風に吹かれて

羽田空港に向かうバスの中で、家から持ち込んできた新聞を広げた。

最初に目に入ったのは、ビールケースを台にして、グラウンドを背に応援の音頭をとっている黒ぶち眼鏡の男性だった。

Swallowsのハッピを着て、野球帽をかぶっている。

「この人、あの人だ!」僕は、胸の中で叫んだ。


自分達が結婚する前、彼女の父がヤクルト対巨人戦のチケットを度々くれた。

1塁側のスワローズベンチサイドのものだったが、僕にとっては3塁側の巨人ベンチ内の風景が見え、それに当時現役バリバリだった原タツノリが右打席に立ったときの表情もしっかりと見えるので、席が1塁側であることはありがたかった。

行く度に必ず黒ぶち眼鏡の男性が応援団長として声を張り上げていた。

その方は岡田正泰さんという。記事によると2002年にスワローズの北海道遠征の応援から戻り、急死したのだそうだ。

いまでこそ神宮球場には、スワローズが得点を入れると東京音頭の合唱が鳴り響くのが常だが、最初にスワローズの応援歌に東京音頭を盛り込んだのは、岡田さんだった。

「応援団の仕事はまずファンに楽しんでもらうこと。皆が知っている曲だから。」という理由で東京音頭を選んだという。


風に吹かれて なぜ岡田さんがスワローズの応援を始めたのか。

それはヤクルトスワローズが国鉄スワローズだった頃、1952年結婚前に野球に興味のない千鶴子さんとのデートで、たまたま入手したチケットでスワローズ対巨人戦を見たのがきっかけだった。

3塁側の巨人スタンドは大勢のファンで盛り上がっているのに、岡田さん達が座ったスワローズ側はガラガラだった。

以来、岡田さんのスワローズ私設応援団が始まった。

判官びいきだったのだろう。大勢に反旗を翻したのだ。

結婚後もスワローズ応援の熱意は冷めることはなかった。

試合が終われば数名の仲間を自宅に連れてきては、千鶴子さんがこさえた食事を振る舞ったという。


原タツノリがホームランを打った瞬間、僕は立ちあがり両こぶしを天に振り上げ「やったー!」と叫んだ。

この席は、スワローズ側。「しまった」と我に返り、右隣を見ると、いとも涼しげに“焼きとうもろこし”を食べている彼女がいた。

この感動的な瞬間になんと不謹慎な!

スワローズの攻撃で得点が入ったときに、ビールケースに立った岡田さんの威勢のよい応援が始まった。

「この際ですから、ジャイアンツファンの人も、御声援よろしくお願いします。」という岡田さんは、スワローズの1塁側に座っている観客のほとんどが、ジャイアンツファンであることぐらい、重々承知していたのだろう。


岡田さんが亡くなって10年が経つ。

今も神宮球場には、東京音頭が鳴り響く。

中には、野球に興味の無い彼女が渋々、彼氏につきあっているカップルも観戦していることだろう。