『右にも左にもそれなかった』
(列王記下 22章1節~11節)
(2024年8月11日 ベテル清水教会 聖日礼拝説教)
先週、宮崎で震度6弱の地震があり、南海トラフの臨時情報が出されました。
一昨日も神奈川で震度5弱の地震があり、さらに危機感が広がっています。
人生に危機が迫った時、私たちの信仰も試されます。
「ゆでられたカエル」という寓話があります。
鍋の中にお湯を入れ、カエルを放り込むと、カエルはすぐに飛び出ます。
しかし、水の中に入れ、少しずつ水温を上げても、カエルは気づかず、ゆでガエルになって死んでしまうという寓話です。
真偽はともかく、この寓話で示されている教訓が重要です。
実は、これは、企業倒産システムの中から生まれた、という話を聞きました。
企業の倒産は、危機管理を怠り、忍び寄る危機に気づかず、すぐに対応をしなかったことが、致命傷となって、倒産に至るケースが多いそうです。
この「ゆでガエル理論」は、国家の危機、教会の危機、信仰の危機、私たちの人生の危機に対しても、教訓的な寓話だと言えます。
蟻の一穴。小さな亀裂から堤防が決壊するように、小さなガン細胞に気づかず、放置した結果、命が脅かされることがあります。
小さな信仰のズレ、的外れの罪によって、神の祝福は失われる。
今、読んでいる列王記は、そのことを私たちに教えています。
神に選ばれ、神の民となったイスラエルは、小さな信仰のズレ(罪)を放置し、やがてこの罪がイスラエル全土に及び、約束の地から追放されるのです。
それでも、神は、イスラエルを愛し、救いの手を伸ばされます。
神様は、預言者たちを遣わし、偶像を頼り、災いの道を歩み、滅びに向かうイスラエルの民に、「主に立ち帰れ」と語り続けるのです。
にもかかわらず、彼らは、偶像を離れず、死と滅びに向かうのです。
そんな中でも、主に立ち帰り、主を求める王たちがいました。
その最たる王が、先週学んだヒゼキヤであり、今日、学ぶヨシヤなのです。
来週は、ゲストの先生なので、列王記も今日が最後になります。
今朝は22章です。
22:1 ヨシヤは八歳で王となり、三十一年間エルサレムで王位にあった。その母は名をエディダといい、ボツカト出身のアダヤの娘であった。
22:2 彼は主の目にかなう正しいことを行い、父祖ダビデの道をそのまま歩み、右にも左にもそれなかった。
今日の御言葉です。
右にも左にもそれなかった
今日のテーマです。
ヨシヤは、なんと8歳で王になります。
彼の父アモンは、24歳という若さで命を失っています。
父アモンについては、21章19節以下に短く記されています。
21:19 アモンは二十二歳で王となり、二年間エルサレムで王位にあった。その母は名をメシュレメトといい、ヨトバ出身のハルツの娘であった。
21:20 彼は父マナセが行ったように、主の目に悪とされることを行った。
前回、学んだヒゼキヤは、聖なる高台を取り除き、偶像を一掃しました。
なんと、マナセは、父が取り除いた聖なる高台を再建し、偶像を拝み、再び主の目に悪とされることを行ったのです。
そして、このアモンも、マナセと同じ道を歩みます。
21:21 父の歩んだ道をそのまま歩み、父が仕えた偶像に彼も仕え、その前にひれ伏し、
21:22 先祖の神、主を捨て、主の道を歩まなかった。
21:23 彼の家臣たちは謀反を起こし、この王を宮殿で殺害した。
アモンは、理由は分かりませんが、家臣たちに殺されます。
この時、アモンの子ヨシヤは8歳です。
父アモンに代わって王になったのが、わずか8歳のヨシヤだったのです。
このヨシヤは、父の歩んだ道ではなく、主の道を歩み、右にも左にもそれなかった、というのです。
22:3 ヨシヤ王の治世第十八年に、王はメシュラムの孫でアツァルヤの子である書記官シャファンを主の神殿に遣わして言った。
22:4 「大祭司ヒルキヤのもとに上り、主の神殿に納められた献金、すなわち入り口を守る者たちが民から集めたものを集計させなさい。
22:5 それを主の神殿の責任を負っている工事担当者の手に渡し、更に神殿の破損を修理するために主の神殿にいる工事担当者に渡しなさい。
22:6 すなわち職人、建築作業員、石工に渡し、神殿修理のための木材や切り石を買わせなさい。
22:7 ただし、彼らは忠実に仕事をしているから、彼らに渡した金の監査は必要ではない。」
2節と3節の間には、18年間の空白があります。
いきなり、ヨシヤ王の治世18年までワープします。
8歳で王となったヨシヤは26歳になりました。
ヨシヤはヒゼキヤと同じように、霊的刷新、改革を行います。
ここでは、献金を集め、神殿の修復工事を行っています。
22:8 そのとき大祭司ヒルキヤは書記官シャファンに、「わたしは主の神殿で律法の書を見つけました」と言った。ヒルキヤがその書をシャファンに渡したので、彼はそれを読んだ。
