自我と無関係に起きるべきして起こることが自動的に起こっている。
それも、大きな計画の元で寸分の狂いなく、決まっていたことが起こっていると言っている人がいます。
だれの計画なのでしょう?
計画だって変更はありえますよね。
事情ができて変更するということはないのでしょうか?
それでは、『決まったことが起きている』と行った方がいいですよね。
もし、これが真実でしたら生きようと言う気力はなくなるでしょう。
そんなことを潜在意識である神様が計画をするわけがありません。
もともと、神様は法則として存在しているのであって、計画は立てません。
計画説は時間があることを前提としていて、『今ここ』の考えとは矛盾します。
「本当は時間なんかなくて・・・」という表現とも矛盾します。
確かに物質は「今ここ」と言う瞬間にしか存在していません。
しかし物質が諸行無常という流転を繰り返している以上時間の次元は存在します。
いつも言いますが、時間の次元がなければ宇宙はストップモーションです。
すべての物質は、ちょっと前は別の場所にいたのです。
次の瞬間には別の場所に移動します。
私たちの感覚で動いていないように見えるものでも、地球とともに移動しています。
相対的にはすべてのものは動いています。
空間=時間です。
全ての物は動いています。
すべてのものは変化しています。
「起きることが起きている」ということはそういうことです。
私たちの意識に登る前に全てのものが起きているのです。
その起きている全てのものが実在であり、私たちの意識の承認が不要なかたちで存在しています。
私たちも、その中に起きている事実の一つです。
私たちに起こる『意識』のその一つです。
かといってこの『意識』まで、もともと、そう起こることが決まっているとしたら生きる意味がありません。
そんな意味がないことを神様がするでしょうか?
わたしたちが、生きていることには意味があります。
生まれた環境は決まっていますが、そのあとは自由です。
自分で自分の人生を創造してゆけます。
信念を持って行動し、潜在意識を動かせば、起きることが変わってくるのです。
なにも決まっていることはなく、
『意識』と『潜在意識の』共同作業で起きることを起こしているのです。
人生には何も目的はない。
だから、そのままでいい。リラックスしよう。
『今ここ』で瞑想をして、次元上昇してアセンションするのだ。
今ここにいるかどうかだけが問題なんだ。
そういうのは、私から言えば『今ここ』ではありません。
寄せ集めで作ったチャンポン教義であり、それが作り出した仮想現実に生きていることでしかありません。
仮想現実でも潜在意識にとっては現実感があります。
潜在意識はもともと実際に起こっていることと、想像上で起こっていることの区別がつきません。
ですから、どんな仮想現実でも現実と思ってしまうのです。
潜在意識は身体でもありますから、その仮想現実に生体は反応を起こします。
映画をみて感動して泣いたり、体験を思い出すだけで反応してしまいます。
梅干を食べたことのある日本人なら、梅干を口に入れたことを想像しただけで唾液が出てきます。
どんなへなちょこ教義でも、仮想現実をイメージさせてしまえば、それが現実のように思えてくるのです。そんなグループに入っているだけでいつのまにか洗脳されてしまうのです。
至高体験などに惑わされてはいけません。
脳内でドーパミンが出ただけです。
薬をつかっても出来ることです。
瞑想などでも最終的には仮想空間にはいってドーパミンを出すようになれるようです。
ファッションでやっている瞑想ではリラックスや、リラックスすることによって気づきなどを得る程度でしょう。
ですから瞑想やヨーガを売りにしているグループに参加していると危険があります。
人数が多くなればなるほど、仮想空間に入ってもわからなくなります。
オーム心理教の例が教訓になると思います。
個別の魂がアセンションをするという考えは危険です。
自分たちは特別という選民思想が入っています。
つまり差別意識です。
輪廻思想も危険です。
個別の魂の不滅を言っているからです。
そんなことは仮想空間ならいくらでも可能です。
輪廻思想はもともと、カースト制度などの身分制度を正当化するための教義です。
身分が低いのはカルマのせいにするわけです。
行いによってどんな運命に生まれるかわかない。
動物に生まれて苦しむかもしれない。
恐怖もいっしょに埋め込んでいたわけです。
本来の解脱はこの輪廻から開放されることだったのです。
生まれることは苦だったのです。
釈迦も王子でしたが、バラモン教では位は二番目でした。
釈迦も解脱しようと苦しい修行をしました。
前提に輪廻という仮想現実がありましたから、どうしても解脱できませんでした。
でも極限のところで釈迦は悟りました。
仮想現実に打ち勝って、個別の魂などないんだと悟りました。
個別の魂がなければ、輪廻もありえません。
個別の魂は存在しないのだから、魂の優劣もアセンションもありません。
存在するものが存在していて
その中に私たちがいるだけ・・
大いなるものの一部として、起きることを起こす一端をになっている・・・
私たちの身体は存在しているものの一部・・
しかし、この身体は、存在ではないバーチャルリアリティーにも反応してしまう。
別にそれがデメリットだけでなく、メリットでもあります。
映画を楽しんだり、夢をもったりできて楽しいではないですか?
誰かが作ったバーチャルリアリティーに引っ張られることなく、本物の現実の中にしっかり腰を据えて生きましょう。
魂に高級も下級もありません。
大元はひとつなんですから。
アセンションも支配目的、あるいはビジネス目的でつくられたバーチャルリアリティーです
洗脳されないように大元からいただいている、その身体を大切にしてください。
ここまで書いて結構疲れました。
読み返している余裕がないので、そのままアップします。
あとで読み返して訂正するかもしれません。
いつも長い記事を読んでいただいてありがとうございます
応援いつもありがとうございます。
それも、大きな計画の元で寸分の狂いなく、決まっていたことが起こっていると言っている人がいます。
だれの計画なのでしょう?
