『生涯を通じて主と一つであった』

(列王記15章9節~15節)

(2024年5月12日 ベテル清水教会 母の日礼拝説教)

 

今から117年前の今日、1907年5月12日。

アメリカのウェストバージニア州の教会で、天に召されたアン・ジャービスという方の記念会が行われていました。

 

彼女は、長年、日曜学校の先生をし、社会奉仕も行い、誰からも慕われ、愛されていた人でした。

 

彼女の娘、アンナ・ジャービスさんは、その記念会の時に、白いカーネーションを配りました。

 

彼女は、今は亡き母への感謝を語りながら、「ぜひ、生きている間に、お母さんへの感謝の気持ちを伝えて下さい」と語ったのです。

 

この言葉がきっかけとなり、翌年から、その教会で母親たちに感謝を表わし、カーネーションが配られるようになったのです。

この習慣は、教会から教会へと伝わり、やがて全米に広がっていきます。

 

そして7年後、ついにアメリカ議会を動かします。

ウイルソン大統領は、5月の第二日曜日を母の日と制定し、やがてキリスト教の布教と共に、この習慣は日本にも伝わって、現在に至るのです。

 

母の存在無くて、私たち一人一人の存在はありません。

私たちは、誰一人例外なく、母の胎を経て、この世に生を受けています。

命を宿すことも、つわりと戦いながら命を育み、さらに陣痛に耐え、命を生み、さらに24時間、目が離せず、育児をする。

母の犠牲なくして、私たちの存在はないのです。

 

同じように、神の存在なくして、わたしたちの存在もありません。

私たちは、偶然、この世に生まれたのではなく、神の計らいによって、母親の胎内で神に形作られた存在です。

 

神様は、私たちを造り、私たちを救い、助けてくださるお方です。

神の犠牲なくして、私たちクリスチャンの存在もないのです。

 

今朝は、命の源である神様に感謝しつつ、命を育み、産み、育ててくれた母に感謝の心を持って、共に礼拝を捧げていきましょう。

 

最近、私は聖書を読んだり、スマホを見る時に、眼鏡をずらして、裸眼で見るので、大村崑状態になります。

 

聖書を読む時、老眼の人は、老眼鏡が必要で、私は近視なので、遠近両用を使っていますが、裸眼の方が楽で、眼鏡をずらします。

 

実は、聖書を黙想する時には、信仰のメガネ、霊的な眼鏡が必要です。

信仰のない人でも聖書を読むことはできますが、御言葉を黙想し、主の御心を悟るためには、信仰が必要であり、聖霊の助けも必要です。

 

さて、今、聖書日課は列王記を読んでいますが、特に旧約聖書は、信仰がなければ、聖霊の助けがなければ、理解できません。

 

聖書を黙想する場合、とても大切な三つの眼鏡、視点が必要です。

一つは、父なる神、造り主なる神を信じる眼鏡、その視点です。

 

創世記の最初の言葉は「初めに、神は天地を創造された」です。

私たちは、この分厚い聖書の言葉の意味を正しく理解するためには、造り主なる神の存在を信じる、という信仰の眼鏡が必要なのです。

 

だから、世界中の教会が、毎週、礼拝で「我は天地の造り主、全能なる神を信ず」と使徒信条を告白しているのです。

 

二つ目は、子なる神、救い主なるイエス様の視点です。

救い主を信じる信仰の眼鏡です。

 

これも、使徒信条の中で「我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず」と、毎週、告白しています。

 

三つ目は、聖霊なる神、助け主なる聖霊様を信じる眼鏡、その視点です。

これも、使徒信条で、我は聖霊を信ず、告白しています。

 

この三つの信仰の眼鏡をかけ、聖書を黙想する必要があります。

 

さて、イスラエルの民は、幼い頃から造り主なる神の存在を信じ、このメガネをかけて、律法を読み聞かされ、主の教えに従ってきました。

 

しかし、列王記が書かれた時代。

イスラエルの民は、この信仰の眼鏡がズレていきました。

彼らは、人間を造った神に加え、人間が造った神々をも礼拝の対象にし、主の目に悪を行い、偶像礼拝が盛んになりました。

 

