前の記事で書いたように、私たちの見ている世界は私たち自身の意識と潜在意識が協力して解釈して構築した世界であり、それがあたかも私たちの周りに存在しているかのように投影したものです。

そして、それに臨場感を感じているわけです。

その投影された世界はほとんどが過去の記憶に頼っているのですが、それに身体は反応しています。
極端に言えば、私たちが目をつぶって頭の中で想像した世界と本質的に変わりがありません。

潜在意識が現実と想像の区別ができないというのは、なるほど納得がゆきます。

元々、本物の現実に反応しているわけではないからです。

どんな教義などによって作り上げた仮想現実でも、それに身体が反応を続けてゆけば臨場感が増し、それがその人の現実として捉えられるようになってくるのです。

仮想現実に臨場感を持たせてしまうのが洗脳です。
身体がそれを現実として反応してしまえば、身体がそれを認めたことになります。
そして私たちは身体です。

そして行には身体の修行が必ずあります。
脳も含めて身体にそれが現実であると教えて行くわけです。

もしその仮想現実であるソフト(ツール)が適切なものであれば幸福感や特殊な能力を身につけることが出来るかもしれません。

しかし、それが悪用されれば大変なことになります。そういう事件も実際にありました。

普通の人が当たり前に共有している現実では生きてゆくことができません。

ヨガなども趣味としてストレッチの感覚でやっているのであれば問題ないと思いますが、自分が特別な存在になれるなどと勘違いすると大変です。

ですから、仮想現実を構成しているデータの中には自分自身が検討して取り入れたデータ以外のものがたくさん入っているので検証してゆく必要があります。
けっこう色んな迷信が忍び込んでいます。

本当は、そんな迷信を取り除いてゆくのが修行なのに、新たな迷信を取り込んでいる人が多いようです。

釈迦はバラモン教の教義という迷信から解脱しました。
迷信から解脱するのが『悟り』ですから、これ以上の迷信を入れてゆくことはやめたほうが良いと思います。

宗教は麻薬といいますが、迷信の中にも媚薬があることは確かです。

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