風に吹かれて

ステージに立った僕は,びっくりでした.

300人入る会場がほぼ満席なのです.


そもそも昨晩の懇親会は,自分を招待してくださった数名の方との会席と思っていたのが,結婚式に使われている披露宴会場のようなところに案内され,部屋の一番奥にある10人掛けの一つ席の空いている円卓に向かって歩きはじめたら,なんと部屋にある8つほどの円卓の全ての人から拍手がわきました.

この会場の全員が関係者で,しかも皆さん立ちあがって拍手で迎えてくださるなんて,しかも入れ替わり立ち替わり傍に来ては「一緒に写真を撮ってください」と頼まれる始末.

きっと,僕が誰だかを勘違いしているんだと思いました.


一昨年,台湾歯科医学会に招かれたときには,意気込んで行ったのは良いのですが,シンポジウム会場のステージに立ったとき,会場を見渡したら視聴者が7名でした.

今回は,そのときよりもさらに立派な台湾国立科学館という厳かな建物の中の会場を用意していただいたのはありがたいですが,こんな会場に7名なんてことになったらどうする気だろうと思い,会場前で僕の足はすくんでいました.


現地語に通訳してくだった二人の方は,台湾の研修医さんでした.講演前の雑談は,ド緊張の僕を和ませてくれました.

「二週間前にスカイツリーに行ってきたんですよ.」通訳の一人の女性が声をかけてくれました.

「日本に行かれたのですか.」

「ええ,しょっちゅう日本には行きます.」

「なんでこんなに日本語が流暢なのですか.」

「日本のアニメやテレビゲームが好きで,それで日本に興味をもったからです.」

日本の“文化“に興味をもち,日本を憧れる若者は少なくありませんともおっしゃっていました.


朝九時の講演会がスタートです.

細かい打ち合わせはほとんどない,ぶっつけ本番のような状況でしたが,日本語をタイミングの良い間をとって通訳してくださいました.

講演会の休憩時間に,控室には参加者が絶え間なく列をなすように訪れ,質問なり,感想なりを告げに来るのです.

昨夜の懇親会といい,今日の講演会といい,こんなにまで歓迎してくださるなんて,この2年間に台湾に何があったというのでしょう.

9時から午後5時まで,日本だってこんな話し続けたことはないのに,講演をやりきりました.

何度も何度も拍手を受け,僕はステージで「謝,謝」を繰り返しました.

「昨年の東日本大震災で,まっさきに援助の手を差し伸べて,多大な人的,経済的支援をくださったのは台湾です.今回の講演は自分にできる精一杯のお礼です.」

最後まで,会場の席は埋まったまま講演会の幕は降りました.



風に吹かれて その日の夜,超高層ビル101でのお料理は,それはそれは見たこともない高級な料理のオンパレードでした.

金箔の器になみなみと注がれたスープの中には,ちくわの形状をした“なまこ”が,まるまると,数本入っています.

僕は,しっかりと笑顔を作って,経験したことのない歯ごたえに目をつむり,息を止め,咽に力を入れて,その都度一気に飲み込みました.

「マンゴプリンとかショウロンポウはでないのですか.」と,お隣に座る台南高尾大学の教授でいらっしゃる先生にコソコソと聞いたところ

「日本の高級懐石料理に,たこ焼きやお好み焼きはでないでしょ.」と言われました.


ホテルに帰り,部屋に入った瞬間に上着をぱっと脱ぎ捨て,そのままベッドに伏せこみました.

目が覚めたときには,朝日がカーテン越しに部屋を照らしていました.

「うつ伏せになって一晩明かすなんて,これは寝たんじゃない,気絶していたんだ.」


二泊三日の帰途につき,桃園空港に向かいました.

台湾の人たちの心遣い,優しさ,笑顔・・語りつくせない胸いっぱいのお土産を携えて

「謝,謝,台湾!」