私たちは自分の心の動きや身体の動きを感じることができます。
しかし、それらを起こしている自分の無意識の働きを意識することができません。
それゆえ、それが自分の外にあるものだと思ってきました。
しかし、その無意識の部分こそ本当の私たちだと言えるのです。
それの部分を私たちは、自分から分離して神と呼ぶようになりました。
そして自分を自ら神から分離したのです。
それは想像上のことで実際には分離は存在していません。
ですから私たちは想像上で問題を作り上げて苦しんでいるだけです。
わざわざ舞台を作ってドラマを演じているだけです。
立ち並んでいる劇場の舞台裏はどれもいっしょということです。
神様は主役であり、脇役であり、劇場主でもありスポンサーでもあります。
神様はあなたです。
信念という台本を書き換えるだけで悲劇が喜劇になります。
信念を現実化する力をもっているのが神ですから、あなたの周りにもいろんな神様がいると思います
よ~く観察してみてください。この神様は多分こんな信念を持っているから、こんな姿をしているんだな~と納得すると思いますよ。
それは気で感じると思います。さわやかな感じがしたり、重い感じがしたり・・・信念の波動が伝わってきているのかなと思います。
もちろん動物たちも神様です。
彼らは人工的な信念を持っていません。
本能的な信念です。
小さな子供やペットたちは、本能的な信念で生きているので癒されます。
私たちも本能的な信念もっています。
そして人間は動物と違って神と同じ本能をもっています。
なぜなら、神様の潜在意識は私たちの潜在意識であり、私たちの顕在意識は神様の顕在意識だからです。
神様の潜在意識は宇宙意識ですから、自他の区別が付きません。また善悪の区別もありません。
神様はジャッジしない。
それならジャッジしないことが私たちの本能です。
私たちはもともとひとつであり、みんなが神様なのだから、ジャッジなんてしても意味がないとおもいませんか?
いろんな神様がいて、一瞬邪気を受けることがあります。
そんな時も、この神様はこれを選択(信念と)している神様なのだと客観してください。
その信念も祖先や親、あるいは社会から植え付けられてしまったもので、自分が選択したものではないので責任はありません。
責めるところはまったくありません。
だから責めることなく、隣の神様だと思って眺めるだけにしてください。
神様以上のものはないわけですから、神様だとジャッジするのはジャッジではありません。
ジャッジしないで、自分を、そして他者を愛してください。
別に愛を表現しようとか難しく考える必要はありません。
ジャッジしないということは、そのまま受け入れることです。
多分、受け入れとリラックスは同時に起こると思います。
他人からどうジャッジされるか恐れている人は、逆に他人をいつもジャッジしている可能性が高いです。
みんな自分の都合の良いようにジャッジしているわけですから、あなたの都合の良いようにジャッジしてもらえる可能性は低いです。
よりよいジャッジが貰えないと今度は自分自身をジャッジして責めるわけです。
愛とはまったく逆の世界ですよね。
なんて言うんでしょうか?
修羅?地獄?
でも大丈夫、みんな誤った思考が生み出した幻想ですから・・・
批判をやめる癖を付けてゆけば、植え付けられた新年から生じる思考ではなく、本能的な思考ができるようになりますから。
それからは自分がなりたいものになってゆくだけです。
まずは自分を愛してください。
今の生活状況の中で喜びを見つけ、それを種子にしてください。
どんな状況であろうと凌いでみてください。
それで今のあなたは完璧なんですから・・
私たちは隠れている部分のほうが広大な存在です。
その自分の源泉の一部を感じているだけです。
私たちは潜在的に宇宙意識や神といわれるものを抱えています。
私たちはみんな神様です。
その無意識の部分の秘密を探そう、あるいは気づこうとしている存在です。
私たちは手分けして神(宇宙意識)である自分自身を知ろうとしている存在です。
私たちは進化成長することによってそれを知ってゆきます。
本当の思考はジャッジではなく創造のために使うものです。
上下や善悪を決めて勢力争いしても仕方ないということです。
だからジャッジしないで可能性だけを見出しましょう。
思考は現実化のエネルギーを持っています。
信念ともなると物凄いです。
あなたの周りの神々様、本当に個性的だと思います。みんな信念の現実化に成功しているんです。
ただ、ジャッジを恐れてはいけません。人間世界では悪いジャッジも、良いジャッジもありますからね。正しいジャッジもときに必要です。
多分感じたことを表現したい時もあると思います。
その時はこう表現してください。
『この神様は』~だ。
って感じです。
このジャッジは外れることがありません。
初めに神様の認識を入れればOKです。
緊張した神様がいたら、こちらからフレンドリーに声をかけてあげましょう。
緊張が溶けると、とても良い顔になると思いますよ。
緊張していると意地悪そうに見えますしね・・・
