※2012-02-08 17:01公開の記事を誤解の危惧がありましたので編集し直しました。
最近スピリチュアルブームで『魂』とか『霊』とか『アセンション』とか、意味がファジーな
言葉が飛び交っていますが・・・どういう意味なのか、そして何を表すのか、しっかり言葉の定義をして使うべきではないかと考えています。
輪廻転生とか聞いただけで、
何となく分かったつもりになって納得してしまうことの中に何か危険が潜んでいるような気がします。
輪廻転生という思想は、魂というものの実在を考えていて、それが永遠に生まれ代わりを続けてゆくと言う考えだと思うのですが、その前に『魂』がどんなものを指しているのかの定義が曖昧だと思うのです。
曖昧なものを前提として考えるようになると、その後いくらでも拡大解釈ができてしまい、ただ信じるだけか、考えても、なおさら迷路に入っていってしまうと思うのです。
『魂』は一つの言葉でありますが、どういうものを指しているのか、あるいはどんな現象についてネーミングしているのかをはっきりさせる必要があると思います。
でないと、それが前提として潜在意識が受け入れてしまったあとに、誰かに意味のすり替えをされ洗脳される危険があります。
ブレのある言葉で構築した思考は暗示にかかりやすい人を作るからです。
魂のように耳慣れた言葉で一般的にはマイナーな言葉は、イメージが確定しておらず、安易に受け入れると危険です。意味的にブレがある言葉を思考の中に入れると、その思考全体にブレを生じてしまいます。
スピリチュアル関係では必ず『魂』とか『霊』とかの単語がでてくるのですが、読んでみてどうも定義して使っている様には思えません。
むしろ、あやふやな意味の定義を利用して煙に巻くための言葉のようにも思えます。
『初めに言葉ありき』という言葉があります。
そして思考は言葉によってなされます。
思考は現実化しますから、そのもととなる言葉の意味をしっかりと認識して使う必要があります。
良き言葉(思考)は良き現実を生み、
悪しき言葉(思考)は悪しき現実を生みます。
それを考えると一つ一つの言葉の意味から吟味して使う必要があると思いませんか?
ファジーな言葉としてあげられる『魂』と『霊』という言葉で考えるのが聖書から来言葉ではないかということです。
そこで聖書ではどういう意味で使っているかと調べてみました。
宗派によっての違いはありますが、
『魂』という言葉を使わないか、あるいは使っている場合でも『魂』は永遠の魂を意味しているのではなく『命』という意味あいで使われているようです。
私たち人間や動物の命である生きた肉体のことを言っているようです。
誕生し死で終わるというのが命です。
ですから『魂』は肉体とともに消えてなくなるものとなります。
これは仏陀の考えなどとも同じです。
肉体それ自体では物質と変わりません。
命の機能がなくなった時を考えればわかりますよね。
『肉体』+『霊』=『命』になります。
『霊』は目に見えないエネルギーです。
だから『霊』は存在します。
が、それはエネルギーであり働きです。
おなじみの潜在意識と言ってもいいでしょう。
その潜在意識とつながっていることによって私たちは生きていることができます。
顕在意識を通して意識することができます。
思考することができます。
感情を感じることができます。
『思考を現実化する』働きをもっているのは潜在意識です。
生きている人間は霊的なエネルギーを吹き込まれています。
このエネルギーがなくなれば普通の物質となり物質と同じ法則に従うようになります。
しかし、生きている人間は霊的な存在です。
感情も思考も霊的な働きです。
それは肉体の中で起こっている霊的な働きです。
生きている人間の肉体には常に霊的なエネルギーが流入しています。
そのエネルギーが循環できる環境に身体が維持されていれば生きています。
誤った思考がそのエネルギーの流れを邪魔をすることがあります。
誤った思考、習慣はエネルギーの流れを妨げ心身の病気を引き起こします。
対人関係で苦しむこともあります。
すべて苦悩は霊的な存在からの『正しく考えなさい』という警鐘です。
だから、言葉を定義して使うことも正しく考えることで重要なことです。
苦悩は誤った習慣、誤った思考からきます。
三つ子の魂、百まで
という言葉があります。
インナーチャイルドを思い出します。
この場合の魂は心や考え方です。
魂は心の働きと言ってもいいですね。
そうだとすると、働きですから、働きが起こっているところに主体があるはずです。
心は身体に付随した働き、
身体の一部の脳の中で起こっている働きとも言えます。
その働きである『心』を『魂』として独立させ、あたかも主体であるようにあつかっていることに問題があるのではないでしょうか。
同じことは『自我』についても言えます。
自我という主体があるように考えるところに苦悩が生まれます。
本来、主体と言うものは物として存在するものです。
霊的なありかたのものを形あるものに喩えて主体として扱っているだけです。
そこに考え方の誤りがあります。
心は身体に付随した働きです。
物理的な法則もありますが、物理空間に付随した働きです。
働きは単独では存在できませんが、
神様だけは法則そのもののような気がします。
創造主という意味で・・・
あなたが何を感じたかはわかりませんが、
言葉になんらかの反応をしたと思います。
何を考えたにせよ、何らかの感情を持ったにせよ、
それはあなたが身体を持っていて、心の働きが持っているからです。
心だけの主体は存在しません。
ただ魂を、身体に生じた心の働きと定義するのであれば問題はありません。
魂の浄化=誤った考えを正す。
大和魂
記者魂・・・
だったら別に大きな問題はないですね。
魂が高次元に移動するとか訳のわからないことを言うのはやめてもらいたいものです。
魂が高次元に移動する????????とならなければおかしいですよ。
暗示に掛かりやすい性格ですから注意してください。
ぜひ言葉を定義して思考して下さい。
そして、疑って疑って疑って、最後に残ったものを信じましょう。
