BASCOのブログ -7ページ目

12年前の闘い(後編)

面接は集団面接(4人)。周りは同じ学校の生徒質問もしっかり返し、自己アピールを真っ先に手を挙げて言う等、一番目立った自信がある。だが、面接で何処まで加味されるか分からない。教室に戻ったが、担任とクラスのほぼ全員が見ている前で肩を落とした。

卒業式で、母親が担任に挨拶をした際…

「(入試)駄目かもしれませんが、今までありがとうございました。」

と言ったら、担任は…

「大丈夫だと思いますよ。」

と答えてくれたらしい。自己採点の点数は、学校にも提出したが、中間点絡みで採点不可能な所は、「何点~何点」のような書き方をしたんだ。担任は、それを見て大丈夫だと判断したのだが、果たして…。

日に日に迫る合格発表の日。ついに合格発表前日になった。その日、早く寝た(夜9時頃)のはハッキリと覚えている。

合格発表当日。父親が仕事を抜けて、送ってくれた。だが、発表まで少々時間があったので、車の中で待つことに。

ラジオでヒステリックブルーの「春」が流れた。
「落ちたら、この歌も「冬」に感じるようになるな。」と思った。

父親が「ジュースでも飲むか」と言ってくれたが、そんな心境では無かった。

落ちたら落ちたでショックがでかい。すべり止めの私立に行くことになるが、真面目に授業しなかった奴らが合格して(同じ高校を受験した生徒にはいなかったが)、俺が落ちる…。ふざけんな!!

時間が来た。一人で行くつもりだったが、父親が「俺も行く。」と。反対したが、結局一緒に行くことに…。

父親より先に、自分が番号を確認した。自分の番号が…あった!!父親の方を振り返り、ガッツポーズをした!!!!

父親も番号を確認し、二人歩いて車に戻る途中、人生初の嬉し涙を流したしょぼん一粒だけ涙を流したのだ。合格した時は、母親に電話することにしていた。電話を入れて、母親の祝福を受け帰宅家私立だけ受けたクラスの友達(mixi外だが、今でも接点がある)に即電話。「受かったら電話する」と言ってたのでニコニコ友達も合格したら遊ぶ約束をしたにひひ

合格通知や書類が学校に届く為、合格した生徒のみ、午後から学校に行くことになっていた。嫌なシステムだ。不合格者が一発で分かるのは、どうかと…。

クラスで公立受けたのは、約18名いたが、合格者は8名程だった。

担任が来て「始めます。」と言われた時、びっくりした。悪魔超人編で対抗戦を終え、キン肉マンと合流したブロ様の心境に近かった。(←テリーマンが帰って来たアレです)

「入試前日に俺を庇ってくれた友達、俺が好きだったあの娘、中1から仲良かった友達…。駄目だったのか…。」

担任が合格者全員に言った。
「落ちた生徒の分まで頑張って欲しい。」←ファイトクラブ3期生の竹中も同様の事を言ったが、まさにそうだと思う。

そして、落ちた友達は残念だったが、学校帰りに合格した友達五人(内クラスの友達は一人)とコンビニで買い物することにした。家が逆方向の友達(某マイミク)もついて来たんだよなにひひ

この合格で人生変わった。新しい友達が出来て、良い先輩や後輩にも出会った。そして、先生も良い先生が多かった(嫌いな先生は、約一名しかいなかった)。
今でも連絡取っている人が多数にひひ本当に良い高校だったよニコニコバスコというあだ名も広めることが出来たしキラキラやはり、頑張れば良いことがあるんだチョキ


あれから12年後の今日は、生徒の合格発表。全員が合格していることを祈るしかない。

12年前の闘い(中編)

