『わが僕ダビデのゆえに』

(列王記11章1節~13節)

(2024年4月28日 ベテル清水教会 聖日礼拝説教)

 

今朝のイントロは、毎度おなじみ、日ハムネタです。

私たちの教会は、20年前、ヤコブと同じような歩みを始め、聖書の世界をリアルに体験し、21年目に入りました。

 

20年前、日ハムは本拠地を北海道に移転、新庄選手が入団し、北の大地で新たな歴史が始まり、21年目のシーズンを迎えています。

 

かつて閑古鳥が鳴き、Bクラスが定位置だったチームが、札幌ドームを満員にし、日本一にも輝き、人気球団になりました。

しかし、ここ数年、Bクラスが続き、観客は減り、再び、新庄監督が就任しました。

 

監督は「優勝なんか一切、目指しません」と語り、選手たちには、野球を楽しむこと、毎日、地味な練習を積み重ねてきた時代、つまり、原点に戻り、選手たちの表情、目の色が変わりました。

 

新球場が完成し、二年目、選手たちは成長し、今年は違います。

今年の日ハムのスローガンは、「大航海」です。

新庄監督は、就任直後、ファンに「一緒に船に乗ってくれますか」と呼びかけ、原点に戻り、今年は優勝を目指し、新たな出発を果たしたのです。

 

20年前、私たちの教会も、同じ船に乗り、新たな歩みが始まりました。

開拓当初、亀有の鈴木先生に祈ってもらった時、「井上先生、あなたは大きな船を造り過ぎちゃったね。港から出られないよ」と語り、やがてこの船が大海原に出て行く姿が見える、と預言的に語られたのです。

そのイメージの通り、七年目に、大海原に出て、祝福されてきました。

 

今年の2月、20周年の時、山川先生は「もう一度ベテルへ」と語り、今年のスローガン、標語を「ベテルに上ろう」としました。

 

ヤコブは、20年目に、主の言葉を聞き、カナンの地に帰り、ベテルに向かう前に、シケムの町に安住してしまい、苦難に遭遇していたのです。

 

その時、主が再びヤコブに現れ、「さあ、ベテルに上り、そこに住み、祭壇を造りなさい」と言われ、ヤコブは、主の言葉に応答します。

それが新年度の御言葉です。

 35:3 さあ、これからベテルに上ろう。わたしはその地に、苦難の時わたしに答え、旅の間わたしと共にいてくださった神のために祭壇を造る。」

 

新年度のスローガンは「ベテルに上ろう」です。

これは、日ハムのスローガン「大航海」と同じ気持ちです。

 

今年は、もう一度、原点に帰り、主を喜び楽しみながら、自らを聖別し、同じ船に乗って、新たなステージへと旅立っていきたい。

そんな思いが込められています。

ぜひ、同じ船に乗り、心を一つにし、歩んでいきましょう。

 

さて、聖書日課は、列王記を読んでいます。

アブラハムとその子孫、イスラエルの民は、神に選ばれ、恵みの船に乗り、約束の地に辿り着きます。

 

イスラエルは、ダビデの時代に国となり、ソロモンの時代に神殿が完成し、3000前。イスラエルは栄華を極め、黄金時代を迎えていたのです。

 

しかし、この後、イスラエルは主の栄光を失っていきます。

ソロモンの死後、国は南北に分断し、北イスラエルはアッシリアに滅ぼされ、南ユダは、バビロンに滅ぼされ、国を失い、神殿が破壊されます。

 

この列王記が書かれたのは、バビロン捕囚の後の時代です。

イスラエル民は、国を失い、神殿を失い、神に見捨てられたような状態に陥った中で、主は、この聖書、列王記を通し、民に語られたのです。

 

主は約束を守られるお方です。

エレミヤを始め、預言者たちは、神の恵みと回復の時を語っていました。

 

エズラ記、ネヘミヤ記にあるように、やがてイスラエルの民はバビロンから帰還し、国を再建し、神殿が建て直されていくのです。

 

しかし、人間は愚かにも、同じ過ちを繰り返します。

彼らは、主に背き、礼拝は形骸化し、またも主の臨在が失われます。

 

今から2000年前、神が約束し、ダビデが待ち望んでいた救い主が現れても、彼らは信じようとせず、十字架につけて殺してしまったのです。

その結果、紀元70年、再び神殿が破壊され、世界中に散らされます。

これがイスラエルの歴史です。

 

