大いにあり得た中日・清原 | キンタクのドラゴンズ定点観察

大いにあり得た中日・清原

いま、清原和博著「反骨心」を読んでいます。読み終えたらまた感想を書かせていただく予定ですが、取り急ぎ書き留めておきたい一節があったのでお知らせしたいと思います。

「ドラフトのとき、巨人以外でも阪神と中日だったら僕は入団しようと思っていました」

中日とは全く縁がないものと思っていた清原が、なんとあの運命のドラフトのとき、中日が選択権を獲得していれば入団するつもりだったと・・・

清原がプロ1年目の1986年当時、中日の一塁を守っていたのは既にキャリアの晩年を迎えていた谷沢健一。つまり、清原は西武でもそうだったように中日でも1年目からレギュラーとして活躍していた可能性は高かったように思える。ましてや当時の中日の本拠地は狭いナゴヤ球場。西武の森監督のような緻密な野球とは無縁だった山内和弘が監督だったことを考えれば、ホームラン狙いのバッティングに終始し、結果として高卒新人ながら40本くらいホームランを打っていた可能性も大いにあり得たのではないだろうか(山内監督に打撃をいじられすぎて全く大成しなかったという可能性も否定できないが・・・)。

となると、若き4番打者がデーンと構える中日には落合を獲得する必要性が低くなり、ロッテとの世紀の大トレードも日の目を見ることはなかったかもしれない。その結果、落合は93年オフに自身がFA権を行使して移籍した巨人に、7年も早くトレードで入団していたかもしれない。また、清原の人気と活躍で意外と健闘してしまった中日は、山内監督が翌年以降も続投し、星野青年監督誕生までもう少し時間がかかったかもしれない。

数々の「かもしれない」の陰にドラフトあり。
ドラフトは選手の一生を左右する重大なイベントだ。ほんの僅かな運命のボタンの掛け違いで、その後の10年、20年先のプロ野球界の景色を大きく変える可能性をはらんでいる。
だからドラフトは面白い。

中日のユニフォームを着た初々しい清原和博を見たかったような、やっぱり西武でよかったような・・・

サッカーサイトの編集会議中、僕は一人でそんなことを考えていた。

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