Dr.苫米地英人の『スピリチュアリズム』④

ここのパートでは

『霊』と『霊力』という言葉が出てきて混乱したと思います。

一般い言う『霊』とは霊魂のことで、輪廻転生するものです。

『霊力』というのは、言葉と言葉のスキマにあるものを感じて利用できる能力って言っていましたね。

何だか知らないけど分かってしまって利用出来てしまう能力って言うものもあるのでしょう。

言葉で表しきれないことがこの世の中にあることは確かです。言葉で表せなくてもそれを感じていて、それを利用できる才能をもった人がいると言うことでしょう。

彼らもそう云う存在を認めているわけです。

想像上の『霊』は認めているという話をしていますね。個人的な仮想上の信仰としての霊です。
でも霊魂としての実在としての輪廻転生する霊は認めていません。

どうやらアートマンとは輪廻転生し永遠に生き続ける個別の霊魂を言っているようです。

そしてそれがブラフマンという宇宙意識と繋がってい同じ原理に支配されているということを『梵我一如』と言っているようです。

アートマンのところを顕在意識
ブラフマンのところを潜在意識とすると、いつも私が言っていることに似ていますが、顕在意識は魂と呼んでも良いとは思っていますが、輪廻転生を私は信じていません。


そして存在のあり方についての話になりましたね。
私がある喩えを話をしますので、ヒントにして考えてみていただければと思います。


この世は三次元です。
横の広がり、縦の広がり、奥行が前後にあります。


これはわかりますよね。
これに時間が加わって四次元の空間に住んでいるわけです。


三次元、四次元は何となくわかるでしょう。

そこで一次元、二次元なのですが、
それと点というものを加えて考えてみます。

点というのは線と線の交差したところに出来ます。

そこで、一枚のコピー用紙を例に考えてみてください。
これは二次元ですか?

少しでも厚みのある以上、三次元のものですよね。
それを厚みをどんどん薄くしてゆくと二次元に近ずいていて行きます。

最後には三次元的には消えてなくなってしまいます。


一次元の線もそうです。
その線が交わってできるという点も同じです。

三次元の中には実存として存在できないということになってしまいます。


これらのものを存在と考えるかどうかの問題があることはわかるでしょう。

観念上では存在するといえますが、すがた形が三次元上で認められないので実存ではありません。
情報空間上には確かに存在しているという考え方もできます。


真の三角形も円も現実には存在しません。
素粒子次元で必ず凸凹があるはずです。
月が円く見えても実際は凸凹しています。

でも幾何学上では存在するということになります。
ということは観念上、そして教義上はなんでも存在できるということです。



動画のなかで、無限という言葉がでてきますが、数学上で考える無限と有限に対しての無限といろいろありますが、πの3.14・・・というのを今コンピュータが弾いている最中ですが、その途中までが確認できる無限という考えもあるということです。

形而上学上の存在で『空』もそのような概念です。

形而上学上の世界ならなんでもありです。
魂のレベルを創作したり、潜在意識のレベルに階層をつけたりと自由自在です。

そしてその仮想の世界に生きることもできるわけです。
潜在意識は現実と想像上の世界の区別ができないからです。
身体や感情は同じように反応します。

仮想の世界で感覚を作り出して至高体験をすることもできます。人間の肉体は仮想の現実にも反応するようにもなっているからです。

仮想の現実て肉体に反応を起こさせて快感を得るためには睡眠ではだめで、反応する身体が起きている必要があります。

つまり瞑想状態を保つ必要があります。

快感を感じるためにはリラックスが必要で、リラックスを得るためにヨーガなどと結びつきました。

身体は一度緊張させると、そのあとリラックスできるからです。

この世は『空』で幻影だからと言って、自分一人で快感を追求しているぶんには危険はありません。
単なる恍惚の人で害も益もありません。

これが極端に言った『空観』という生き方です。
その反対の生き方が『仮観』といって煩悩(欲望)のままに生きる生き方です。

その両方の良いところをとって生きたらどうかというのが『中観』の生き方ということです。

どうでも良いことは考えないで、人間として持ち得た機能を十分に活用して生きよというのが釈迦の教えのようです。

Dr.苫米地英人の『スピリチュアリズム』④

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