さあ、今日はおとぎ話です。
脳のマッサージになるかもしれません。


相対性ってわかりますよね。
比較する対象があることです。


相対性がなければ存在は有り得ません。
それがあることによって顕在意識が働きます。


存在があると認知できるのは相対性が存在するからです。

私たちの本質が『愛』であったとしても、『愛でないもの』が存在しな限り『愛』は認識されません。

認識されないものは『存在しない』と同じです。

よって神様はビックバンによって『静寂』を切り裂いて分離し相対的世界を作り出しました。

神様は静寂で何の存在もない世界が退屈だったのでしょう。

物質の無い『愛の静寂』から物質の存在する『愛』と『不安』の対極の世界へと変わりました。

神は『静寂』の対極を作り出しました。
天地創造です。

形のないものから、形のあるものに変化しました。
存在という観点からみると、依然として形のないもの『静寂』が残っている必要があります。

無から有が生まれました。

神はビックバンで私たちや宇宙の全てのものに分離したのです。

自分が『愛そのもの』であることを認識するお膳立てがそろいました。

神はすべてを知っている存在ですが、それを認識できませんでした。
それを認識するために相対的な世界を創像する必要がありました。

神の分身である私たちも本当はすべて知っています。
知っているけど、認識できないのです。

認識は体験によってもたらされます。
私たちはもともと持っていたものに気づくのです。

無いものは体験できませんので、体験できるものは全てもともと知っていたことです。
体験とは理論だったものを実験によって知ることです。
体験によって相対的に観察できたときに初めて認識し、それが存在であることがわかるのです。

神様は私たち一人一人に分散し、自分が『愛』という存在であることを確認しようとしているのです。

『愛』の存在を認識するためには対極である『不安』の存在が必要です。

私たちは『不安』を同時に持っていることによって、『愛』を知ることができるのです。

ディマティーニが『ネガティブとポジティブを同時に抱きしめる』とい意味が分かると思います。


私たちは、この世に私たちの本質が愛であることを確かめるためにやってきました。
それは観念的に知っていたことを体験として確かめるためです。

相対的な世界で体験することにより、それは『存在』となり認識されるのです。


好奇心、それは大元からの指令です。
私たちの役目はいろいろ体験することです。

体験なら、どういう体験でもいいんです。
今までやってきたでしょう。それでいいんです。

このままでもパーフェクトなんです。
パーフェクトの上に体験を重ねているのでうす。

あなたの好奇心はなんですか?


あなたを覚醒させる▲スピリチュアルメッセージ応援いつもありがとうございます。