世の中が止まってしまったようです。

食料、燃料の調達、情報の伝達・・・・

16年前の神戸の地震とほとんど変わってない気がします。


インターネット網が発達した。

携帯電話が普及した。

神戸の地震の時はなかったものです。

あったとしてもごく一部の人が使えるもの。

そんな存在でした。


テレビで見ていると

仮設電話に列をなして

親類、知人へ無事の連絡を入れる人。

安否確認の情報を取得する人。

公衆電話に並んだ1995年当時とほとんど同じ様な・・・・


通信手段が飛躍的に進んで

何のことやらわからんものまで溢れる現在。

でも、この災害時にはあまり役立ってないような気がします。


もちろん、公的機関や医療機関では

当時とは遥かに違う情報伝達力なのかも知れないけど

一般家庭ではどうなんだろう・・・・・


神戸の時も思ったけど

テレビカメラを持ち込む力があるんだったら・・

マイクを向ける余裕があるんだったら・・・

なんで食料や医薬品を持ち込まないんだろう。


今、必要なものはなんですか?

なんて平気でインタビューするマスコミには

憤りを超えてあきれてしまうところがある。

神戸の時と全く同じじゃないか!って。


避難所から中継です。なんてやるヒマがあったら

水でも運べよ、肩でも揉めよ、食料探しに行けよって思っちゃう。


義援金や救援物資でも同じようなことなんだろうな。

神戸の地震の時に、

いろんな企業や団体から援助を頂いたことは感謝してます。

でも、こんなこともあったのも事実。


「神戸市に救援物資を送りたいけどどこへ送ればいいのか?」

「今は送られたものを仕訳して輸送する手段が限られている。

もしも、送るのなら各避難所にトラックを横付して

直接配るのが一番早いし、一番助かるはず。」

「それでは送った証拠や名前が残らない。」


義援金も一過性のものではダメだと思う。

今は災害の衝撃でいてもたってもいられない。

人間として何かをしなければ・・・・

これは当たり前の心理で、人間らしい行動だと思う。


でも、半年後、1年後、2年後も同じ活動ができるだろうか?

継続して義援金活動をして、

被災者が完全復活とまでは言わないけど

自立した生活ができるまで善意の手で

支えることができるのだろうか。


今の被災者は目の前の不安、恐怖と戦っている。

でも、避難所と言う基地がある。

食料、飲料水、医薬品も潤沢とは言わないが

ある程度の供給はあるし、餓死する危険性は少ない。


問題はその後。

やがて避難所退去の命令が出るだろう。

その時に収入を得る手段があって、家を手当てできる人はまだいい。

それ以外の人は田畑が再生できるか?

会社が存在しているか?住む家を確保できるか?

100%の人が仮設住宅に入れるかどうかもわからない。

その時にどうやって生きて行くか?

ここを何とかしないと・・・・・


全くしないよりはする方がいい。当然だ。

でも、大事なのは喉元過ぎれば何とやら

今回の災害に限らず、事件は風化するもの。

根気強く、継続性のある支援活動が行えればって思う。


原発の事故が二次災害として心配されているけど

誤解、批判を承知で書けば

これだけ24時間、光に包まれて

これだけ便利で不自由のない電力を消費していれば

便利さと引き換えにリスクも伴うのは

世の原理原則からははずれていないのかも知れない。


改めて思うな。

快楽、娯楽への欲望は果てしなく広がり

それを満たすためのものはどんどん発展している。

でも、逆の危機的状況に対する開発は進歩がない。


安政の大地震や大正の関東大震災と同じとは言わないけど

少なくとも神戸の地震を経験した目で見ると

今回の被災者への対応、危機管理は全く同じだな・・ってこと。


利益を生まないもの。

目先の経済活動には関係ないもの。

ほんとこれらはおざなりになってると思う。


自然はどんどん僕らに課題を突きつけて

本当にそんな社会でいいのか?って

問いかけてるんじゃないだろうか。

神戸、新潟、東北・・・・・・・

次はどこに匕首を突きつけられるのだろう・・って思う。


さて、プロ野球は開催されるのでしょうか・・・・・

電力供給、交通手段、開催施設・・・・

これら物理的な障害があって難しい。

それは当然だと思う。

仙台で今月に開幕戦を行うのは無理があるだろう。

ただ、自粛的なムードはどうなのかな。


水も電車もロクに使えない、

家を再建するにはどうすれば・・・・

なんてことばかり考えてた1995年の僕には

楽しいことがほとんどなかった。


そんな状況の中で選抜高校野球が開催される。

プロ野球も予定通り行われるってニュースは

すごく嬉しかったことを覚えています。


いろいろ、難しい問題もあるだろうけど

できるもの、できること。

これを実行するのも必要かなとも思う。