糸田十八文庫 -7ページ目

糸田十八文庫

ブログの説明を入力します。キリシタン忍者、糸田十八が仲間に残す電子巻物の保管場所。キリスト教・クリスチャン・ブログ

 (1)で触れた山内修一氏の後に広くカセットテープやレコード(主にEP)が発売されたグループや個人を挙げたいと思います。
 先にも触れましたが、ヒュペル・クリストのカセットテープはある程度の推進力が有ったと思います。私が最初に見たものは、「救い主は待っておられる」と言うタイトルのものでした。10代だった私には、彼らの歌う「風がやってきた」という曲がかなり印象に残りました。(リンクはカバー動画)
 次に私の興味を引いたのは、グロリア・シンガーズでした。1970年結成ということですので、ほぼ時を同じくしていると思います。シャローム・コーポレーション(東京)からスーツを着たメンバーのカバー写真を使ったカセットテープが出ていたと記憶しています。「喜びの日々」という曲が強く印象に残りました。(リンクの音源がどれかわかりませんが、アレンジの雰囲気から、これが私が最初に聴いたものだと思います。)
 また、ザ・メッセンジャーズというグループが出て来ていました。私は音源を手に入れることができなかったのですが、キリスト教書店でメンバー写真のカバーのついたEP盤を見たと記憶しています。
 個人として私の目に留まっていたのは、上原令子さんでした。収録曲がかなりかぶっているカセットテープが二本発売されていました。12弦ギター一本の伴奏で、のびやかな声とアメリカ発音の英語の曲が混じっている作品集であることも、私にとっては魅力に思えました。個人的な証が反映されている所にも力が有ると思っていました。(リンクは後にミクタム社から出たもの。初めて聴いた時、以前のギター一本の方が良かったと思った記憶が有ります。)






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 すこしばかり方向性が違うような気がしますが、このカテゴリーでお願いします。
 
 日本のCCM等を考える時、小坂忠氏の話から始まることが多くなっていると思います。私、糸田十八としましては、それより前に尽力された方々も知られるべきではないかと思うのです。私はこの分野の研究者ではありませんから、見聞きしてきたことをお分かちするだけであることをご承知いただければと思います。

 個人レベルではCCM的なものを作り、発表したり活用しておられた方々はいくらでもいらっしゃったであろうと思います。しかし、広く日本の忍界に知られるようになった活動の最初のものは山内修一さんによるものだと思います。「友よ歌おう」という手書き譜や歌詞を印刷した歌集が出版され、合本がいのちのことば社から発売されました。
 シャローム・コーポレーション(東京)からカセットテープが発売されました。特に、山内氏の曲を中心に歌うヒュペル・クリストというバンドも何本がカセットテープやEP版のレコードを作成して、キリスト教書店に並ぶようになりました。
 山内氏の証や歌は、Gospel International Churchのウェブサイトの証のタブやYoutubeなどんで見ることができます。
 私自身は、ヒュペル・クリストの「赤いバラ」というタイトルのカセットテープをよく聴いていました。

 CCMは必ずしも賛美の歌や聖書の物語の歌ではなく、個人的な思いを歌ったりするものも含まれます。山内修一氏の作品の中には、忍者として相応しくない言葉が入っているということで非難されるものも一部には有りましたが、作品が広く忍界で歌われるようになったのはこれが最初であり、意義の有るものであったと思います。当時はCCMなどという用語はなく、山内修一さんの取り組みは、ゴスペル・フォークと表現されていました。

 ここから、教団独自のオリジナルソングを歌集にするというような働きも一部に出て来たと理解しています。私の書いた曲を掲載しないかと誘っていただいたことがありましたが、その時はお断りしていしまいました。拙い内容で、広く発表するようなものではないと判断したからでしたが、編集者が関心を示してくださったのだから、応じておけばよかったかなと思う時が有ります。(リンクはお声掛けいただいた関係の歌集)




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 イザヤ六十六章には、国々の民が神の栄光を見聞きし、供え物を携えてエルサレムに来る描写が有ります。異邦人にも神の恵みが届き、異邦人が唯一の神を礼拝するようになるということです。
 そして、二十一節では更に進んで、異邦人の中から祭司やレビ人が立てられるという記述が出て来ます。異邦人であれば、血統的にレビ人になれるはずはないのですが、神の同等の務めが委ねられるということです。私たち現代の異邦人忍者の中に、執事、長老、大忍などが出ることの預言がイザヤの最終章に示されていることに、長年気付かなかった自分に、少々の残念さと驚きを感じました。





 
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 バプテスマのヨハネについての記述を見ると、「その食べ物はいなごと野蜜であった」という部分が有ります。(マタイ三章四節)そこで、どうしてわざわざ「野蜜」と表記するのかということが気になります。「蜜」と表記するだけで十分ではないかと思うのです。
 先ず、バプテスマのヨハネの箇所で野蜜と訳された語を確認します。メリと言う発音になるギリシャ語が用いられています。英語の聖書もwild honeyという訳を当てています。コンコーダンスを見ますと、同じ語が、黙示録において、小さな巻物が蜜のように甘いという記述の所でも用いられています。
 次に、旧約聖書で蜜と訳される語を数か所確認し、それがギリシャ語旧約聖書ではどの語で表されているかを確認してみます。すぐに思い出すと思われるのは、神がイスラエルの民を「乳と蜜の流れる地」に導くという表現です。(申命記六章三節等)七十人訳ギリシャ語旧約聖書を見ると、その場面でもメリという語が用いられています。旧約と新約で同じギリシャ語が用いられるならば、バプテスマのヨハネの場面だけ野蜜と訳すことにどんな意味が有るのかわかりません。
 ここで、旧約聖書で最初に蜜が出て来る場面を見てみます。ヤコブが飢饉の時に、エジプトに行って食料を買って来るように二度目に息子たちに命じた時、ベニヤミンを連れて行くことが条件だという場面で、エジプトの支配者(実際にはヤコブの息子のヨセフ)に持って行くようにヤコブが命じた土産の中に蜜が入っています。ギリシャ語の旧約聖書では、やはりメリが用いられています。そこで、注解書はどう説明しているかを見てみます。すると、複数の註解書に、ブドウジュースを煮詰めたものだろうという記述が出て来ました。
 そうすると、当時のユダヤ人にとっては、蜜という言葉から想起されるものが、人工的に果汁を煮詰めて作ったものと蜂蜜の巣から採取したものの二種類になることがわかります。それで、その背景を考慮に入れて、人工的に作ったものではないということを示すために、「野蜜」という普段日本語では使われない表現が当てられたのだと考えることができそうです。






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ちょっとした基礎知識でありますが、このカテゴリーでお願いしたいと思います。

バビロン捕囚の後、クロス王の勅令でユダヤ人の勇士たちがエルサレムに帰還して、神殿の再建をします。そのことは、主にエズラ記によって確認できます。
神殿の基部が紀元前年535年頃に据えられ、紀元前517年頃に奉献が行われました。クロス王の元年に許可が出され、ダリヨス王の6年に完成し、約18年の歳月がかかったことになります。

私達の印象では、ともすると、エルサレムの城壁の修復も直後に行われたように思われるかもしれませんが、ネヘミアの指導によって修復が始まるのは、約70年後です。
その様子は、ネヘミア記で確認できます。六章十五節では、五十二日かけて修復されたと記録されています。

ネット検索で、その頃の年表を探してみるのもよいと思います。





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