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ニコ・ロビン朝からメッセージ❗️ムチャアクチャイーー‼️ウソ❗️『  テレビの特別感

インターネットの隆盛期に、「隕石理論」があった。隕石が落ちて、古いものが消えると。ところが消えなかった。地上波テレビや新聞がその例で、いわゆる「マスメディア」は以前として社会の中で一定の力を持っている。だから、報道ステーションのあれこれが話題になる。

「テレビ」ってなんなのだろう? 隕石は落ちなかったし、テレビは消えなかったが、明らかに環境は変化している。まず、直接視聴するよりも、話題になって後からネットで内容を確認する人や、初めて知る人が増えた。逆に言えば、話題にならないテレビは、ネット上では存在しないのと同じである。

「メジャー」の感覚も変化している。テレビに出ていればメジャーなのではない。何らかのインパクトがあって、ネット上で話題になれば、結果としてメジャーになる。話題にならず、密かに放送されて、それで流れていく番組に出演していても、ネット感覚では、メジャーではなくマイナーだ。

ネット上にこれだけ情報が流通している時代に、なぜ地上波テレビが未だに一定の存在感を持っているのかと言えば、その「不自由さ」ゆえだろう。ネットでは、「視聴率」という概念自体が成立しない。ロングテールで、あまりにも選択肢が多いからだ。テレビはリソースが限られているから、逆に意味を持つ

ある出演者が、ネットから「降板」や「更迭」されるということはありえない。ネット上には、いくらでも情報露出の方法があるからだ。地上波テレビは、その放送リソースが限られているからこそ、「出演」すること自体に、情報の内容とは離れた、特別な意味が付与されてしまう。

このような、情報容量が限られていることから来るテレビの特別感は、いつまで続くのだろう。動画配信サイト向けに作られるドラマなどのコンテンツが今後増大するにつれて、ネット上に「メジャー」なものが現れる頻度は上がっていくだろう。すでに、ネットの話題をテレビが後追いする傾向は顕著だ。

ネット上のコンテンツが次第にメジャーになり、プレゼンスが上がっていっても、地上波という有限の資源を特定の放送者が占有していることに伴う特別感は、消えないかもしれない。占有の背後には国家があり、免許に伴う圧力や降板や更迭といった物語が、皮肉なことに、テレビの特別感を支え続ける。』
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