「心の琴線(きんせん)に触れる」という言葉があり、良いものや、素晴らしいものに触れて感銘を受ける意味に使っていますが、人間の心の中には、良いものではないものにでも反応する弦があるような気がします。
そもそも思いはエネルギーであり波動です。
波動は共鳴を起して伝わってゆきます。
思いにはいろいろあります。
怒りや、喜びや、悲しみや、愛など・・・
これらの思いを持った時に、心の中でそれぞれに対応する弦が振動しているのだと思います。
そしてそれが波動として周りに広がってゆきます。
私たちの心は、無数の弦が張ってある弦楽器のようなものだと思うのです。
それらの弦で、いつもどんな音楽を奏でているかが思いです。
思いはエネルギーを持っています。
「気」とも言います。
健康な思いの強烈な「気」を持っていれば人を癒すことができます。
誰でもがすべての弦を持っているからです。
共鳴させれば良いのです。
邪悪な気を持っている人には、かき消されてしまうかもしれません。
素直な人間は正しい気に触れると癒されて行きます。
誰もが、すべての波動にセンサーを持っています。
そして自分もいろいろな波動を発しています。
複数の弦を音楽のように鳴らしています。
ハーモニーが取れていればキャッチしたときに気持ちいいです。
でもハーモニーが取れていないと嫌な感情が起こります。
邪気と言われますが、そういうエネルギーです。
思考もエネルギーをもっています。それを言葉にしたものもエネルギーをもっています。
私たちがもっている邪悪な感情の弦を刺激します。
これは、意思とは無関係に共鳴してしまいます。
共鳴しないためには、心を整えておく必要があります。大音量で愛の交響曲を奏でている必要があります。
波動は宇宙のコミュニケーション手段です。
神様も波動を使ってメッセージを送ってきます。
無数の弦の中のどれかを鳴らして知らせてくれます。そのとき騒々しい曲を奏でているとそれに気づくことができません。
騒々しい曲とは余計な思考のことです。
なるべくすべての弦の振動を最小限にしておく必要があります。
思考を止めて瞑想していると、神様の送った波動の信号をキャッチしやすいかもしれません。
なぜなら、神様は声が小さいようです。
いつ信号を送ってくるかわからないので、たまに色んな波動が入ってこない静かな時間を作る癖を付けておくと良いかもしれませんね。
人の話に振り回されないで静かに自分を見つめる時間を作るべきですね。
私たちは邪悪な弦も善良な弦も全て心の中に持っています。集合無意識の中で邪悪な弦が鳴れば、それに反応して戦争だって起してしまいます。
多くの人が善良な響きの弦だけを鳴らせば平和がやってきます。
外に出ると、いろんな人に出会います。
結構暗い顔をしている人が多いです。
波動は一瞬にして伝わってきます。
頭で考えて評価しているのではないと思います。
もちろん良い気を発している人もたくさんいます。
私がどんな嫌な感じを受けたとしても、私の中に同じものがあるから反応しているわけです。
つまり全ての波動の弦を持っている楽器だということです。
だから善悪の判断を安易にしてはいけないのですね。自分自身の中にもあるものを批判していることになってしまうからです。
外のものが内にもある。
だから、外のものである自分の環境を忌み嫌っては、絶対に自分を愛したことにはならないのです。
自分を愛し受け入れなければ絶対に癒されることはありません。
そして、自分とは、「自分の思いと環境」の両方であって、環境を持っていない自分は存在しないし、環境に不平を言うことなく受け入れなければ、「自分を愛する」ことが、片手落ちになってしまっていることになります。
私たちは誰でも「悪の弦」を持っていて、いつでもかき鳴らすことができます。
自分が全て清く正しいというのは幻想です。
だからどんなものでも受け入れるという態度に目覚めの秘密があるのです。
走り書きのような感じなのでとりとめがないかもしれませんが、一応、私が思いとエネルギーを使ったので、何らかの波動として伝わると思います。