22:9 書記官シャファンは王のもとに来て、王に報告した。「僕どもは神殿にあった献金を取り出して、主の神殿の責任を負っている工事担当者の手に渡しました。」
22:10 更に書記官シャファンは王に、「祭司ヒルキヤがわたしに一つの書を渡しました」と告げ、王の前でその書を読み上げた。
22:11 王はその律法の書の言葉を聞くと、衣を裂いた。
律法の書とは、モーセの律法、レビ記や申命記の一部です。
それは神の言葉を告げ知らせたモーセの説教集です。
ヨシヤは、かつてモーセが民に語った説教を読んだのです。
申命記17章17節以下には、王に対する戒めが語られています。P308
17:17 王は大勢の妻をめとって、心を迷わしてはならない。銀や金を大量に蓄えてはならない。
ここを読むと、ソロモンの過ちが分かります。
彼は、外国の女性を含め1000人の妻を持ち、栄華を極め、銀や金を大量に蓄えたことによって、心が迷います。
「なんという空しさ」で始まり、最後に「神を畏れ、その戒めを守れ」と、語ったコヘレトの言葉を読むと、この戒めの重要さが分かります。
17:18 彼が王位についたならば、レビ人である祭司のもとにある原本からこの律法の写しを作り、
17:19 それを自分の傍らに置き、生きている限り読み返し、神なる主を畏れることを学び、この律法のすべての言葉とこれらの掟を忠実に守らねばならない。
17:20 そうすれば王は同胞を見下して高ぶることなく、この戒めから右にも左にもそれることなく、王もその子らもイスラエルの中で王位を長く保つことができる。
ヨシヤは、モーセの説教を聞いて、衣を裂きました。
それは、主の前に嘆き、悔い改めた者が示す態度です。
この時、ヨシヤは26歳でした。
列王記では、ヨシヤがいつ変化したのか。
主の目に悪を行った父の道を歩まず、ダビデの道を歩み、ヒゼキヤのように、神殿を聖別するようになった経緯は、詳しく記されていません。
実は、2節と3節の間、空白の18年に、ヨシヤが変化する出来事がありました。
歴代誌を見ると、その変化の始まりが記録されています。
歴代誌下34章をご覧ください。P717
34:1 ヨシヤは八歳で王となり、三十一年間エルサレムで王位にあった。
34:2 彼は主の目にかなう正しいことを行い、父祖ダビデの道を歩み、右にも左にもそれなかった。
ここまでは、列王記と同じです。
しかし、この後、8年目、12年目のヨシヤが変化する姿が記されています。
34:3 その治世の第八年、彼がまだ若かったときに、父祖ダビデの神を求めることを始め、第十二年に聖なる高台、アシェラ像、彫像、鋳物の像を取り除き、ユダとエルサレムを清め始めた。
ヨシヤは、16歳の時に父祖ダビデの神を求めることを始めた、というのです。
さらに、20歳の時、曾祖父ヒゼキヤと同じように、聖なる高台や偶像を取り除き、ユダとエルサレムを清め始めた、というのです。
そして、今日の個所、26歳の時、主の神殿の修復工事をしたのです。
みなさん。人生の変革は、神を求め始めることから始まります。
ヨシヤは、16歳で主を信じ、主を求め、神と共に歩み始めます。
王が変わると、民も変わり、国も変わります。
ヒゼキヤもそうでした。
彼は、アッシリアに包囲され、危機が迫る中、神殿に行き、祈り始めました。
ここでも王が変わると、民も励まされ、生きておられる神の御業が起こり、一夜にしてアッシリアが滅びる、という神のドラマを王も民も体験したのです。
また、ヒゼキヤ、病気になり、命の危機が迫ると、またも主に祈り始めます。
すると、彼は三日で癒され、寿命が15年延び、癒しの御業を体験したのです。
さて、ヨシヤは、父が暗殺され、8歳で王になりました。
当然、自分の命も狙われる危機感を持って、育ったと思います。
おそらく彼の側近に、神を畏れ敬う人がいて、彼に助言したと思うのです。
若き王ヨシヤは、16歳の時、父祖ダビデの神を求め始めます。
王が変わり、主に立ち帰ると、ユダの民も国も変わります。
主を求め始めた時から、ヨシヤの人生は変わり、国も変わり始めたのです。
先週、役員会で御言葉の分かち合いをしました。
その時、「先生、以前にも列王記から説教をされましたね」と言われました。
私は、記録を残すのが好きで、終わってから過去の説教記録を調べました。
パソコンだと、検索すると、すぐに見つけられるので便利です。
調べると、今日と同じ個所から、2009年1月と2月、二度も語っていました。
最初は、2009年、最初の礼拝です。
その時、今日、イントロで用いた「ゆでがえるの寓話」を語りました。
先週、私は、今日の説教を準備しながら、ヨシヤ王が昔のモーセの説教を読んだ時のように、自分が語った15年前の説教を読み返しました。