先週は、ヤロブアムとレハブアムの話をしましたが、彼らの後の王たちも、ズレた信仰の眼鏡をかけ、ヤロブアムと同じ道を歩み続けたのです。

 

今朝の聖書日課も、ヤロブアムの罪を繰り返した王たちの話でしたが、今朝は、そんな中でも、主の目に良いことを行った王の話を取り上げます。

金曜日の聖書日課の箇所になります。

 

 15:9 イスラエルの王ヤロブアムの治世第二十年に、ユダの王としてアサが王位につき、

 15:10 エルサレムで四十一年間、王位にあった。母は名をマアカと言い、アビシャロムの娘であった。

 

今日は母の日です。

私は、父親のいない家庭で育ったので、信仰面では、母から受けた影響は絶大でした。

 

幼い頃から教会学校に行き、「あなたの若い日にあなたの造り主を覚えよ」とあるように、造り主を知ったことは、とても良かったと思っています。

 

そこから、救い主を信じ、助け主を信じ、この信仰は、母から受けた信仰の遺産だと思って、感謝しています。

 

私の父も、晩年、母の影響を受け、八百万の神を信じる信仰から、聖書の神を信じる信仰に変わりました。

 

母の信仰が子供にも、夫にも影響を及ぼすことは、教会の中でもよく見れることですが、イスラエルの歴史でもそうでした。

 

ソロモンは、外国の妻、異邦人の妻を多く抱え、彼女たちの信仰の影響を受け、偶像をイスラエルに持ち込み、それが親から子へと引き継がれていったのです。

 

ソロモンの子、レハブアムも、レハブアムの子アビヤムも、ソロモンの妻たちから外国から持ち込んで偶像を拝むようになりました。

この悪い影響を最初に断ち切ったのが、アサ王でした。

 

 15:11 アサは、父祖ダビデと同じように主の目にかなう正しいことを行い、

 15:12 神殿男娼をその地から追放し、先祖たちの造った偶像をすべて取り除いた。

 

アサ王については、歴代誌では、3章に渡り、詳しく書かれています。

歴代誌下14章をお開き下さい。P688

 

 14:1 アサは、その神、主の目にかなう正しく善いことを行った。

 14:2 彼は異国の祭壇と聖なる高台を取り除き、石柱を壊し、アシェラ像を砕き、

 14:3 ユダの人々に先祖の神、主を求め、律法と戒めを実行するように命じた。

 14:4 アサはまたユダのすべての町から聖なる高台と香炉台を取り除いた。こうして彼の統治の下で国は平穏であった。

 14:5 主が安らぎを与えられたので、その時代この地は平穏で戦争がなかった。そこで彼は、ユダに砦の町を次々と築いた。

 

アサ王は、主の目にかなうことを行いました。

彼が統治している間は、国は平穏であり、主が安らぎを与え、戦争もなかった、というのです。

 

しかし、歴代誌を見ると、アサの時代にも争いはあります。

しかし、それらの争いは、他の時代の争いとはくらべものにならないほど、穏やかなものだったのです。

 

私たちも、イエス様を信じ、主の御心に従っていても、この世で悩みや戦いはあります。

 

しかし、嵐の中でも、苦難の時にも、主を求める者には、主から来る平安が与えられるのです。

 

 

 15:13 また彼は、母マアカがアシェラの憎むべき像を造ったので、彼女を太后の位から退けた。アサはその憎むべき像を切り倒し、キドロンの谷で焼き捨てた。

 

アシェラの憎むべき像

これは、カナン人の信仰の対象で、豊穣の女神として崇められていました。

母親のルーツは、カナン人だったのかもしれません。

 

彼女は、太后(王妃)であり、彼女の存在は、夫にも、息子にも、民にも悪影響を及ぼしていたようです。

 

アサは、主の目に適う王です。

主の忌み嫌うことを行う母を、その地位から引き下ろし、カナン人の女神であったアシェラ像をキドロンの谷で焼き捨てました。

 

アサは、たとえ母親でも容赦せず、これ以上、この国に悪影響を及ぼさないように、彼女の身分をはく奪し、改革を断行したのです。

 