それも、あなたの心の中でどんな弦を鳴らしているかによって伝わり方は違うと思いますが・・・

そもそも思いはエネルギーであり波動です。
波動は共鳴を起して伝わってゆきます。
思いにはいろいろあります。
怒りや、喜びや、悲しみや、愛など・・・
これらの思いを持った時に、心の中でそれぞれに対応する弦が振動しているのだと思います。
そしてそれが波動として周りに広がってゆきます。
私たちの心は、無数の弦が張ってある弦楽器のようなものだと思うのです。
それらの弦で、いつもどんな音楽を奏でているかが思いです。
思いはエネルギーを持っています。
「気」とも言います。
健康な思いの強烈な「気」を持っていれば人を癒すことができます。
誰でもがすべての弦を持っているからです。
共鳴させれば良いのです。
邪悪な気を持っている人には、かき消されてしまうかもしれません。
素直な人間は正しい気に触れると癒されて行きます。
誰もが、すべての波動にセンサーを持っています。
そして自分もいろいろな波動を発しています。
複数の弦を音楽のように鳴らしています。
ハーモニーが取れていればキャッチしたときに気持ちいいです。
でもハーモニーが取れていないと嫌な感情が起こります。
邪気と言われますが、そういうエネルギーです。
思考もエネルギーをもっています。それを言葉にしたものもエネルギーをもっています。
私たちがもっている邪悪な感情の弦を刺激します。
これは、意思とは無関係に共鳴してしまいます。
共鳴しないためには、心を整えておく必要があります。大音量で愛の交響曲を奏でている必要があります。
波動は宇宙のコミュニケーション手段です。
神様も波動を使ってメッセージを送ってきます。
無数の弦の中のどれかを鳴らして知らせてくれます。そのとき騒々しい曲を奏でているとそれに気づくことができません。
騒々しい曲とは余計な思考のことです。
なるべくすべての弦の振動を最小限にしておく必要があります。
思考を止めて瞑想していると、神様の送った波動の信号をキャッチしやすいかもしれません。
なぜなら、神様は声が小さいようです。
いつ信号を送ってくるかわからないので、たまに色んな波動が入ってこない静かな時間を作る癖を付けておくと良いかもしれませんね。
人の話に振り回されないで静かに自分を見つめる時間を作るべきですね。
私たちは邪悪な弦も善良な弦も全て心の中に持っています。集合無意識の中で邪悪な弦が鳴れば、それに反応して戦争だって起してしまいます。
多くの人が善良な響きの弦だけを鳴らせば平和がやってきます。
外に出ると、いろんな人に出会います。
結構暗い顔をしている人が多いです。
波動は一瞬にして伝わってきます。
頭で考えて評価しているのではないと思います。
もちろん良い気を発している人もたくさんいます。
私がどんな嫌な感じを受けたとしても、私の中に同じものがあるから反応しているわけです。
つまり全ての波動の弦を持っている楽器だということです。
だから善悪の判断を安易にしてはいけないのですね。自分自身の中にもあるものを批判していることになってしまうからです。
外のものが内にもある。
だから、外のものである自分の環境を忌み嫌っては、絶対に自分を愛したことにはならないのです。
自分を愛し受け入れなければ絶対に癒されることはありません。
そして、自分とは、「自分の思いと環境」の両方であって、環境を持っていない自分は存在しないし、環境に不平を言うことなく受け入れなければ、「自分を愛する」ことが、片手落ちになってしまっていることになります。
私たちは誰でも「悪の弦」を持っていて、いつでもかき鳴らすことができます。
自分が全て清く正しいというのは幻想です。
だからどんなものでも受け入れるという態度に目覚めの秘密があるのです。
走り書きのような感じなのでとりとめがないかもしれませんが、一応、私が思いとエネルギーを使ったので、何らかの波動として伝わると思います。
それも、あなたの心の中でどんな弦を鳴らしているかによって伝わり方は違うと思いますが・・・