計画だって変更はありえますよね。
事情ができて変更するということはないのでしょうか?
それでは、『決まったことが起きている』と行った方がいいですよね。
もし、これが真実でしたら生きようと言う気力はなくなるでしょう。
そんなことを潜在意識である神様が計画をするわけがありません。
もともと、神様は法則として存在しているのであって、計画は立てません。
計画説は時間があることを前提としていて、『今ここ』の考えとは矛盾します。
「本当は時間なんかなくて・・・」という表現とも矛盾します。
確かに物質は「今ここ」と言う瞬間にしか存在していません。
しかし物質が諸行無常という流転を繰り返している以上時間の次元は存在します。
いつも言いますが、時間の次元がなければ宇宙はストップモーションです。
すべての物質は、ちょっと前は別の場所にいたのです。
次の瞬間には別の場所に移動します。
私たちの感覚で動いていないように見えるものでも、地球とともに移動しています。
相対的にはすべてのものは動いています。
空間=時間です。
全ての物は動いています。
すべてのものは変化しています。
「起きることが起きている」ということはそういうことです。
私たちの意識に登る前に全てのものが起きているのです。
その起きている全てのものが実在であり、私たちの意識の承認が不要なかたちで存在しています。
私たちも、その中に起きている事実の一つです。
私たちに起こる『意識』のその一つです。
かといってこの『意識』まで、もともと、そう起こることが決まっているとしたら生きる意味がありません。
そんな意味がないことを神様がするでしょうか?
わたしたちが、生きていることには意味があります。
生まれた環境は決まっていますが、そのあとは自由です。
自分で自分の人生を創造してゆけます。
信念を持って行動し、潜在意識を動かせば、起きることが変わってくるのです。
なにも決まっていることはなく、
『意識』と『潜在意識の』共同作業で起きることを起こしているのです。
人生には何も目的はない。
だから、そのままでいい。リラックスしよう。
『今ここ』で瞑想をして、次元上昇してアセンションするのだ。
今ここにいるかどうかだけが問題なんだ。
そういうのは、私から言えば『今ここ』ではありません。
寄せ集めで作ったチャンポン教義であり、それが作り出した仮想現実に生きていることでしかありません。
仮想現実でも潜在意識にとっては現実感があります。
潜在意識はもともと実際に起こっていることと、想像上で起こっていることの区別がつきません。
ですから、どんな仮想現実でも現実と思ってしまうのです。
潜在意識は身体でもありますから、その仮想現実に生体は反応を起こします。
映画をみて感動して泣いたり、体験を思い出すだけで反応してしまいます。
梅干を食べたことのある日本人なら、梅干を口に入れたことを想像しただけで唾液が出てきます。
どんなへなちょこ教義でも、仮想現実をイメージさせてしまえば、それが現実のように思えてくるのです。そんなグループに入っているだけでいつのまにか洗脳されてしまうのです。
至高体験などに惑わされてはいけません。
脳内でドーパミンが出ただけです。
薬をつかっても出来ることです。
瞑想などでも最終的には仮想空間にはいってドーパミンを出すようになれるようです。
ファッションでやっている瞑想ではリラックスや、リラックスすることによって気づきなどを得る程度でしょう。
ですから瞑想やヨーガを売りにしているグループに参加していると危険があります。
人数が多くなればなるほど、仮想空間に入ってもわからなくなります。
オーム心理教の例が教訓になると思います。
個別の魂がアセンションをするという考えは危険です。
自分たちは特別という選民思想が入っています。
つまり差別意識です。
輪廻思想も危険です。
個別の魂の不滅を言っているからです。
そんなことは仮想空間ならいくらでも可能です。
輪廻思想はもともと、カースト制度などの身分制度を正当化するための教義です。
身分が低いのはカルマのせいにするわけです。
行いによってどんな運命に生まれるかわかない。
動物に生まれて苦しむかもしれない。
恐怖もいっしょに埋め込んでいたわけです。
本来の解脱はこの輪廻から開放されることだったのです。
生まれることは苦だったのです。
釈迦も王子でしたが、バラモン教では位は二番目でした。
釈迦も解脱しようと苦しい修行をしました。
前提に輪廻という仮想現実がありましたから、どうしても解脱できませんでした。
でも極限のところで釈迦は悟りました。
仮想現実に打ち勝って、個別の魂などないんだと悟りました。
個別の魂がなければ、輪廻もありえません。
個別の魂は存在しないのだから、魂の優劣もアセンションもありません。
存在するものが存在していて
その中に私たちがいるだけ・・
大いなるものの一部として、起きることを起こす一端をになっている・・・
私たちの身体は存在しているものの一部・・
しかし、この身体は、存在ではないバーチャルリアリティーにも反応してしまう。
別にそれがデメリットだけでなく、メリットでもあります。
映画を楽しんだり、夢をもったりできて楽しいではないですか?
誰かが作ったバーチャルリアリティーに引っ張られることなく、本物の現実の中にしっかり腰を据えて生きましょう。
魂に高級も下級もありません。
大元はひとつなんですから。
アセンションも支配目的、あるいはビジネス目的でつくられたバーチャルリアリティーです
洗脳されないように大元からいただいている、その身体を大切にしてください。
ここまで書いて結構疲れました。
読み返している余裕がないので、そのままアップします。
あとで読み返して訂正するかもしれません。
いつも長い記事を読んでいただいてありがとうございます