歴史が好きな方が多いと思います。
良くご自身で勉強や研究されて俄な専門家より余程優れた方もいますが、歴史上の人物のイメージってどんなんでしょう?

皆さんドラマや映画、小説やゲーム、アニメや漫画でのキャラクターとしてのイメージが無意識にないでしょうか?

例えば、織田信長はキレやすいし徳川家康は気が長いなど。
この信長と家康はおそらくそのようなイメージでしょうがこれはフィクションの話で現実は逆です。
勿論どちらも修羅場をくぐり抜けてきた英雄なのでキレるところではキレたでしょうし、その逆もまたしかりでしょうが、実際に残されている資料や逸話などでは信長の方が優しく、家康の方がキレやすく無鉄砲でした。

このような例はいくらでもあるのですが、今回は真田信之を取り上げたいと思います。

真田信之ってどんな人?
どうでしょうか?歴史に詳しい人なら
「真田幸村のお兄さんね」
「真田昌幸の長男ね」
「真田一族で徳川側について真田家を残した人ね」
って感じでしょう。
じゃあ性格はどんな人?
どんな功績をあげた人?
周りの人との関係やどのような立ち位置の人でどう思われていた人?
と聴かれたらわからない人が多いと思います。
詳しい人でも多分、
「温厚な人」
「戦(いくさ)より政治が得意」
「弟さんの幸村の陰に隠れて目立たない人」
「父昌幸や弟幸村ほどの戦上手では無いけれど徳川側についてラッキーだった人」
と思われるでしょう。
これ全く総てが嘘ではありませんがこれらこそフィクションによるイメージです。

父と弟が徳川相手に奮戦したのでそれがフィクションで取り上げられることが多く、彼らをヒーローにするために信之はどうしても引き立て役になってしまいますが現実は違います。

信之はどんな人でしょう。
まず当時の武将の中ではかなりの高身長です。
これは残されている服や甲冑からすぐにわかります。
逆に幸村はそんなに背は高くありません。
さらに信之は戦場においては冷静沈着ですが性格は温厚ではありません。
真田信之の逸話では温厚であることを伝える話はなく、幕府から国替えを命じられたときに怒った。犬伏での父弟との東西どちらにつくかの話し合いの時も父ともに激論に及んだとなっています。
奥さんの小松殿とのお見合いのときも無礼な行動をとった小松殿に激怒し持っていた鉄扇でひっぱたいたりしています。
このときの男らしい(?)振る舞いに小松殿は感銘を受けています。

戦も天才的に上手いです。
味方の城が北条方に襲われ700騎で援軍に向かいましたが到着後にはすでに敵に奪われていました。
この奪われた城をそのまま僅か700騎で1日で奪い返しています。
しかも敵の数は4,000。
城にいる敵を力攻めにするには相手の3倍は数が必要です。
敵の鉄砲の装備率が高ければ3倍ではなく10倍なければ力攻め出来ません。
そもそも700と4,000では城が無くても力攻めなど不可能です。
でも信之はこのときのあらゆる手段を駆使し城を奪い返しました。
1日で攻略したのも、1日以上経てば敵の駐留軍としての援軍が到着してしまうのでそれまでに落とさなければならなかったからでしょう。
しかもこのときの真田信之、まだ二十歳前です。

フィクションの作品の影響で父弟の陰に隠れてしまいがちですが、父も弟もこれだけの事はしていません。
もっとも弟幸村は大坂の陣までは指揮官としてのキャリアはありません。
彼の才は、むしろ父や兄を間近で見て彼らから学んだ結果ではないでしょうか。

そもそも父真田昌幸も若いときから優秀の誉れ高かったのですが、一軍の総帥として戦争を行ったのは武田家滅亡後の本能寺の変後の混乱期が初めてです。
このとき徳川・上杉・北条とその時々で誼をもったり手切れしたりして、その都度の小競り合いから最終的に徳川家との全面戦争になります。
この一連の戦闘において、総大将の真田昌幸の代わりに戦場で指揮をとっていたのが十代の信之でした。
そして信之は常に先頭に立って闘っていました。
信之は常に先頭を駆け、徳川軍に追撃をかけていたので「振り返ると真田様がいて本当にあのときは恐ろしかった」と昔話で語る人も後にいたほどです。

徳川との和睦の時にも真田信之の指揮の見事さと恐ろしさに家康の幹部から
「真田家は勿論だが攻撃部隊の指揮を取っていた信之は強固な味方にするべく身内に迎えるべき」
との声が上がり、家康の重臣本多忠勝の娘を家康の養女として信之に嫁がせ、家康の婿として迎える話になったのです。
この養女が小松殿です。
そんな超VIPのお嬢さんをひっぱたのです。
信之さんマジ凄いです。

因みにジャンプの漫画で有名になった前田慶次郎(漫画のキャラクターとしての慶次郎は若い頃の前田利家をモデルにして創作された殆どがフィクション)とは懇意だったそうで、真田家の資料に登場していて、真田信之は彼から本能寺の変の事を聴き、父昌幸に報せたそうです。

どうでしょうか?
真田信之のイメージは変わったでしょうか?
勿論、政治家としても優秀な人物ではありますが、若い頃から常に自分達の数倍の敵と闘い、父の代わりに戦場に立ち続けた彼はぶっちぎりの武闘派でした。