今回は、『魂』と『意識』です。
英語では『soulソウル』と『conciousnessコンシャスネス』ですね。
どうも、ゴッチャにして思考してしまってスピリチュアルを語る人々が目に付きます。
なんとなくスピリチュアルというやつです。
いいね、いいねとサロン的にスピリチュアルを楽しんでいる人たちです。
目に見えないこと、霊的なことを思考の中に入れることは良いことだと思いますが、思考の方法が間違っていれば弊害がでてきます。
思考は、言葉によって行いますから、言葉を定義して使わなければ意味がありません。
一つの言葉で二つの違った概念を表してはいけないということです。
『魂』と『意識』は別のものです。
『魂』は感情や思考や記憶が起こっているところであり、『意識』はそれを参照し、観察しているものです。
悟りや目覚めとは、私たちの本質は意識体という観察者でであるということに気がつくことです。
本当の私たちが観察しているのは、身体や魂で起こっていることです。
魂の中で起こっていることを、ふつう私たちは『こころ』と読んでいます。
身体や魂では自然現象のようにことが起こっているだけです。
『原因と結果の法則』によってことが起こっています。
普通『意識』は、そこで起こっていることが、自分であると思い込んでいます。
それは魂の中で出来上がった自我プログラムに意識がフォーカスしているからです。
意識をどこに向けるか(フォーカスするか)によって、観察できるものが違ってきます。
身体に起こっていることに向けるか、魂で起こっていることに向けるかで、意識は身体になったり、魂(心)になったりします。
意識は身体にも魂にも繋がらないことを選択しているときもあります。
夜、夢を見ないで眠っている時がそうですね。
意識が何ものとも繋がらないとき、私たちの意識は神と繋がっています。
その時、私たちの意識は広大な静寂(ヴァースト・スティルネス)の中に戻っています。
朝になって、身体や魂(心)が働き出すと意識は再び静寂の世界から帰ってきます。
何らかの理由で還る身体や魂がなくなっていれば、戻ることができません。
戻ることはできませんが、静寂の中で存在し続けています。
それが本当の私たちが永遠の存在だという意味です。
死は眠りに過ぎません。身体も魂も持っていないので、何の苦しみもありません。
苦しみの原因は身体を魂を持っていることです。
本当の私たちはどちらでもありません。
ここで身体はロボット、心はコンピュータだと考えてください。
コンピュータが自動でプログラムを作り、身体をコントロールしています。
そんな頭脳を持ったロボットを考えることができますか?
ロボットの中でプログラムが働いているのは、心が働いているのと同じではないですか?
そう考えると、心は身体と共に時間も含めて4次元の世界で起こっているとも考えることもできます。
しかし、これは今、私の魂の中で起きている考えであって、実際にはそれを観察しているもう一人の意識体である自分がいるわけです。
そうすると、思考や感情は4次元以内で起こっているが、意識という現象はもう一つ上の次元で起こっている可能性があります。
これ以上つづけても、頭が混乱するばかりかもしれませんのでやめます。
要は、私たちは身体や魂の観察者であり、身体や魂は傷つくことはあっても、観察者である私たちは傷ついていないということです。
実際には人間は傷ついていると感じていることが多いです。
傷ついていると感じるのは、それはすでに終わっていることなのに、エピソードが記憶として残っていて、そのエピソードに私たちの意識がフォーカスすることによって傷ついている自分を幻想しているのにすぎないのです。そしてその幻想によって新たな傷を負うことになります。
本当の私たちは傷つくことはなく、新しいポジティブなエピソードを作ってそれにつながってゆくことも幸せに生きてゆくことができます。
過去を引きずっているというのは幻想です。
過去は現在になんの影響も与えることはできません。
私たちは、『今ここ』から過去の情報であるエピソード記憶を参照しているだけです。
私たちの本質は過去の記憶ではありません。
『今ここ』にいて、過去の記憶の中の何かを観察しているだけです。
過去の記憶は身体と魂の中に刻まれています。
何がそこに刻まれていようと、それにこだわらなければ存在しないのと同じです。
存在させているのは私たちの意識がそこにフォーカスしているからです。
本当の私たちは、フォーカスを変えて、新しいことを選択できる自由を持っています。
身体や魂に書き込まれた記憶を書き換えてゆくことができます。
記憶は本当の真実ではなく、物語として、エピソードとして取り入れられた過去となった情報にすぎないからです。
『魂』と本当の私たちである『意識』は別のものであるということを考えてみてください。
魂とは身体と密接に繋がっている思考と感情の場です。
言いたいことが伝わっているかどうかは不明です。
いつものとおり頭のマッサージ、脳トレくらいに考えていただけたら幸いです。
最後まで読んでくれて、ありがとう。
応援いつもありがとうございます。
この動画では『魂』と『意識』をごっちゃにしていますね。
私からみると論理性が全然感じられませんでした。
今日の記事はこの動画がきっかけです。『違うだろう』という意味で・・・