主は、約束を守られるお方です。

彼らを見捨てず、どこにいても彼らを守り、導き、彼らの子孫は、再び、彼らは、カナンの地に戻って来ました。

それが1948年のイスラエルの建国なのです。

 

聖書を読むと、世界の動き、歴史の流れが良く分かります。

バビロンは、現在のイラクであり、アッシリアはシリア、ペルシャはイランであり、今も、列王記と同じ争いが、繰り返されているのです。

 

さて、今日から列王記は11章に入ります。

小見出しには「ソロモンの背信とその結果」とあります。

ここにイスラエルの破れ口があり、ここから衰退が始まっていくのです。

 

 11:1 ソロモン王はファラオの娘のほかにもモアブ人、アンモン人、エドム人、シドン人、ヘト人など多くの外国の女を愛した。

 

7章では、ソロモンは、ファラオの娘のために、宮殿を建てています。

先週の木曜日の御言葉メールを週報の裏面にあります。

その一部をお読みします。

 

ソロモンは、ファラオの娘を妻にし、宮殿を建て、この後、外国の妻を多く迎え入れていきます。これは「蟻の一穴」(どんなに堅固な堤防でも、蟻が掘って空けた小さな穴が原因となって決壊することがあるという意味)となり、イスラエルは分裂と崩壊の道を辿ることになります。

 

罪は、小さなズレから生じます。

神様との関係に生じた小さなズレが、人生、生き方に影響を及ぼします。

 

 11:2 これらの諸国の民については、主がかつてイスラエルの人々に、「あなたたちは彼らの中に入って行ってはならない。彼らをあなたたちの中に入れてはならない。彼らは必ずあなたたちの心を迷わせ、彼らの神々に向かわせる」と仰せになったが、ソロモンは彼女たちを愛してそのとりことなった。

 

主は何もかもご存じで、お見通しです。

だから、主は、イスラエルの民に律法を与え、警告したのです。

 

しかし、ソロモンは、ダビデの道を歩まず、戒めを破り、彼女たちに惑わされ、偶像を持ち込み、王も民の心も偶像のとりこになります。

 

11:3 彼には妻たち、すなわち七百人の王妃と三百人の側室がいた。この妻たちが彼の心を迷わせた。

11:4 ソロモンが老境に入ったとき、彼女たちは王の心を迷わせ、他の神々に向かわせた。こうして彼の心は、父ダビデの心とは異なり、自分の神、主と一つではなかった。

11:5 ソロモンは、シドン人の女神アシュトレト、アンモン人の憎むべき神ミルコムに従った。

11:6 ソロモンは主の目に悪とされることを行い、父ダビデのようには主に従い通さなかった。

 

ソロモンが神の恵みを受け、祝福に与ったのは、父ダビデのゆえです。

主はダビデに約束したように、ソロモンにも現れ、こう約束しました。

 

 3:14 もしあなたが父ダビデの歩んだように、わたしの掟と戒めを守って、わたしの道を歩むなら、あなたに長寿をも恵もう。」

 

さらに、神殿工事を始めた時にも、主は現れ、こう約束しました。

6:12 「あなたが建てている神殿について、もしあなたがわたしの掟に従って歩み、わたしの法を実行し、わたしのどの戒めにも従って歩むなら、わたしは父ダビデに告げた約束をあなたに対して果たそう。

 

そして、神殿が完成し、献堂式が終わった後にも、こう約束しました。

 9:4 もしあなたが、父ダビデが歩んだように、無垢な心で正しくわたしの前を歩み、わたしがあなたに命じたことをことごとく行い、掟と法を守るなら、

 9:5 あなたの父ダビデに、『イスラエルの王座につく者が断たれることはない』と約束したとおり、わたしはイスラエルを支配するあなたの王座をとこしえに存続させる。

 

神の約束には、祝福と共に、懲らしめも語られていました。

主の懲らしめは、彼らを裁き、滅ぼすことが目的ではありません。

彼らを悔い改めさせ、主に立ち帰り、救いと回復を与えるものでした。

 

9:6 もしあなたたちとその子孫がわたしに背を向けて離れ去り、わたしが授けた戒めと掟を守らず、他の神々のもとに行って仕え、それにひれ伏すなら、

9:7 わたしは与えた土地からイスラエルを断ち、わたしの名のために聖別した神殿もわたしの前から捨て去る。こうしてイスラエルは諸国民の中で物笑いと嘲りの的となる。

 9:8 この神殿は廃虚となり、そのそばを通る人は皆、驚いて口笛を鳴らし、『この地とこの神殿に、主はなぜこのような仕打ちをされたのか』と問うであろう。

 

