』という名前の宇宙があって、そこから生まれ、そこに帰ってゆくだけです。

生命は生まれ成長し、生きて、そして老化し『今ここ』に帰ってゆきます。

『今ここ』という名前の宇宙がなかったら、私たちも存在しません。

そうだとしたら、宇宙=私という考えも成り立ちます。

でも『私』とか『自分』という言葉は、本来そういう使い方をするのは間違っています。

『私』とか『自分』とかは自他を区別するために使う言葉だからです。

『自分』の境界を宇宙まで広げてワンネスにしてしまったら、論理的真実を逸脱してしまっています。

もちろん私たちは宇宙の働きによって生まれ死にます。

でも、『私』とか『自分』と言う言葉を使う限り、その境界をはっきりさせておかないと、真実を語れません。

私たちは肉体であり、肉体は心を持っています。

ですから身体=心と言うことはできます。

身体がなければ意識は起こりません。
潜在意識も遺伝子に書き込まれた、全人類の記憶でしょう。

意識は何もない虚空に存在するものではありません。

身体があるから意識があるのです。

『自分』という意識も身体から生まれています。

私たちの本質は心を持った肉体です。

その母体は宇宙です。

今、私たちも、宇宙も『今ここ』に存在しています。

『今ここという場』はすべてを包み込む実存ですが、形はありません。
単なる『空の容器』です。

私たちの大元は何かと言えば、その空の容器です。

でも、実際の私たちは身体と心をもった、生命体です。

そして、心と身体は繋がっていて一つのものです。

私たちは『空の容器』から生まれ、『空の容器』に帰ってゆきます。

生命はすべてそうです。

生まれ、成長し、生きて、老いて死にます。

どんなに不死の魂を妄想したとしても同じです。

どうせ、死ぬのです。
覚悟して生きてください。
この生を精一杯生きてください。

私たちはそのために生まれてきました。
それだけが私たちの使命です。


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