それではまたです。
応援いつもありがとうございます。
しかし、それらを起こしている自分の無意識の働きを意識することができません。
それゆえ、それが自分の外にあるものだと思ってきました。
しかし、その無意識の部分こそ本当の私たちだと言えるのです。
それの部分を私たちは、自分から分離して神と呼ぶようになりました。
そして自分を自ら神から分離したのです。
それは想像上のことで実際には分離は存在していません。
ですから私たちは想像上で問題を作り上げて苦しんでいるだけです。
わざわざ舞台を作ってドラマを演じているだけです。
立ち並んでいる劇場の舞台裏はどれもいっしょということです。
神様は主役であり、脇役であり、劇場主でもありスポンサーでもあります。
神様はあなたです。
信念という台本を書き換えるだけで悲劇が喜劇になります。
信念を現実化する力をもっているのが神ですから、あなたの周りにもいろんな神様がいると思います
よ~く観察してみてください。この神様は多分こんな信念を持っているから、こんな姿をしているんだな~と納得すると思いますよ。
それは気で感じると思います。さわやかな感じがしたり、重い感じがしたり・・・信念の波動が伝わってきているのかなと思います。
もちろん動物たちも神様です。
彼らは人工的な信念を持っていません。
本能的な信念です。
小さな子供やペットたちは、本能的な信念で生きているので癒されます。
私たちも本能的な信念もっています。
そして人間は動物と違って神と同じ本能をもっています。
なぜなら、神様の潜在意識は私たちの潜在意識であり、私たちの顕在意識は神様の顕在意識だからです。
神様の潜在意識は宇宙意識ですから、自他の区別が付きません。また善悪の区別もありません。
神様はジャッジしない。
それならジャッジしないことが私たちの本能です。
私たちはもともとひとつであり、みんなが神様なのだから、ジャッジなんてしても意味がないとおもいませんか?
いろんな神様がいて、一瞬邪気を受けることがあります。
そんな時も、この神様はこれを選択(信念と)している神様なのだと客観してください。
その信念も祖先や親、あるいは社会から植え付けられてしまったもので、自分が選択したものではないので責任はありません。
責めるところはまったくありません。
だから責めることなく、隣の神様だと思って眺めるだけにしてください。
神様以上のものはないわけですから、神様だとジャッジするのはジャッジではありません。
ジャッジしないで、自分を、そして他者を愛してください。
別に愛を表現しようとか難しく考える必要はありません。
ジャッジしないということは、そのまま受け入れることです。
多分、受け入れとリラックスは同時に起こると思います。
他人からどうジャッジされるか恐れている人は、逆に他人をいつもジャッジしている可能性が高いです。
みんな自分の都合の良いようにジャッジしているわけですから、あなたの都合の良いようにジャッジしてもらえる可能性は低いです。
よりよいジャッジが貰えないと今度は自分自身をジャッジして責めるわけです。
愛とはまったく逆の世界ですよね。
なんて言うんでしょうか?
修羅?地獄?
でも大丈夫、みんな誤った思考が生み出した幻想ですから・・・
批判をやめる癖を付けてゆけば、植え付けられた新年から生じる思考ではなく、本能的な思考ができるようになりますから。
それからは自分がなりたいものになってゆくだけです。
まずは自分を愛してください。
今の生活状況の中で喜びを見つけ、それを種子にしてください。
どんな状況であろうと凌いでみてください。
それで今のあなたは完璧なんですから・・
私たちは隠れている部分のほうが広大な存在です。
その自分の源泉の一部を感じているだけです。
私たちは潜在的に宇宙意識や神といわれるものを抱えています。
私たちはみんな神様です。
その無意識の部分の秘密を探そう、あるいは気づこうとしている存在です。
私たちは手分けして神(宇宙意識)である自分自身を知ろうとしている存在です。
私たちは進化成長することによってそれを知ってゆきます。
本当の思考はジャッジではなく創造のために使うものです。
上下や善悪を決めて勢力争いしても仕方ないということです。
だからジャッジしないで可能性だけを見出しましょう。
思考は現実化のエネルギーを持っています。
信念ともなると物凄いです。
あなたの周りの神々様、本当に個性的だと思います。みんな信念の現実化に成功しているんです。
ただ、ジャッジを恐れてはいけません。人間世界では悪いジャッジも、良いジャッジもありますからね。正しいジャッジもときに必要です。
多分感じたことを表現したい時もあると思います。
その時はこう表現してください。
『この神様は』~だ。
って感じです。
このジャッジは外れることがありません。
初めに神様の認識を入れればOKです。
緊張した神様がいたら、こちらからフレンドリーに声をかけてあげましょう。
緊張が溶けると、とても良い顔になると思いますよ。
緊張していると意地悪そうに見えますしね・・・
それではまたです。