この列王記が書かれ、読まれた時には、すでにこの約束通りのことが起こっていました。

神殿は廃墟となり、民は、物笑いと嘲りの的となっていたのです。

 

なぜ、そうなってしまったのか。

その理由、原因は、どこにあるのか。どこにあったのか。

その破れ口、最初のズレを、聖書は教えているのです。

 

11:7 そのころ、ソロモンは、モアブ人の憎むべき神ケモシュのために、エルサレムの東の山に聖なる高台を築いた。アンモン人の憎むべき神モレクのためにもそうした。

11:8 また、外国生まれの妻たちすべてのためにも同様に行ったので、彼女らは、自分たちの神々に香をたき、いけにえをささげた。

 

ソロモンは、主の目に悪を行い、偶像に心を奪われます。

主は、ソロモンに二度現れ、警告します。

 

11:9 ソロモンの心は迷い、イスラエルの神、主から離れたので、主は彼に対してお怒りになった。主は二度も彼に現れ、

11:10 他の神々に従ってはならないと戒められたが、ソロモンは主の戒めを守らなかった。

11:11 そこで、主は仰せになった。「あなたがこのようにふるまい、わたしがあなたに授けた契約と掟を守らなかったゆえに、わたしはあなたから王国を裂いて取り上げ、あなたの家臣に渡す。

11:12 あなたが生きている間は父ダビデのゆえにそうしないでおくが、あなたの息子の時代にはその手から王国を裂いて取り上げる。

 

主の言葉は必ず成就します。

イスラエルの民も、私たちも、この言葉は真実であり、イスラエルが裂かれ、滅び、再び建て直されていく歴史を、聖書を通して、知っています。

 

11:13 ただし、王国全部を裂いて取り上げることはしない。わが僕ダビデのゆえに、わたしが選んだ都エルサレムのゆえに、あなたの息子に一つの部族を与える。」

 

今日の御言葉です。

わが僕ダビデのゆえに

今日のテーマであり、今日の結論です。

 

先週、ソロモンの祈りから学びました。

ソロモンは、ダビデへの約束を信じ、こう祈っていました。

 

8:25 イスラエルの神、主よ、今後もあなたの僕ダビデに約束なさったことを守り続けてください。あなたはこう仰せになりました。『あなたがわたしの前を歩んだように、あなたの子孫もその道を守り、わたしの前を歩むなら、わたしはイスラエルの王座につく者を断たず、わたしの前から消し去ることはない』と。

 

この約束のゆえに、イスラエルは、滅び尽くさなかったのです。

彼らは、主の約束を思い出し、ソロモンが祈ったように、主に立ち帰って祈ることによって、幾度となく、滅びの危機を乗り越えてきたのです。

 

みなさん。今、イスラエルは、再び、最大の危機にあります。

今こそ、イスラエルの民は、主の約束を思い出し、ソロモンを思い出し、主に立ち帰って、主の名を呼び求める時なのです。

 

ひるがえって、わたしたちはどうでしょうか。

ダビデにまさる契約、約束が与えられています。

 

ダビデが待ち望んで救い主によって、私たちは新たに神と契約を結び、神の約束が与えられ、恵みによって救われました。

神様は、私たちにも、こう言われるのです。

我が子、我が僕、イエスのゆえに、と。

 

イエス様のゆえに、私たちは裁かれることなく、救われたのです。

しかし、私たちは、ソロモンと同じように罪を犯す弱い存在なのです。

 

イエス様は、私たちの弱さをご存じです。

主は、破れ口に立ち、その破れ口を自らの血と命でふさぎ、神様との関係のズレを直し、罪を赦し、回復させ、立ち直らせてくださるお方です。

 

神様の約束は必ず成就します。

主はかつて来られ、やがて来られ、今も来られるお方なのです。

 

列王記の世界は、私たちの人生にも、私たちの周りにも、この世界でも繰り返し起こり、今も争いと分裂が生じています。

 

この解決は、イエス・キリストによる以外にはありません。

主よ、この地に来て、私たちを憐れんでください、と。

主に立ち帰って、ベテル、主の山に上り、一緒に祈りましょう。

 

イスラエルの上にも、この世界の上にも、私たちの教会の上にも、家庭の中にも、私たち自身の中にも、主の平和と平安があるように。

ダビデの道に戻り、主と同じ心を持って、共に歩んでいきましょう。

お祈りいたします。