こういう画像見たことがありますか?


私は確か中学か高校の美術の授業で見たという記憶があります。





ルビンの盃と言われている画像です。



絵画ではテーマ(主題)と背景が大切です。

その関係を書き込んでゆくと対象の存在感が出ててきて絵になるわけです。
美術の授業では『図』と『地』と、主題と背景のことを言って説明していました。


『図』というのはテーマですよね。
『地』というのはテーマの背景です。


背景が無いと絵は成り立たないわけです。


この図で真ん中の白い部分をテーマとして見れば、黒の部分が背景として後ろに下がってゆきます。
逆に黒い部分をテーマとしてみれば白い部分は背景として引っ込んで見えます。


ですからこの画像は


盃という意味のまとまりとして見たり、
人間の向き合った横顔の意味のまとまりとして見ることができます。




この構造や意味の一まとまりのことをゲシュタルトと呼びます。
この画像では盃と人の横顔という二つのゲシュタルトを見ることができます。



ゲシュタルトとはテーマ(主題)となった意味や形のひとまとまりのことです。



ゲシュタルトを主役と言ってもいいでしょう。
背景になるものは全部脇役です。


この関係で見ることによって初めて認識ができるのです。


前から人が歩いてくれば、すぐにわかります。
人間だと認識します。



その瞬間、認識した人間が意識の中で主役になり、他の物は背景となり一瞬消えます。


しかし、次の瞬間、その人の来ている服装などに、意識がフォーカスし、服以外は一瞬背景となって遠ざかったりします。


このように、人間は一瞬、一瞬ゲシュタルトを作り替えながら物事を認識しているわけです。


認識できるものは、その瞬間ゲシュタルトを作っているのからです。
認識したということは意味づけが出来たということです。



意味がわからなくても形だけでもひとまとまりでつかむことができればそれをゲシュタルトとして認識できます。


私たちが漢字などの文字を認識できるのもゲシュタルトとして見ることが出来るからです。
漢字の形と意味を一瞬のうちに認識します。


もちろん知らない漢字は意味までは認識できませんが、どうやら漢字であるという形の認識できると思います。

それも一つのゲシュタルトの認識です。


こんな形の漢字見たことないと認識しているわけです。
そのとき、その解らない漢字以外のすべては背景としてその感じを際立てているのです。



人間が物事を認識できるのは、このゲシュタルトとして世界の中から意味ある一つのまとまりを切り出して、際立たせることが出来るからです。


私たちが意識できていることを、感じることができるのは人間にこの能力があるからです。


つまり、顕在意識という能力がこれです。
この顕在意識は動物も持っています。


でなければ、自分のご主人を識別できません。


もちろん、犬などは嗅覚で識別するかもしれませんが、この臭いによる識別もゲシュタルトの働きによります。

ちゃんと他の臭いと区別して認識しているわけです。



人間はこのゲシュタルト能力が群を抜いています。

犬が漢字を見てもその意味を認識しません。


色んな記号も人間が意味づけすることによって意味を持っているのです。


自己イメージなども一つのゲシュタルトとして考えられます。
かってに境界線を作って自分と考えているわけです。




ゲシュタルト崩壊という病気がありますが、これになると、全ての意味がわからなくなります。
物が存在しているのはわかるのですが、その意味がわからないのです。



自己イメージも作れず、自分が誰だかわからなくなります。
意味がわからないので本能的に無意識的に生きているだけになります。


この機能がなかったら大変なことはわかると思います。


人間の顕在意識は優れた機能を持っています。

『へへののもへじ』を書いても顔の意味であることを認識します。


ルビンの盃だって、本当は白と黒の単なる記号のようなものです。





その境界線だけで,ゲシュタルトの画像として意味あるモノにしてしまっているのです。



健康なゲシュタルトの能力があれば、ゲシュタルトはすぐに入れ替わります。
ずっと見ていると、変化が感じられなくなるので別のゲシュタルトを探すようになっています。


盃だけを、見ていようとすると、変化がなくなるので、盃は意味の無い背景の方に下がってしまいます。
そして横顔が浮上してくるのですが、それを見続けても同じ現象が起きてきます。


同じものをずっと見ていると、わけがわからなくなることがあります。
この漢字ってこれで良いんだっけ?となったりしませんか?

ゲシュタルトが外れて未知のものを見ている気分になることがあります。


でもこれが正常なんですね。
ゲシュタルトを作っては壊してして次々と次のゲシュタルトを探してゆくのが本来の働きですから・・・

複雑な画像や出来事でも人間はこれをやっているのわけです。


囚われができると、一つのゲシュタルトから脱出できません。
これはゲシュタルト崩壊と同じくらい問題です。



世界で起こる出来事は本当は無数のゲシュタルトで見ることができるのが真実だからです。


出来事に意味づけしているのは人間です。
出来事にはネガティブもポジティブの存在していません。


人間がどのようにゲシュタルトするかで出来事や世界の意味は変わってきます。

今考えている自分自身もひとつのゲシュタルト(見方)に過ぎないのです。


変化しないゲシュタルトはゲシュタルトではありません。
ゲシュタルトの破壊と創造が繰り返されるのが本当の姿です。



今日はテーマが難しいです。
何を言っているのかわからないかもしれません。


私も自分で書いていることが後で読んでわからないことがあります。
読み直す機会があったときは訂正とかしているんですよ。


今日はこれで。



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