先月雨で中止だった町内会の掃除。お隣近所7人の方と私たち夫婦を含め9人で4袋。
あまり寒く無くてこれだけの人数がいるとはかどります。
7時半からの掃除ですがすでに来ている方が民生委員の方です。
この方に昨年65歳以上の家を回ってお一人暮らしの男性もすぐ近くに数名いらっしゃいますので
ご自分で作られた紙を印刷してお風呂の入り方とかいきなり熱い風呂に入り
お亡くなりになる方もいられたりするので。
その方に娘の話ができたのはよかったです。でもつかず離れずで、市の福祉協議会の電話番号を
奥様のおきれいな字で書いていただきもらいました。そこにはすでに電話をしたことがあります。
いずれ後見人制度のことなど市の福祉協議会で教えてくださったりするので勉強しようと思います。
後は、また精神保健センター別称ハートパークに行き、B型作業所さんが輪という食堂をその中に
作って安い値段で提供してくださっていて、そこでお昼ご飯を食べたり、受付の方にそのB型を運営している
家族会もあるので、お話を聞いたりしたいです。学生時代の友人たちと60代になって少しずつ話がかみ合わないなぁ
と感じるのは、みな親の介護という共通のことがありますが。私のように娘が精神の病でB型作業所4年目でも
1週間に1度それも午前中なのに行けたり行けなかったり。また少しずつレベルアップして障碍者枠で働くにしても
B型作業所の中でももちろん辞めて資格を取ったり障碍者枠で働くということもあるかもしれませんが。県外に住む息子の嫁の
実弟が養護学校を出て、普通の仕事をしています。初めからそういう風にB型作業所ではなく、普通の仕事
息子の話では「普通の仕事だけど楽な仕事」という説明をします。だから息子も妹がもし将来私たちが他界した後
その義理の弟のように普通の仕事をしながら一人暮らしをするということも今となってはありなのではないかなぁと
思い始めています。
小豆や煮豆を今年3月33回忌をする義母がよく炊いており、60歳で亡くなりましたが、生きていれば92歳くらい
だったということです。息子の嫁のひいおばあちゃんがまさにそのくらいの年齢でまだまだお元気です。
実家が農家だったらしく、孫たち3歳と1歳もたまに畑の作物の収穫を嫁のお母さんが一緒にさせてくださり
みてねあぷりに写真が上がってきます。そこからお米もいただくそうで。
私たちグループlineだけで繋がる友人たちは、大体が親が亡くなっても葬儀を省略したり、お位牌も押し入れの中に
しまったままだったり、生花を供えるのが田舎では当たり前ですが、それもどんどん省力して、年賀状じまい
お中元お歳暮じまいをする人も多く。
あまり自分で家庭菜園をするよりも一応65歳までは働いて親の介護も施設のことを初めから考えている人も
多いと思います。
私も息子が県外にいるので夫と常々お墓の話はしています。今のところは管理する人がいないときれいに更地にして
市に返さないといけないので。家から近いところの永代供養後共同墓地になるものか
息子が将来どう考えているのか3月に少し話をできたらいいなと思っています。嫁の実家のお墓も障碍者の息子さんが
いずれはお墓参りするにしても息子夫婦が亡くなった両親の代わりに補助をしなければ生花を購入してから線香を
もちお墓参りをする過程を一緒にしていくことになるだろうと思います。嫁のお母さんは今から息子さんを連れて
お墓参りに行ってお母さんが準備した生花やお香を持ってただ付き添っていく形の息子さんに伝わるとは到底思えない
からです。
私たち夫婦も私の実家の家と共同墓地のお墓があるころは必ず夫の実家のお墓と私の実家のお墓参りとセットにして
たまには私の実家の庭が家2軒分くらいあって草刈り機を持って草刈りを13年ほどしました。父の13回忌の時に
実家の売却をし、共同墓地のお墓は墓じまいして地元はお骨を再火葬しなければならず、火葬場の予約を取って
弟が火葬をしてもらい、9体のお骨を祖母、父、母、それ以外の祖先の4つにしました。そして檀家だったお寺の
納骨堂をなぜかここは疑問なのですが、家の売却費用から140万円出すことになりました。もともと都内育ちの
弟の子供は両親のお墓参りを都内でしたいと言っているそうですが、それくらいは兄弟で高いにしても出すのが
筋だと思っています。
従妹や息子の住む県では再火葬をせずともお骨を移送するのはよいそうですが、何十年もたつお墓の中に入っている
お骨は今の地元のどこかのお墓に移送するしても再火葬は免れません。
いろいろな意味でそういうことを後回しにしたり飲み会やランチばかりを考えているグループlineの友人たちとも話が
かみ合わなくなっているのが現状です。都会に住む帰省する友人も屋久島に住んでいた両親が高齢になり友人の姉が住む
地元の施設に入り、あんなに屋久島の海の香りなどふるさと自慢をしていた友人が多分空き家になった実家はある
はずですが「帰省する理由」が無くなったようでした。
私は娘が病気になった時からなかなか精神の病の病院がほかの病気の時に入院したイメージとかなりかけ離れていた
ものを体験して、情報は自分でつかみに行き自分が試してみないとわからないし。親の介護をしている人にも
娘のような子供がいない限りわからないということを感じています。