BASCOのブログ -8ページ目

好きな科目(主要5科目)

1位~数学
数検準2級(高1レベル)持っているし、算数の時から好きである。大学の時に取った上記資格だが、まさか役立つような仕事に就くとは、当時は思わなかった。


2位~社会
小6で歴史やるようになってから、好きになった。中3の時に公民を習ったが、担任が社会担当で授業が面白かった。地理も小5から嫌いだったが、この仕事をするようになって、好きになった。因みに自分は方向音痴ではありません。


3位~英語
小学校時代は英会話に行ってて中学の予習が出来たし、中1の時の英語の先生の授業が面白かった。大学時代は、触れる機会が多かった。何かと縁ある科目です。


4位~国語
滅多に読書をしないが(雑誌は読むが)、文読むのは嫌いでは無い。「自分の本を書くという志」は、今でも捨てていない!←国語の話を全くしていない件。


5位~理科
化学&物理の1分野は好きだが、2分野は…。


とまあ、こんな感じです。「オールマイティーな塾講師」よりも「一芸(数学)に秀でた塾講師」を目指す!

98年度後期生活委員長になるまで(後編)

後期最初の生活委員会が始まった。

担任との約束通り(因みに担任は、生活委員会担当の先生だった)俺は、委員長に立候補した。

が、ここで飛んだ邪魔が入った。

「ケッ!飛んだ邪魔が入ったな!」(←勝利マンが一度言ったような気がする台詞)

隣のクラスの前期生活委員長(女子)が立候補したのだ。人生は、常に障害があるもの邪。

勝負は、多数決に持ち越し…。多数決には、勝ったことが無い自分。

小6の時は「学芸会の主役」で負け、中1の時は「図書委員」そして「球技大会の種目(当時の部活の種目)」で負けた。
いつも、やりたいことが多数決で負けたが為に出来なかった。生活委員長は、担任からの提案とはいえ、だんだん「やりたい」という思いに変わってきた。負けるわけにはいかない!

結果は、僅差ながらも勝利!後にも先にも多数決で勝ったのは、この時だけだな。
サークルのスピーチ大会(バスコ先生の引退試合)では、学内の人数枠が決まっており、それを某友人に選定して頂いたが、それは多数決では無い。

多数決に勝てないということは、俺ってよっぽど人気無いんだな。高校時代も何か案を出しても、多数決で負けたし。

だが、この時の「多数決初勝利」は大きかった!後期生活委員長として、そして受験生として、第一志望校合格に向けて、受験シーズンを闘っていくことになった!

以前ブログに「10年前の闘い」というカテゴリーで受験シーズンの話を書いたが、再度新たな視点から書いていきたい。
今年は受験生の生徒が多いし、去年生徒が不合格になったリベンジにも燃えている!それが故に、「第一志望校全員合格」を果たした瞬間、俺は泣くであろう。

ただし、生徒の前では泣かないようにする。

98年度後期生活委員長になるまで(中編)

担任に職員室に呼ばれた。
最初は別の話だったが、さりげなく本題に入り、「前期学級委員長個人攻撃」の件を諭された(怒られたわけでは無い)。

担任の言葉
「委員長にも立場って物があるし、個人攻撃は良くない。
○○の考え方(勉強に対する姿勢)は正しいのに、やり方(個人攻撃)が間違っている。」

それでハッと気づいたね。
女友達に担任に言われたこと話したら、担任の言ったことに同感し
「勿体ないよ。」
と言ってくれた。

俺も俺で、学級委員長になる資格は無いな。この件は、諦めた。で、前期学級委員長を批判するのは、辞めた。そして、俺がきちんと謝ったわけでは無いが、次第に前期学級委員長との関係は、以前のように「女友達」に戻った。
それに前期の学級委員長は序の口に入る程、授業態度の悪い奴が多数出て来たから、そいつらと徹底的に戦うことにした。

さて、話は一気に夏休み明けに飛び、いよいよ後期の委員会を決める時間になった。
クラス内の役職で面白い動きが2件。


前期学級委員長→後期生徒会長(彼女の悪い所を感じなくなったし、良い意味で驚いた)

前期生徒会長(鈴木四郎と丸尾を足して2で割った感じ)→後期学級委員長


俺は、後期も生活委員に立候補し、無事委員会に入れたが、なるまでに一つ障害があった。

もう一人なりたい奴(友達ではあったが、俺の怨敵とも友達で、生活委員の仕事上、厳しく遅刻チェックをする俺には反対派だった)がいて、決める前で担任含めて3人で話し合ったが、担任の鶴の一声。

「生活委員やるなら、生活委員長をやらなきゃな。」
俺は、驚きはしたものの、「生活委員が出来るなら」と思い、それでも構わなかった。結局、相手は「モチベーション」が俺と違ったのか、それを聞いて辞退してしまった(苦笑)。
「この時点で一度も勝ったことの無い」多数決や、じゃんけんよりも、良い決め方だったと思う。仮に事前に話す場面が無くても、担任なら最善の方法で決めていただろう。

こうして晴れて俺は後期も生活委員になったのだ!

まずは、生活委員長等の役員を決める1回目の委員会が始まった。
(続く)

98年度後期生活委員長になるまで(前編)

98年(当時中3だった)前期の生活委員(ただの生活委員)だった自分は、後期に「学級委員長」になる作戦を立てていた。

理由は「前期の学級委員長(女子)の授業に対する姿勢が気にくわなかった」から。何が気にくわなかったか?以下の2つ。


1、「授業中ポケベルを鳴らす」
最低限のマナーを守っていない。

2、「授業で当てられた時、自分が答える番なのに他の人に答えを聞く」
俺から言わせれば「せこい」!てめえの問題は、てめえでやれ!当時、授業中以外でも「授業態度悪い奴」及び「個人的に嫌いな奴」には、勉強聞かれても絶対に教えなかったくらいだったから。

では、何をしたか?いじめは嫌いだし、別に悪い奴では無いが、やり方が気にくわないので、真っ向から批判した。

「俺が後期の学級委員長になる!」←これは、野心タップリでカッコイイから、まだ良い。
「お前みたいな「せこい」のが学級委員長では駄目だ!」←これは言い過ぎ。



隣の席の友達に「天罰が下るぞ」と言われ、聞き流していたが、やはり担任に呼び出しを喰らってしまった。
(続く)

死の連勤23日目に対する意気込み

母親が、日帰りで来て、俺がいない間に机の中を勝手に開けるという事件が勃発!見られたくない物が間違いなく見られた!バスコ事務所に帰って来て判明した。

ざけんな。忙しいし、電話もしたくないから、メールで済ます。電話来てもグレート無視作戦で行く。人の心に土足で入る人の気が知れない。月末泊まるけど、この件が解決しなければその日は、帰るつもりは無い。俺が一晩過ごせる所など、いくらでもある!

余計な所で邪魔が入ったが、朝は生徒の受験会場行く。そのまま仕事行って、完全バスコターン(生徒も誰もいない時間)で出来る限り仕事をする。そして、運良く今日はバスコターン(上司不在)なんで、余計な心配は、しなくて良い。

それにしても、自分のことだけに集中したいのに、邪魔しやがって!自分のことで精一杯なのが分からないのかね。

確かに前職を辞めることが出来たのは、両親のおかげ(詳しくは二年前の今時期に書いた話を参照)ではあるけど、それとこれは話が別。

半分は自分が悪いけど、余計なストレスが溜まった。汚い文ですみませんでした。