3月。公立入試の前日、クラス全体にばれたくないことが、ばれそうになり(気になる方は、教えますので直接メッセージ下さい)、何とかごまかした。フォローしてくれた友達がいたこともあり、回避するが心は沈んだままだった。
そんなこんなで迎えた入試本番。幸いにして同じ中学から受けたほとんどの男子生徒は、同じクラスだった約一名を除けば味方だったんで、安心した。
当時敵対していた、隣のクラスの友達も後になって「入試の時は心強かった」と言ってくれたし、周りに恵まれていた。
しかし、やるのは自分。1時間目の国語の時間に前日のことが頭をよぎるが、それを振り払い試験に挑んだ。

以下自己採点の総評。
国語…漢文が出たのが救いだった。全問正解キラキラ中間点絡みで正確な点数が分からなかったが、普段の自分の実力が出せた。

数学…野性の勘で答えた問題が一問あったが、正解。その3点は大きかった。落とした問題があったが、悪くない点数。

社会…中3になって学力テストの点数が上がった科目だったが、意外に伸び悩んだ。

理科…ノーコメントでお願いします。

英語…俺を苦しめた長文。最後の学力テストは19点(60点満点)という悲惨な点数だったが、塾に行っていないながらも、小3から続けていた「某自宅で勉強出来る教材「で克服。力を十分に出せました。

合計点…やはり全体的に伸び悩んだのか、合格ラインか微妙な点数。

とにかく、翌日の面接に懸けることにした!

12年前の闘い(前編)

※先に「生活委員長になるまで編」を読むことをお勧めします。


1999年1月。志望校(公立普通科)合格に向け、俺は燃えていた。学年末テストはまずまずだったが、学力テストで大きく点数を落としてしまった。結局、最後の内申点は二学期と変わらず、学力点もそのままでは、合格が危うかった。しかし、志望校を変えるつもりは、全く無かった。


2月。倍率が発表された。さして高くない倍率に、ホッとしたものの、油断はしなかった。併願校(私立普通科)の入試が終わった。合格発表は、まだ後とはいえ、私立のみを受験した生徒は、クラスの大部分だった為、授業が荒れることがしばしばあった。受験が終わってホッとする気持ちは、今となっては分かるが、当時まだ受験が残っていた身としては、迷惑な話だった。邪魔する奴らは当然、俺の敵とみなした!

ある日、その年で定年を迎える先生が、授業の煩さのあまり、教室を出ていったことがあった。それで、学級委員が謝りに行こうとしたが、俺は「待った」をかけた。

(煩くした奴らに対し)
「何で、お前らが謝りに行かんのだ!!!

混乱するクラス。ハッキリ言って表立って反発する人は、俺しかいなかった。それでも、俺が言うしか無いだろう!勝つ為なら、正々堂々と何でもやっちゃるけん!だが、収拾がつかないので、結局学級委員が謝りに行き、先生は戻って来た。それでも納得しかねる俺であった。

俺が学生時代の時に嫌いだった言葉…長い物に巻かれろ(社会に出てからは仕方ないが、当時は許しがたいものがあった)

牧村(家なき子2の準主役)の台詞邪ないけど、

「長いものを見ると、解きたくなるんや!」

そんなこんなで、敵を沢山作りながら、受験戦争を闘ってきたの邪!
(続く)

第20話 Bブロック2回戦第1試合

バスコSG&バスコテリー(マシンガンズ20011 ) 対 合狩&具冷(名参謀軍団)


SG&テリーが合狩&具冷にツープラトン技「SGテキサスドッキング」を喰らわせるが、起き上がる合狩&具冷…。


すぐさま「ダークネス・デス・エンド」でSG&テリーを倒した。ダウン中のSG&テリー…。消滅させようとする名参謀軍団の二人だが…。





その時、謎の男が光を放ち、名参謀軍団の目を眩ませた。無事、SG&テリーを避難させた謎の男。この男の正体は…?


