kamipro 155 (2011)―紙のプロレス (エンターブレインムック)/著者不明

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故・ジャイアント馬場さんやアントニオ猪木の好敵手として活躍した日本を代表する悪役プロレスラー、上田馬之助さんが21日午前10時7分、大分県内の病院で呼吸不全のため死去した。71歳だった。
交通事故で第1級身体障害者となりながらもプロレスへの情熱を失わなかったまだら狼が、戦い続けた生涯を終えた。

初めて馬之助さんを知ったのは、小学校低学年の頃。
新日本に参戦し、狂虎タイガー・ジェット・シンとのコンビで猪木と抗争していた時代だ。

そして、馬之助さんの真の姿を垣間見たのは、86年。

当時、 盛り上がりを見せていた『UWF軍との5対5のイリミネーション・マッチ』

新日本正規軍として参戦していた馬之助さんは、人気絶頂だった前田日明のミドルキックの連発どころか側頭部へのハイキックさえも平然と受けて見せ倒れず、勢いをつけたフライング・ニールキックでようやく倒れた。

UWFの人気が盛り上げるにつれ、『シュート』、『ガチンコ』等々の言葉が日常的に使われる様になったが、実際の試合でそれを体現したのは、この人が最初でないだろうか?

96年3月、巡業中の交通事故で頸椎(けいつい)を骨折。頸髄(けいずい)損傷で第1級身障者となり、以後、車イスでの生活を余儀なくされていた。

晩年は、『紙のプロレス』を中心にインタビューに登場する事も多かった。
インタビューを読むとプロレスラーとしての矜持に最後まで拘っていた真の職人であった事が窺える。
プロレスラーとしては元より、仕事に対する姿勢にも深く感銘を受けた覚えがある。

ご冥福をお祈りいたします。