説教の冒頭、こう語っていました。
新しい年が始まりました。
みなさんは今年の抱負を決められたでしょうか。
私の抱負は「チェンジ:変革」です。
オバマ大統領の「チェンジ」が話題になった時です。
来月でベテルチャーチも五周年を迎えます。
一昨年、教会の場所をチェンジしました。
昨年は、教会の名前をチェンジしました。
場所が変わり、名前が変わり、今年は牧師をチェンジします。
場所を変えても、名前を変えても、私が変わらなければだめだ。
そんな思いで、大和の大川先生が語るフレーズを使って、こう宣言しました。
牧師が変われば信徒が変わり、信徒が変われば教会が変わり、教会が変われば社会が変わる。
実は、この時、わたしは、自分を変えたい、変わりたいと思っていました。
もし、わたしが変わらなければ、変化しなければ、私が代わる、牧師を代えた方が、この教会にとっては良いのかもしれない、と思うほど、悩んでいたのです。
さらに、こう語っていました。
私は数年前、初めて韓国のオンヌリ教会の礼拝堂に入ったときに、ものすごい感動を受けたのを今でも忘れません。
礼拝堂に入っただけで、主の臨在を感じて涙があふれてくるのです。
そして、礼拝堂で讃美している人たちの姿はみんな輝いていました。
「先生は、どんな教会を目指しているんですか」と聞かれます。
私の願いは、今も生きておられる神を体験できる教会です。
このビジョンが与えられたのは、高砂時代に家庭集会をしている時でした。
集会の中で、神様の臨在を感じ、涙を流す人、御業を体験する人が次々と起こされ、多くの人が救いへと導かれていきました。
神様は今も生きておられ、神様に愛されている。
そのことを体験し、ホッとできる教会。
そういう教会になることを願っています、と。
その時の思い、願いは今も同じです。
「ホッとする教会」「今も生きて働いている神様を体験する教会」
この二つは、私の牧会の理念であり、教会のモットーに掲げています。
しかし、この時、私の状態、教会の現実は、ホッとする教会ではありません。
今も生きて働く神様の御業、救いの御業は起こらず、停滞していました。
理想と現実の違いに、もがいていました。
さらに、説教は続きます。
今日は「改革の始まり」という説教題をつけました。
ヨシヤの改革は、主を求めることから始まりました。
そして、偶像を撤去し、聖別していきました。
ヨシヤは、主を求めて、四年後に偶像を撤去し、国の聖別を始めました。
彼は、国を変える前に、自分を変えたのです。
私も、教会を変える前に、自分を変えていきます。
右にも左にもそれない信仰を持って、改革をしていきます。
今思えば、その説教は、まるで選挙公約のようでした。
そして、礼拝の後、役員会に申し出て、三週間、牧会を離れました。
リフレッシュ休暇として、他の教会で礼拝を守り、雲隠れしました。
まさに、どん底の中で語った説教。宣言。
それが、前回、今日の御言葉から語った説教だったのです。
そして、一か月後、再び、講壇に立ち、説教をしました。
その時の説教の個所も、実は、今日と同じ聖書個所からの説教だったのです。
二度も、同じテキストから続けて説教をしていたのです。
最初は、「改革の始まり」でした。
二度目は、「御言葉に生きる」でした。
私は、自分の変革を求め、神に祈り、三週間、教会を離れました。
そして、一か月後、戻って来て、「御言葉に生きるならば、神の約束は実現する」というメッセージを語っていました。
改めて、その時の説教を読み返し、私もヨシヤのようだと思ったのです。
二度目の説教の最後は、こう結んでいました。
「私の願いは、今も生きておられる神様を体験できる教会になることです。
それはどうすれば実現するのか。
それは、御言葉に生きることによってです、と語って終わっていました。
私は、昔の説教を発見し、「チェンジ」、変わりたいと願って、主を求め始め、変化は、御言葉によってなされる、ということを、改めて教えられました。
主は、御言葉を通し、私を変え、教会を変えてくださった。
主の恵み深い御言葉によって、今の私がある、教会があります。
右にも左にもそれなかった
私たちは、右にも左にも、それてしまいます。
しかし、主に立ち帰って、主を求め始める者には、主の言葉が正しい道へと戻してくれるのです。
御言葉によって生きる。
これが右にも左にもそれずに、主の道を歩み、神の祝福に与る秘訣です。
モーセが王に語った教えは、私たちにも適用できます。
御言葉を傍らに置き、生きている限り読み返し、主を畏れ敬い、主の言葉に従って歩みましょう。
そうすれば、たとえ右や左にそれることがあっても、主が御手を伸ばし、正しい道へと引き戻して下さいます。
ですから、聖書を傍らにおいて、繰り返し聖書を読み続けましょう。
御言葉に生きる者は幸いです。
お祈りいたします。