こんばんは
殿山泰司をはじめ、戸浦六宏、佐藤慶、大泉滉、梅津栄、大杉漣、六平直政、温水洋一、酒井敏也らの個性派男優好きの百合若です
殿山泰司のエッセイの特異な文体について糸井重里氏は
「昭和軽薄体の父が嵐山光三郎であるならば、そのまたまぶたの父は殿山泰司である」とし
①である体と、ですます体の見事な調和
②箇条書きの的確な使用
③カタカナ、アルファベットの当を得た(音楽的にして肉体的な)用い方
④観念から具象へのイメージの雪崩こみ
⑤「」を用いずに直接話法を挿入する画期的な試み
⑥時おり文尾に付けられる「ほんまかいな、クソジジイ」等の、自己解体のレトリック
こうした多様な修辞法を縦横無尽に操って書かれた文章が1969年当時に発表されていたのは驚きであると『日本女地図』の解説で書いています
『JAMJAM日記』解説の山下洋輔氏も「ヒヒヒヒ」「うーん!!」「ヒクヒク」「キャンキャン」「バカヤロ!!」などの殿山擬音語の使い方に注目し、ジャズの演奏現場におけるドラムスの合いの手ではないかといい、その文章を「多重人格的集団即興演奏」と名付けておられます
そう、殿山泰司は革新的な文体を創案した名エッセイストでもあるのです
その風貌から単なるエロジジイだと思っていた方は深く反省していただき、今はちくま文庫で殿山さんの本が読めるようですからぜひご一読願いたいです
めちゃくちゃおもろいで~、イヒヒヒヒ
装画:和田誠
解説:吉行淳之介
発行:昭和55年4月15日
定価:360円
講談社
盟友・乙羽信子のこと
…会えばしみじみハナシをする女優にいたっては、乙羽信子ただ一人である。おれは女と会うとすぐセックスのことを考えるから、女とはトモダチになれないんだ。女がおれの情婦になるか、おれが女のヒモになるか、どっちかである。オカジのことをいつか、失礼、オカジとは乙羽信子のことであります。素ッ裸の乙羽信子と一緒にオネンネしてもおれはヤラナイと、何かの雑誌に書いたら、オカジに、失礼なッ!!とプンプンにおこられた。おこることはねえと思うんだけどな。おれがヤラナイと言えば、喜んでくれるものとばかり思ったのに。ああ女はわからない。乙羽信子はおれよりも稼ぎのいいヒトであるから、どこかへ一緒に飲み食いに行っても、おごってもらうことになっとる。これもよく付合う原因のひとつ。おれの生来ケチなのはご存知ですね。おごってもくれないババアの女優と歩く男性は、この人間社会には存在しない。…
(本書より抜粋)
解説:金井美恵子
発行:昭和55年4月15日
定価:360円
講談社
解説:山下洋輔
発行:昭和58年11月25日
定価:300円
角川書店
月 日
昼すぎに箱根から家へ帰ったらババアが「今朝なアNETのモーニング・ショウから電話があってな、出てくれエいいよんねん、それがなア夫婦で出てくれエいいよんねん、そんなこというたかて、あのヒトは、ヒトリモンやでエいうたら、えッひとりもん?だって、だって、あなた奥サンじゃあいんですか?といいよるから、そりゃまア奥サンといわれれば奥サンみたいなもんやけど、とに角あのヒトはヒトリモンやでエ、そういうたらな、向こうはフウハハハと笑って電話ア切りよったがな、それでかまへんのんかア?」というので、オレは「うん、それでいいのだ、よくやったぞ、ベリー・グウ!!」とほめてやった。こんなシーチョーなことをいっているけど、ほんとうはオレも小型の火宅の人なのである。檀一雄「火宅の人」には、身につまされて身のおきどころがなかったくらいだ。身辺のゴタゴタした人は是非お読みになるべきだと信じます。他人さまの地獄のようなゴタゴタを知ることによって、自分のゴタゴタを軽く思うようにするのです。これも読書の効能のひとつだと思います。
(本書より抜粋)
『日本女地図-自然は、肉体にどんな影響を与えるのか』
装画:和田誠
解説:糸井重里
発行:昭和58年9月25日
定価:340円
角川書店
目次より
6 九州・沖縄編
40 福岡県-防人は、なぜ故郷に帰らなかったか
41 佐賀県-『葉隠』によって強いられた孤独な作業
42 長崎県-イソギンチャクの食べ方について
43 大分県-行為における体温変化の研究
44 熊本県-肥後ずいきの歴史的・社会的影響について
45 宮崎県-KURUときの変ホ長調のトレモロ
46 鹿児島県-前門・後門の比較力学的研究
47 沖 縄-なぜ、一日も早く日本に復帰すべきなのか
殿山泰司、女のアソコを研究して40年、その研究成果の集大成!
性科学書として、出身地による「セックス診断」として、また結婚相手を選択するための参考書としてご活用ください
1982~3年頃のことだったでしょうか
トレードマークのサングラスをかけ、派手なアロハシャツを着て、ジーパンにビーチサンダル履きで銀座を闊歩なさっている殿山さんの姿をお見かけしたことがありました
ご機嫌なご様子でしたので、きっと馴染みの奥村書店でお好みのミステリーを買い、行きつけの喫茶店「蘭」でコーヒーを飲まれた帰り道でもあったのでしょう
(とのやま たいじ 1915年10月17日-1989年4月30日)
兵庫県神戸市出身の俳優、エッセイスト。本名は泰爾。6歳の頃に父親の事業が破綻して両親は別居。父とその愛人(泰司の義母となる)について上京(このとき父と義母が出したおでん屋が「お多幸」である)。泰明小学校を卒え、東京府立第三商業学校中退。俳優を志し1936年新築地劇団入団、初舞台。1942年京都の興亜映画に入所。同年徴兵されて中国に出征。復員後、殿山泰司と名を改めて映画界に復帰。1947年頃から新藤兼人脚本=吉村公三郎監督コンビ作品で売れっ子となる。1950年新藤・吉村の近代映画協会創立メンバーとして参加。以後「お呼びがかかればどこへでも」をモットーに「三文役者」を自称して、今村昌平、大島渚監督らの作品から児童教育映画、娯楽映画、ポルノに至るまで独特の風貌で名脇役として活躍。ジャズとミステリーをこよなく愛した。享年73歳。
1962年新藤兼人『人間』(漂流する漁船の船長役)で毎日日本映画コンクール最優秀主演男優賞、NHK男優主演賞を受賞
『三文役者ニッポン日記』『三文役者ニッポンひとり旅』『三文役者あなあきい伝』『JAMJAM日記』『日本女地図-自然は、肉体にどんな影響を与えるのか』などエッセイ多数
『あなあきい伝』にもあるように殿山泰司が卒業した銀座数寄屋橋の泰明小学校は信欣三、加藤武、中山千夏、和泉雅子らの他にも朝丘雪路、河原崎国太郎、北村透谷、島崎藤村、金子光晴、矢代静一らを輩出した有名校
(Wikipediaより抜粋、加筆)