自然に囲まれて生活をすると,色々な「なぜ?」「これ,なあに?」に出会います.気持ちにそう思わせる余裕を与えているのかもしれません.都会生活は,御上の通達でマニュアル,ガイドライン,制度・・・同じ方向に一斉の背で右向き,左向きになり「なぜ?」なんて疑問をもたせない仕組みですので,雁字搦めになっている気持ちに改めて気づきます.
 
 顔が十人十色であるように,同じ品種花であっても,一つ一つは人相ならぬ花相があります.たとえばカタクリの花.真ん中に紫のギザギザ模様が見えますが,個体ごとに全部違うのだそうです.「ここにとまりなさい」と虫たちへのアピールです.虫にしたって花ならなんだっていいわけではないですから,虫がとまってくれる花もあればそうでない花もあります.花も個々に努力をしているのです.カタクリは蜜を吸いにくるギフチョウやハチが舞う気温になったときだけ花を開いて,花弁をぐっと後ろに反らせます.こうなると虫たちは,雄しべと雌しべしかつかまるところがないので,花の奥にある蜜を吸うたびに花粉まみれになって,結果的に受粉を助けます(柳生真吾;八ヶ岳だより).
 葉の外形が粗いギザギザなミツバツチグリ,反対にツルッと一本の曲線のコマユミ,よく見ると細かいギザギザになっているジューンベリー・・・今,僕の目の前にある数知れない樹木,なぜ同じところに生えていて,こうも葉の形が違うのでしょう.
 コンクリートやフローリングの平面しか知らないパンチは,最初こそ戸惑い立ちすくんでいましたが,首に繋がれた紐から解放され,好きにしていいことがわかると,土と草葉の上を,小枝の合間を,縦横無尽に小走りしています.
 こんなにもパンチと一緒にいられる時間はなかったように思います.普段は彼が粗相をすると,その都度むかっとしている自分ですが,今は健気に走るパンチの姿に癒されています.このひとときに感謝しなくてはなんて,素直な気持ちにさせてもらえるのはなぜでしょう.都会に戻っても今の自分を忘れないようにしようと思いますが,喧噪に埋もれるとマニュアル生活にのっとることでいっぱいいっぱいになってしまうのでしょうね.
 鳥がさえずります.それも川のせせらぎや風の流れに合わせているかのようです.鳥たちの新婚時代は,これはこれはうるさくて,求愛して巣作りして,ひなが生まれるとギャアギャア泣き叫び,親達は餌の調達にきりきりして,「うっるさーい!」ってなもんです.その根吹きの季節を過ぎて,今はこうして落ち着き,森の穏やかな音響を担当しています.親たちも子育てが一段落して,それまで感じたことのない安らぎをかみしめているのかもしれません.