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希望と光のブログ

思いついたことを書いていきます。

念を跳ね返せ

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~疎外感や孤独を感じている人たちへ~

パソコン教室を営んでいる

和田基博と申します

 

 

 

 

 

 

誰かに会った時、こちらが挨拶をしても不機嫌そうな顔をして無視する人がいます。

 

 

 

 

まあ、どのくらいの間柄かというのも関係はしますが、たとえ知らない人であっても

 

挨拶されたら、こちらも挨拶を返すようにしています。

 

 

 

 

それを普通の事として押し付けるつもりもありませんが、気がつかないフリをされた

 

と何もなかった様にすればよいのですが、明らかに嫌そうな顔をされれば

 

やはり不快には感じます。

 

 

 

 

 

不機嫌を人に向けるというのは、それはネガティブ感情に支配され

 

人に八つ当たりをしているだけで、カルマを作ることであり、

 

それを解消するのは浄化です。

 

 

 

 

人に対してマウントを取る、人を妬み貶める気持ちに支配されて攻撃したりする、

 

こういった出来事に出会った時、恐れて何も反応しないとか、理不尽さを感じて

 

怒りを返す、また逆にどういった感情が湧き出て来るのかじっくりと向き合い、

 

どんな気持ち、感情になるのか、それが俯瞰して見ることが出来れば、

 

そういった感情も自分にあることを認め、赦すまで導き出せるか、が、

 

どういった行い、行動をするのか、が、岐路となるようです。

 

 

 

 

 

闇を照らしだす光を発することになり、カルマをダルマに変えることになるのです。

 

 

 

 

なかなか気づきにくいものですが、それも全て自分の内にあるものです。

 

 

 

 

 

感情を見て、怒りや悲しみを味わい向き合うことで、自分の中にあるものを

 

赦していくことが大切だと高次の存在は云うのです。

 

 

 

言葉で言うのは簡単ですが、実際はその傷やトラウマが大きいほど、

 

時を必要としたりもします。

 

 

 

 

 

どうしても許せない、極端な悲しみや怒りが妬み嫉妬、それが増幅した

 

憎悪に支配され、魔に吞み込まれ食われないように、自分の内にある

 

魂の光を忘れないようにすることです。

 

 

 

 

波動を高く、というのは自分の外に在るものを欲しがり、物質に囚われた

 

エゴで自己中心的な欲にまみれたものではなく、その基本は愛と光です。

 

 

 

 

 

 

愛は自分にも他にも優しい事、博愛や慈愛、無償の愛と呼ばれるもので、

 

気持ちの上でそこに損得は存在しません。

 

 

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光は軽く明るい気持ち、例えば赤ちゃんや子供、小さな動物などを可愛いとか

 

守ってやりたい、誰かが困っている時に助けたい、何か人や他のために

 

自分に出来ることをやってあげたいといった気持ちです。

 

 

 

私の場合、瞑想やそれぞれのワーク、神仏へのお参りが光へと導いてくれる

 

メソッドとしてあり、ワクワクして楽しいから続けてやっています。

 

 

 

 

それが私の心に安心、安全、安寧を感じられ心に余裕、ゆとりが生まれるような

 

気がするのです。

 

 

 

 

過去、仕事を通じて知り合ったE氏が私を恨み、私に近しい人たちを呼び集め、

 

私がどんなにひどい人間かを言い続け、その人たちの正義感という感情に訴え

 

仲間にして監視し行動をことごとく話し合って馬鹿にし、話した内容が

 

事実と異なっていようとも、その部分だけを取り上げ悪評を流して噂にして

 

貶めるといった世間的にハラスメントを30数年経った今でもやっているようです。

 

 

 

 

 

ハラスメントというのは人権も人格も否定して、「すべてのことはお前が悪い!」

 

というレッテルを貼り、存在そのものも傷つけていくものです。

 

 

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その仲間たちに加わったものは踏み絵を踏まされ、真実がどういうものか、

 

それが知られるとどういうことになるかの贖罪を心のどこかに持たされ、

 

無意識に恐れるあまり、私が知らない人物さえもその牙を事あるごとに

 

ヒソヒソ話やマウントを取ることで仲間外れ意識を私に向けてきました。

 

 

 

 

 

昨日とあるメッセージを受け取りました。

 

 

 

呪いを受けているのならお祓いをし、その念を跳ね返しても構わないと云うのです。

 

 

 

来るなら来い!くらいの強い気持ちでいて良いとの言うのです。

 

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まあ、マントラによっては、念を込めれば呪いになるものもたくさんありますが、

 

神仏の前で「御教え」を光として唱えた方が波動も高く、若い頃は怒りに任せて

 

一心不乱に経やマントラを唱えたこともありましたが、それはいくらやっても

 

結局は不毛なことのように感じるようになっていきました。

 

 

 

「御教え」も最近では祝詞に出て来る「世のため人のため尽くさしめ給え」が

 

シンプルですが言霊として元になっているように感じています。

 

 

 

般若心経にあるように「無・眼耳鼻舌身意」で五感と意識の6根で感じているものは

 

「無い」の意味が何となく理解できたように思ったのです。

 

 

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朝のお参りで警蹕をしている時、意識は自分のいる場所から空へ飛びあがり、

 

宇宙空間から落ち着いた気持ちで地球を見ている時に、そのメッセージはお試しでもあり、

 

相手と同じところまで落ちていくのか?という言葉が思い浮かんだのです。

 

 

 

時にはそれが必要な時期があるのかもしれませんが、それよりも神仏や

 

宇宙の愛と光を感じて、生きていること、生かされていることへの感謝を覚え、

 

気持ちも明るく楽しいことを考えたり、やった方が、生きている実感が

 

湧くのを感じるのです。

 

 

 

 

最近も「死んだ方が良い」とか「生きているのが辛い」とか、思わぬ人から

 

打ち明けられたりして、私は微笑むことしか出来ませんでしたが

 

私が居るだけで愛と光で癒しを感じてもらう機会が

 

与えられたような気がするのです。

 

 

 

 

 

 

少しでも、何か参考になったとか

興味があるとか気が落ち着いたと
思って下さると幸いです。

 

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