アルミーン~「リニア・タイム(時間という幻想)からの脱出」の感想
一瞬一瞬、起こってくる体験が記憶として残ってゆきます。
それは、いつでも今の瞬間に起こって今の保持記憶となってゆきます。
そういう意味では、時間はないと言えます。
しかし、時間は次元であり、次の今が起こるためには、なくてはならないものです。
変化や動きを作っているものが時間の次元だからです。
だから時間のない世界に行くなどということはありえません。
この一瞬に存在している物理的世界が常に変化しているだけです。
そして、全ての物は波動から出来ていて、究極的には見えない霊的なもので構成されています。
霊的な波動でできた、私たちが物質と感じる世界は実存します。
その波動物質が宇宙に広がっているから、世界が存在するのです。
その見え方は、どんな感覚器官を持っているかによって違ってきます。
しかし、感覚のもとになる波動物質は私たちの五感の周りに広がっています。
ここで紹介した動画の内容のように、時間や存在に対して形而上学的に考えすぎるのは、
物質や身体から意識が外れることになり、まさに意識が宙に浮いていることになります。
それこそ、「今ここ」という現実に生きて居ないことになります。
それはメタフィジカルな観念の世界に、つまり言葉で作り上げた世界に生きていることであり、
「今ここ」に生きるというテーマとしては自家撞着を起しています。
それよりは極端ですが、夢中になって殴り合いをしていたほうが、「今ここ」に生きていることになります。
いくら、物理学の理論を持ち出したところで、非科学的なものは非科学的であり、無いものを有ると思わせる唯心論に偏った考えであり、人間を宗教的な世界に閉じ込めてしまう危険が存在しています。
あなたの目の前のパソコン、あるいは携帯電話は、私たち以外の感覚器官を持った生物には違ったように映るにせよ、とにかく、私たちが身体を持っていて、その周りに物質的な世界が広がっていることは確かなことです。
本当に幻想なら、ハンマーで叩き壊してみてください。その責任は現実世界であなたが責任をとることになります。パソコンの破片が散乱するでしょう。
私たちの生きる世界は「今ここ」の現実世界しかありません。
この場所で問題を解決しながら生きてゆくのです。
もちろん私たちは単なる物質ではありません。
顕在意識と潜在意識をもっていて潜在意識は神の領域に繋がっています。
神は絶対法則であり、その一部が具現化して肉体をもっているのが私たちです。
その身体と心を持ったあなたが絶対者です。
あなたと、あなたの持っている境遇(あなただけの環境)は、あなたにとって絶対です。
あなたは、他の何ものにもなる必要がないのです。
スピリチュアルな観念はあなたを救ってくれません。
あなた自身を救えるのはあなた自身です。
「天は自らを助くるものを助く」という諺があります。
自分で努力しないで、祈るだけの人は助けないということです。
というより、困難を克服する力はもともと神様から与えられていると言うことでもあります。
この現実を自分の力で生き抜きましょう。
「人事を尽くして天命をまつ」という言葉もあります。
そうすれば幸運の女神が微笑むかもしれません。
スピリチュアルとはシンプルです。
自分を信じ、困難とそれを克服する力を与えてくれた神様に感謝し、誠実に生きることです。
他の人より自分はスピリチュアルだと思った時点でスピリチュアルではないのです。
日々気づきがあるのが本来はあたりまえ、全ての物はつながっているのだからシンクロもあたりまえ。
スピリチュアルブームに空騒ぎして自分を失って欲しくないと思います。
ここまで読んで、納得してくれた人もいると思います。
また、心にモヤっとした違和感を感じている人もいると思います。
違和感を感じた人は、何故感じたか観察し分析してみてください。
まあ、「私はそう感じているということだけのこと」だとは思うのですが・・・
応援いつもありがとうございます。
今日、この動画↓をじっくり見てみて感じたことを書いてみました。
一瞬一瞬、起こってくる体験が記憶として残ってゆきます。
それは、いつでも今の瞬間に起こって今の保持記憶となってゆきます。
そういう意味では、時間はないと言えます。
しかし、時間は次元であり、次の今が起こるためには、なくてはならないものです。
変化や動きを作っているものが時間の次元だからです。
だから時間のない世界に行くなどということはありえません。
この一瞬に存在している物理的世界が常に変化しているだけです。
そして、全ての物は波動から出来ていて、究極的には見えない霊的なもので構成されています。
霊的な波動でできた、私たちが物質と感じる世界は実存します。
その波動物質が宇宙に広がっているから、世界が存在するのです。
その見え方は、どんな感覚器官を持っているかによって違ってきます。
しかし、感覚のもとになる波動物質は私たちの五感の周りに広がっています。
ここで紹介した動画の内容のように、時間や存在に対して形而上学的に考えすぎるのは、
物質や身体から意識が外れることになり、まさに意識が宙に浮いていることになります。
それこそ、「今ここ」という現実に生きて居ないことになります。
それはメタフィジカルな観念の世界に、つまり言葉で作り上げた世界に生きていることであり、
「今ここ」に生きるというテーマとしては自家撞着を起しています。
それよりは極端ですが、夢中になって殴り合いをしていたほうが、「今ここ」に生きていることになります。
いくら、物理学の理論を持ち出したところで、非科学的なものは非科学的であり、無いものを有ると思わせる唯心論に偏った考えであり、人間を宗教的な世界に閉じ込めてしまう危険が存在しています。
あなたの目の前のパソコン、あるいは携帯電話は、私たち以外の感覚器官を持った生物には違ったように映るにせよ、とにかく、私たちが身体を持っていて、その周りに物質的な世界が広がっていることは確かなことです。
本当に幻想なら、ハンマーで叩き壊してみてください。その責任は現実世界であなたが責任をとることになります。パソコンの破片が散乱するでしょう。
私たちの生きる世界は「今ここ」の現実世界しかありません。
この場所で問題を解決しながら生きてゆくのです。
もちろん私たちは単なる物質ではありません。
顕在意識と潜在意識をもっていて潜在意識は神の領域に繋がっています。
神は絶対法則であり、その一部が具現化して肉体をもっているのが私たちです。
その身体と心を持ったあなたが絶対者です。
あなたと、あなたの持っている境遇(あなただけの環境)は、あなたにとって絶対です。
あなたは、他の何ものにもなる必要がないのです。
スピリチュアルな観念はあなたを救ってくれません。
あなた自身を救えるのはあなた自身です。
「天は自らを助くるものを助く」という諺があります。
自分で努力しないで、祈るだけの人は助けないということです。
というより、困難を克服する力はもともと神様から与えられていると言うことでもあります。
この現実を自分の力で生き抜きましょう。
「人事を尽くして天命をまつ」という言葉もあります。
そうすれば幸運の女神が微笑むかもしれません。
スピリチュアルとはシンプルです。
自分を信じ、困難とそれを克服する力を与えてくれた神様に感謝し、誠実に生きることです。
他の人より自分はスピリチュアルだと思った時点でスピリチュアルではないのです。
日々気づきがあるのが本来はあたりまえ、全ての物はつながっているのだからシンクロもあたりまえ。
スピリチュアルブームに空騒ぎして自分を失って欲しくないと思います。
ここまで読んで、納得してくれた人もいると思います。
また、心にモヤっとした違和感を感じている人もいると思います。
違和感を感じた人は、何故感じたか観察し分析してみてください。
まあ、「私はそう感じているということだけのこと」だとは思うのですが・・・
今日、この動画↓をじっくり見てみて感じたことを書いてみました。