応援いつもありがとうございます。
最近スピリチュアルブームで『魂』とか『霊』とか『アセンション』とか、意味がファジーな
言葉が飛び交っていますが・・・どういう意味なのか、そして何を表すのか、しっかり言葉の定義をして使うべきではないかと考えています。
輪廻転生とか聞いただけで、
何となく分かったつもりになって納得してしまうことの中に何か危険が潜んでいるような気がします。
輪廻転生という思想は、魂というものの実在を考えていて、それが永遠に生まれ代わりを続けてゆくと言う考えだと思うのですが、その前に『魂』がどんなものを指しているのかの定義が曖昧だと思うのです。
曖昧なものを前提として考えるようになると、その後いくらでも拡大解釈ができてしまい、ただ信じるだけか、考えても、なおさら迷路に入っていってしまうと思うのです。
『魂』は一つの言葉でありますが、どういうものを指しているのか、あるいはどんな現象についてネーミングしているのかをはっきりさせる必要があると思います。
でないと、それが前提として潜在意識が受け入れてしまったあとに、誰かに意味のすり替えをされ洗脳される危険があります。
ブレのある言葉で構築した思考は暗示にかかりやすい人を作るからです。
魂のように耳慣れた言葉で一般的にはマイナーな言葉は、イメージが確定しておらず、安易に受け入れると危険です。意味的にブレがある言葉を思考の中に入れると、その思考全体にブレを生じてしまいます。
スピリチュアル関係では必ず『魂』とか『霊』とかの単語がでてくるのですが、読んでみてどうも定義して使っている様には思えません。
むしろ、あやふやな意味の定義を利用して煙に巻くための言葉のようにも思えます。
『初めに言葉ありき』という言葉があります。
そして思考は言葉によってなされます。
思考は現実化しますから、そのもととなる言葉の意味をしっかりと認識して使う必要があります。
良き言葉(思考)は良き現実を生み、
悪しき言葉(思考)は悪しき現実を生みます。
それを考えると一つ一つの言葉の意味から吟味して使う必要があると思いませんか?
ファジーな言葉としてあげられる『魂』と『霊』という言葉で考えるのが聖書から来言葉ではないかということです。
そこで聖書ではどういう意味で使っているかと調べてみました。
宗派によっての違いはありますが、
『魂』という言葉を使わないか、あるいは使っている場合でも『魂』は永遠の魂を意味しているのではなく『命』という意味あいで使われているようです。
私たち人間や動物の命である生きた肉体のことを言っているようです。
誕生し死で終わるというのが命です。
ですから『魂』は肉体とともに消えてなくなるものとなります。
これは仏陀の考えなどとも同じです。
肉体それ自体では物質と変わりません。
命の機能がなくなった時を考えればわかりますよね。
『肉体』+『霊』=『命』になります。
『霊』は目に見えないエネルギーです。
だから『霊』は存在します。
が、それはエネルギーであり働きです。
おなじみの潜在意識と言ってもいいでしょう。
その潜在意識とつながっていることによって私たちは生きていることができます。
顕在意識を通して意識することができます。
思考することができます。
感情を感じることができます。
『思考を現実化する』働きをもっているのは潜在意識です。
生きている人間は霊的なエネルギーを吹き込まれています。
このエネルギーがなくなれば普通の物質となり物質と同じ法則に従うようになります。
しかし、生きている人間は霊的な存在です。
感情も思考も霊的な働きです。
それは肉体の中で起こっている霊的な働きです。
生きている人間の肉体には常に霊的なエネルギーが流入しています。
そのエネルギーが循環できる環境に身体が維持されていれば生きています。
誤った思考がそのエネルギーの流れを邪魔をすることがあります。
誤った思考、習慣はエネルギーの流れを妨げ心身の病気を引き起こします。
対人関係で苦しむこともあります。
すべて苦悩は霊的な存在からの『正しく考えなさい』という警鐘です。
だから、言葉を定義して使うことも正しく考えることで重要なことです。
苦悩は誤った習慣、誤った思考からきます。
三つ子の魂、百まで
という言葉があります。
インナーチャイルドを思い出します。
この場合の魂は心や考え方です。
魂は心の働きと言ってもいいですね。
そうだとすると、働きですから、働きが起こっているところに主体があるはずです。
心は身体に付随した働き、
身体の一部の脳の中で起こっている働きとも言えます。
その働きである『心』を『魂』として独立させ、あたかも主体であるようにあつかっていることに問題があるのではないでしょうか。
同じことは『自我』についても言えます。
自我という主体があるように考えるところに苦悩が生まれます。
本来、主体と言うものは物として存在するものです。
霊的なありかたのものを形あるものに喩えて主体として扱っているだけです。
そこに考え方の誤りがあります。
心は身体に付随した働きです。
物理的な法則もありますが、物理空間に付随した働きです。
働きは単独では存在できませんが、
神様だけは法則そのもののような気がします。
創造主という意味で・・・
あなたが何を感じたかはわかりませんが、
言葉になんらかの反応をしたと思います。
何を考えたにせよ、何らかの感情を持ったにせよ、
それはあなたが身体を持っていて、心の働きが持っているからです。
心だけの主体は存在しません。
ただ魂を、身体に生じた心の働きと定義するのであれば問題はありません。
魂の浄化=誤った考えを正す。
大和魂
記者魂・・・
だったら別に大きな問題はないですね。
魂が高次元に移動するとか訳のわからないことを言うのはやめてもらいたいものです。
魂が高次元に移動する????????とならなければおかしいですよ。
暗示に掛かりやすい性格ですから注意してください。
ぜひ言葉を定義して思考して下さい。
そして、疑って疑って疑って、最後に残ったものを信じましょう。