関連記事
○あなたが見ている世界はあなた自身だけの持ち物。
○私たちの現実は物理空間というより情報空間に住んでいます。
○たとえ臨場感を感じても、それは情報で構築されている現実だ。




手で触れば、目をつぶっていても、そこに物があることが分かります。

触ることによって形や空間も分かります。
しかし、目で見たように色や明度や彩度はありません。

色や明度や彩度の情報を取り入れるには、視覚が必要です。

視覚は触覚と情報を取り入れる方法が違います。

目から無数の触手が伸びていて直接に対象に触っているのではないことは誰でも知っています。

対象にあたって反射してきた光を水晶体を通して網膜に集めて脳に送っています。

脳に到達するまでの情報には色などはついていません。
波長によって色分けしているのは脳(意識)です。

パソコンの画面がカラフルでも送られてるのは電気的な情報なのと同じです。

私たちが世界を色とりどりに感ずるのは脳がそのように解釈して、それがあたかも外界に存在しているかのように辻褄を合わせて投影しているからです。


そして、その解釈は過去の蓄えられた既知の情報が使われます。

一瞬で一度見たものと判断すれば、一度見た過去の情報をその部分に貼り付けます。

詳細を確認することもなければ、確認する時間もありません。

目の前の現実を詳細に確認しようとすればできると思いますが、その一瞬の光景を確認するだけでも、どれだけの時間が必要か分かりません。

ですから、なるべく正確に対象の情報を知るために、
生まれた時から情報を集め続けてきたのです。


同じものを見ても、幼少の時に見たのと、大人になって見たものでは見え方が違います。

情報の処理の仕方は同じでが
情報の蓄え量が違うからです。


一瞬で脳が判断して情報を貼り付けてゆくのですが、経験の少ない小さな子供は、情報が少ないうえに判断力がないために、大人では考えられないような世界を作ってしまいます。

それは、こどもの絵などを見ると分かると思います。

ここで貼り付けると言っているのは入ってきた情報の解釈であり、ラベル貼りのようなものです。

大人のほうが沢山の種類のラベル(知識)を持っているので結果として正確な世界を描き出せます。


私の子供の頃にこんな思い出があります。

たしか、小学校低学年の頃だと思いますが、遠足で山か高台に登って空を見た時のことです。

空には雲が有りました。
その雲が教科書にでてきた、偉人たちの顔のに見えたのです。それも複数。
私にはそれが顔にしか見えず、づっと覚えていました。

大人になっても、雲の形が何かに見えることはありますが、その時感じたような現実感はありません。

今考えると、その時はそう見えたのが現実で、その現実は、それまでの体験で蓄えた情報を使って情報処理して描いていたと言うことができると思います。

子供が自由で創造的に見えるのは、まだ、認識力が確立していないから当然なのです。
責任もないし、自由でまさに黄金時代です。

それは成長の過程であって、やはり成長の目的は高度の認識力を確立することにあります。

子供の素直さに憧れることは良いですが、子供に戻ることが本来の自分に戻ることと考えることは
まちがっています。

かといって蓄積した情報は捨てることは難しいですが・・・


大人の認識力をさらに豊かにして自由な発想をするというのが正しい考え方ではないでしょうか。


私たちが見ている現実は、目の前にある現実から受け取った情報を一度、頭の中で処理をし、投影し直した情報空間であり、それを現実として認識し直しているのだということを改めて言っておきたいと思います。

その際に、情報の一部が削除され、あるいは歪められ、人それぞれ違った現実を体験していることになりまs。

NLPでは、それを世界モデルと読んでいます。

その元になるのは、実際の現実ですが、これは私たちの五感にとっては情報が大きすぎて、実際にはその全容を知ることができません。一度には処理しきれないということです。
だから、少しづつ蓄えてそれを利用するようになったのです。
考えてみればエコで素晴らしいシステムです。


私たちが見ている現実は、結局は過去の体験で集めた情報で出来上がっています。

情報である以上、それを置き変えたり、情報処理ができるわけです。

情報処理と言うことは思考ですが、考え方をかえることによって、描きだす現実を変えることができるということになります。

現実を変えるには自分の持っている思考を書き換える必要があります。

自分が持っている思考にブラスして外から誰かの考え方を持ってきても、解決にはなりません。

まず自分の思考の正しさを検討し、外から入ってくる思考を正しく組み入れること・・・

夢ゆめ、疑いもせず受け入れることは危険です。

思考の正しさの検証を受けていないものは、思考ではなく、信仰です。

信仰も大切ですが、疑いに疑って、最後に残ったものを信仰してください。

見えているものがそのまま真実ではありません。
それは私たちが作り出した世界モデルであり仮想現実と言ってもいいものです。

しかし、生の現実は誰も知ることができません。
私たちがすべてにおいて感じることができるのは、この仮想現実においてです。

その中に夢も希望も、幸せもあります。

私たちが見ている世界は、目の前にある色も形もない現実に、私たちが色や形を貼り付けて確認しやすくして、それを楽しんでいるのです。


目の前の現実には、あなたの過去のすべての思考(認識)が反映されています。
人気ブログランキングへ応援いつもありがとうございます。