 15:14 聖なる高台は取り除かれなかったが、アサの心はその生涯を通じて主と一つであった。

 15:15 彼は父の聖別した物と自分の聖別した物、銀、金、祭具類を主の神殿に納めた。

 

今日の御言葉です。

生涯を通じて主と一つ

今日のテーマです。

 

実は、ほとんど同じ内容の言葉が、歴代誌にも記されています。

15:17 聖なる高台はイスラエルから取り除かれなかったが、アサの心はその生涯を通じて主と一つであった。

15:18 彼は父の聖別した物と自分の聖別した物、銀、金、祭具類を神殿に納めた。

 

アサは、ユダの国から聖なる高台を取り除きましたが、イスラエルにある聖なる高台は取り除くことができませんでした。

 

この聖なる高台は、偶像礼拝の温床であり、いくら取り除いても、他の神々を信じる信仰が無くならない限り、すぐに建て直され、列王記も、歴代誌も、これはずっと同じ表現が続きます。

 

さて、列王記や歴代誌を読みながら、?(はてな)と思うことがあります。

アサは、他の王とは違い、主の目に適うことを行い、その時代、平穏であり、戦争がなかったと書かれていました。

 

しかし、16節には、こうあります。

15:16 アサとイスラエルの王バシャの間には、その生涯を通じて戦いが絶えなかった。

 

生涯を通じて、戦いが絶えなかった。

どっちやねん、と突っ込みたくなります。

 

また、アサの心は、その生涯を通じて主と一つであった、とありますが、16節以降、北イスラエルの王バシャとの戦いの時には、アサは、主に依り頼まず、アラムの王に寄り頼み、先見者に叱責されています。

 

16:7 そのとき、先見者ハナニがユダの王アサのもとに来て言った。「あなたはアラム王を頼みとし、あなたの神、主を頼みとしなかった。それゆえ、アラムの王の軍隊はあなたの支配を離れる。

16:8 クシュ人とリビア人は非常に多くの戦車と騎兵を有する大きな軍隊であったが、あなたが主を頼みとしたので、主は彼らをあなたの手に渡されたではないか。

16:9 主は世界中至るところを見渡され、御自分と心を一つにする者を力づけようとしておられる。この事について、あなたは愚かだった。今後、あなたには戦争が続く。」

 

この後、アサは怒って、彼を獄に閉じ込めるのです。

しかも、アサは、晩年、病気になっても、主を求めず、医者に頼った、とも書かれているのです。

 

こうした晩年のアサの姿を見ると、生涯、アサの心は主と同じであった、という評価は、間違っているかのようにも思います。

 

しかし、列王記の著者も歴代誌の著者も、「アサの心は生涯通じて主と一つであった」とコメントしているのです。

 

これは、人間的な評価ではありません。

これは、主の評価です。

 

アサは、完璧な王ではありません。

不完全な王であり、人間的な弱さもあり、主を頼らず、軍事力に頼ったり、医者に頼ったり、マイナス点も多い王様です。

 

しかし、主は、アサの心をご存じでした。

アサの心は、生涯、主から離れなかった。

きっと、アサは、しくじるたびに、悔い改めたのだろうと思います。

これが他の王との決定的な違いです。

 

このアサの心、アサの姿を、子供は見ていました。

アサの心が主と一つであったように、その子ヨシャファトも、主の目にかなう道を歩んでいくのです。

 

私の母も、広がる夢という自伝を書いていますが、母の生涯をもっと詳しく書いたら、もっといろんなことがあったと思います。

 

信仰的には、同じキリスト教でも、それは異端ではないかとか、ちょっとおかしいだろうと思うような集会に参加したりすることがありました。

 

実際、私もそうした集会に参加したこともありました。

しかし、母の心は生涯、主と一つであった、と思っています。

 

私も、母の姿に倣って、生涯、主と一つであったとコメントされるような歩みをしたいと願っています。

 

私たちも、アサのように、ダビデが歩んだ道を歩み、生涯を通じて、造り主であり、救い主であり、助け主である神と一つであり続ける道を歩んでいきましょう。

お祈りいたします。