具「どうやら、トーナメントにエントリーされていない奴のようだな。」
合「バスコレッドの前に、何としても奴を仕留めなければ…。」


一方(通行)、無事回復したSG&テリー。控室で謎の男と会話する。

S「すまなかったフォー。」
テ「しかし、俺達を助けてくれたユーは一体誰だ?」


謎の男(以下「ジ」と表記)が遂に正体を明かす…。





ジ「私の名前は、バスコジーニアス。バスコレッドに頼まれてここに来た。天才だから、この後の展開もお見通し。私は、トーナメントに参加する!」
テ「しかし、エントリーされていないだろ…?」
ジ「フッ。どうかな。」


その時、次が試合のバスコイエローが控室に入って来た。

黄「あかんな。バッファローの奴、店が忙しくなって帰っちゃったよ…。パン本部長が言うには、試合前に代わりを探せば、次の試合も出れるみたいだが…。さすがに負けた人は、駄目だよな。誰でもええねん。ええねん。」
ジ「私で良ければ。」
黄「おおっ!見るからに天才やねん。ええねん。ええねん。俺は、バスコイエロー。宜しくな。」
ジ「私は、バスコジーニアス。バスコレッドの古くからの友人だ。」
黄「そいつは、ええねん。ええねん。邪あ、本部長にエントリー申請してこよう。」





無事、申請が通り、Bブロック2回戦の試合は、


バスコイエロー&バスコジーニアス 対 バスコグレー&バスコボルドー


に決定しました!
(続く)

好きな科目(実技4科目)

1位…体育
何と言っても球技。中学時代の部活の顧問の熱血鬼監督が体育担当(女子担当だが見える所にいた)でやり辛かったが、楽しかった。
あと中学校の外周では、長距離が得意なのもあり、早かった。
サッカーでは、他のクラスとの試合中に、ファールで得たPKを蹴り(本当は嫌だったが、皆が後押ししてくれた)、他のクラスの敵がGKということもあり、プレッシャーがあったが決めた。
あと別の試合中に、同じクラスの相手チームにやはり敵がいて、挑発してくるもんだから、CKをそいつ目掛けてぶつけてやったこともあった。「目には目を。歯には歯を。」やられたら、やり返すのは当然。なぜなら「○ム○ビ○典推奨委員長」だからね。
高校では、高1のサッカーで「GKなのに攻めて、ダイレクトで30mのシュート」を決めたことや、高3のソフトボールで三塁を「長嶋」とほざきながら守り、人生二度目のサヨナラヒット(一度目は、小学時代の室内練習中、味方同士の試合で決めた)を打ったことが記憶に残っている。


2位…音楽
皆さんご存知の通り、歌が好きで上手い先生。小学校時代から、頑張って歌うことで好評価を貰って来た。
中1の1、2学期と5段階で3の評価だったが、学年末で4がついた。当時は相対評価(1~5までの人数が決まっている)だったからね。それ以降、4以外ついたことが無い。中学時代の体育と同じく「バスコ先生が一番嫌いな人物」(上記の2名とは別の人)と乱闘騒ぎを起こしたが、相手の方が悪かったので、評価には影響無し。
もし「ウチの子、音楽苦手なんです。」という方がいましたら、ご相談下さい。好評価つくのは簡単です。但し、器楽は苦手なので、歌しかアドバイス出来ません。


3位…技術・家庭科
被服は嫌だった。テストの点数が取れたから、良かったようなもんだ。
思い出すのは、中2の技術の時間に

「乾電池をいくつも、直列繋ぎをして、豆電球と電池を駄目にしたので、先生に怒られちゃったよ事件」

と、中3の技術の授業で、パソコンで絵を書く自由時間が与えられ、当時の自分の受験番号(86番)を書いたことが印象深い。


4位…美術
好きでもセンスが無い。皮肉なもん邪。やはり、中1時代、クラスメート(当時の敵。後に和解。)と乱闘騒ぎを起こした。



何か、乱闘のことばっか書いて本題に触れていない気がするが、面白いので良いでしょう。今日の記事は、自分の中で会心の出来。