英語では『soulソウル』と『conciousnessコンシャスネス』ですね。
どうも、ゴッチャにして思考してしまってスピリチュアルを語る人々が目に付きます。
なんとなくスピリチュアルというやつです。
いいね、いいねとサロン的にスピリチュアルを楽しんでいる人たちです。
目に見えないこと、霊的なことを思考の中に入れることは良いことだと思いますが、思考の方法が間違っていれば弊害がでてきます。
思考は、言葉によって行いますから、言葉を定義して使わなければ意味がありません。
一つの言葉で二つの違った概念を表してはいけないということです。
『魂』と『意識』は別のものです。
『魂』は感情や思考や記憶が起こっているところであり、『意識』はそれを参照し、観察しているものです。
悟りや目覚めとは、私たちの本質は意識体という観察者でであるということに気がつくことです。
本当の私たちが観察しているのは、身体や魂で起こっていることです。
魂の中で起こっていることを、ふつう私たちは『こころ』と読んでいます。
身体や魂では自然現象のようにことが起こっているだけです。
『原因と結果の法則』によってことが起こっています。
普通『意識』は、そこで起こっていることが、自分であると思い込んでいます。
それは魂の中で出来上がった自我プログラムに意識がフォーカスしているからです。
意識をどこに向けるか(フォーカスするか)によって、観察できるものが違ってきます。
身体に起こっていることに向けるか、魂で起こっていることに向けるかで、意識は身体になったり、魂(心)になったりします。
意識は身体にも魂にも繋がらないことを選択しているときもあります。
夜、夢を見ないで眠っている時がそうですね。
意識が何ものとも繋がらないとき、私たちの意識は神と繋がっています。
その時、私たちの意識は広大な静寂(ヴァースト・スティルネス)の中に戻っています。
朝になって、身体や魂(心)が働き出すと意識は再び静寂の世界から帰ってきます。
何らかの理由で還る身体や魂がなくなっていれば、戻ることができません。
戻ることはできませんが、静寂の中で存在し続けています。
それが本当の私たちが永遠の存在だという意味です。
死は眠りに過ぎません。身体も魂も持っていないので、何の苦しみもありません。
苦しみの原因は身体を魂を持っていることです。
本当の私たちはどちらでもありません。
ここで身体はロボット、心はコンピュータだと考えてください。
コンピュータが自動でプログラムを作り、身体をコントロールしています。
そんな頭脳を持ったロボットを考えることができますか?
ロボットの中でプログラムが働いているのは、心が働いているのと同じではないですか?
そう考えると、心は身体と共に時間も含めて4次元の世界で起こっているとも考えることもできます。
しかし、これは今、私の魂の中で起きている考えであって、実際にはそれを観察しているもう一人の意識体である自分がいるわけです。
そうすると、思考や感情は4次元以内で起こっているが、意識という現象はもう一つ上の次元で起こっている可能性があります。
これ以上つづけても、頭が混乱するばかりかもしれませんのでやめます。
要は、私たちは身体や魂の観察者であり、身体や魂は傷つくことはあっても、観察者である私たちは傷ついていないということです。
実際には人間は傷ついていると感じていることが多いです。
傷ついていると感じるのは、それはすでに終わっていることなのに、エピソードが記憶として残っていて、そのエピソードに私たちの意識がフォーカスすることによって傷ついている自分を幻想しているのにすぎないのです。そしてその幻想によって新たな傷を負うことになります。
本当の私たちは傷つくことはなく、新しいポジティブなエピソードを作ってそれにつながってゆくことも幸せに生きてゆくことができます。
過去を引きずっているというのは幻想です。
過去は現在になんの影響も与えることはできません。
私たちは、『今ここ』から過去の情報であるエピソード記憶を参照しているだけです。
私たちの本質は過去の記憶ではありません。
『今ここ』にいて、過去の記憶の中の何かを観察しているだけです。
過去の記憶は身体と魂の中に刻まれています。
何がそこに刻まれていようと、それにこだわらなければ存在しないのと同じです。
存在させているのは私たちの意識がそこにフォーカスしているからです。
本当の私たちは、フォーカスを変えて、新しいことを選択できる自由を持っています。
身体や魂に書き込まれた記憶を書き換えてゆくことができます。
記憶は本当の真実ではなく、物語として、エピソードとして取り入れられた過去となった情報にすぎないからです。
『魂』と本当の私たちである『意識』は別のものであるということを考えてみてください。
魂とは身体と密接に繋がっている思考と感情の場です。
言いたいことが伝わっているかどうかは不明です。
いつものとおり頭のマッサージ、脳トレくらいに考えていただけたら幸いです。
最後まで読んでくれて、ありがとう。
この動画では『魂』と『意識』をごっちゃにしていますね。
私からみると論理性が全然感じられませんでした。
今日の記事はこの動画がきっかけです。『違うだろう』という意味で・・・