『嘆きの叫びをあげよ』

(ヨエル書1章13節~20節)

(2024年2月25日 ベテル清水教会 受難節第二主日礼拝説教)

 

先週は創立20周年記念礼拝でした。

朝から約束のシンボル、虹が現れるという神様のサプライズ演出もあり、今も生きて働く神、讃美の中に住むと語られた主の臨在を感じ、とても恵まれた礼拝となりました。

 

山川先生は、「ベテル」という讃美を作られた方であり、CDのジャケットには「主の教会がベテル(神の家)となりますように」とあります。

これからもテーマソングとして、歌い続けていきたいと思います。

 

夜、山川先生からLINEの返信が届きました。

私もベテル清水教会に行けてすごく良かったです。先生も、信徒の皆さんも御使いのように輝いておられてとても眩しかったです。愛之助で良ければいつでも行きますので、気軽にお声がけください。

 

愛之助(笑)。先生も、ディスられキャラですね。

また来て欲しいと思われた方も多いと思いますので、また、ぜひ、お招きしたいと思っています。

 

さて、聖書日課はマルコによる福音書が終わり、昨日からヨエル書です。

ヨエル書は、聖霊にヨエル書と言われます。

使徒言行録2章を見ると、ペンテコステの日に、弟子たちは、聖霊に満たされ、人々の目には、酒に酔っているように見えました。

 

その時、ペトロは、「酒に酔っているのではありません。これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです、と言って、ヨエル書3章の御言葉を引用し、説教を語り、その日、3000人が悔い改め、イエスをメシアと信じ、救われたのです。

 

今朝は、ここから語ろうと思いましたが、今は受難節ですので、今日の聖書日課の方がピッタリだと思って、今日の御言葉を分かち合います。

 

聖書は、神のストーリーであり、神の筋書き、文脈があります。

私たちは聖書を黙想する時、聖書の流れを理解しておくことは大切です。

 

私たちの人生も同じです。

私たちは偶然、この世に生まれたのではありません。

神様の計画によって、この世に生まれ、神が願われる筋書きがあります。

 

私たちは、私たちの造り主なる神を知り、救い主と出会い、聖書を黙想し、聖霊に導かれて歩み始めると、聖書の世界がリアルになります。

 

まるで聖書の世界にタイムトリップしたかのような感覚になります。

御心を知り、神のドラマ、神の筋書きの中を生きる者となるのです。

 

さて、今朝も、ヨエル書の世界にタイムトリップしたいと思います。

1:13 祭司よ、粗布を腰にまとって嘆き悲しめ。祭壇に仕える者よ、泣き叫べ。神に仕える者よ、粗布をまとって夜を明かせ。献げ物の穀物とぶどう酒は、もはや/あなたたちの神の宮にもたらされることはない。

 

まず、簡単に背景を説明します。

神様はアブラハムを選び、約束の地、カナンの地を与えると約束します。

アブラハムの子孫は、出エジプトを経験し、荒れ野を旅し、ヨルダン川を渡り、約束の地、カナンの地に定着します。

 

カナンの地は、豊穣の地、乳と蜜の流れる地と呼ばれる豊かな地です。

この地に住む人々(カナン人)は、農業と畜産の神、豊穣の神々を祀り、偶像礼拝が盛んに行われていました。

今の日本の宗教的な姿とも似ています。

 

イスラエルの民は、祝福の基となるために、その地に植えられました。

しかし、彼らは、主の教えを破り、神殿の中に偶像を安置し、偶像を拝み、災いの基となってしまい、主の怒りを招いてしまうのです。

 

主はご自分が選んだ民を見捨てず、彼らに預言者を遣わします。

預言者の警告を聞いて、主に立ち帰った王の時代は平穏になります。

 

しかし、王が代わると、再び主の目に悪を行い、これが繰り返され、ついに堪忍袋の緒が切れたかのように、主の裁きが下り、北イスラエルはアッシリアに、南ユダはバビロンに滅ぼされてしまうのです。

これが旧約聖書に描かれているイスラエルの歴史です。

 

ヨエルは、南ユダが滅びる前の時代の預言者です。

1章の小見出しには「いなごによる荒廃」とあり、乳と蜜が流れる豊かな大地が、いなごに襲われ、荒廃する日が訪れると預言されます。

 

イスラエルの民は、子供の頃から出エジプトの話をよく聞かされました。

主がエジプトを裁かれた時、下された災いの一つがイナゴの襲来でした。

これは神の怒り、裁きのしるしとして、心に刻まれていました。

 

数年前、アフリカや中東、アジア諸国でイナゴが大発生しました。

新型コロナの疫病と共に、世界最古の害虫と呼ばれるサバクトビバッタが大発生し、TBSの報道特集でも取り上げられました。

 

この時、アフリカ、中東、アジアの30か国が被害に遭いました。

レポーターが現地に入り、荒廃した地の映像が流れ、ヘリコプターが殺虫剤を撒いている様子が報告されていました。

 

バッタは、二日間で食い尽くし、100キロの距離を移動するそうです。

「神様からの災難です」とインタビューに答えている場面が印象に残っています。

この人も、この災いを通し、神を恐れたのだと思います。

 

ヨエルがこの預言を語った時、人々は酒に酔いしれていました。

まさか、そんなことが起こるとは、誰も思っていませんでした。

それは町の人々だけではなく、祭司や長老もたちも同じでした。

 

この時、彼らの信仰はたるみ、ゆるみ、おごり、礼拝は形骸化し、儀礼的になり、彼らの心は主から離れ、主の臨在を失っていたのです。

 

ヨエルは、祭司や祭壇に仕える者に向かって語ります。

もう一度13節をお読みします。

 

1:13 祭司よ、粗布を腰にまとって嘆き悲しめ。祭壇に仕える者よ、泣き叫べ。神に仕える者よ、粗布をまとって夜を明かせ。献げ物の穀物とぶどう酒は、もはや/あなたたちの神の宮にもたらされることはない。

 

泣き叫べとは、主に立ち帰り、悔い改めて祈れ、ということです。

粗布をまとって夜を明かせとは、悔い改め、夜を徹して祈れ、ということです。

 

1:14 断食を布告し、聖会を召集し/長老をはじめこの国の民をすべて/あなたたちの神、主の神殿に集め/主に向かって嘆きの叫びをあげよ。

 

今日の御言葉です。

嘆きの叫びをあげよ

今日のテーマです。

 

断食は、ただご飯を食べないことではなく、祈ることが目的です。

聖会を開くのも、主に近づき、御名によって祈ることが目的です。

神殿、教会、神の家は、祈りの家です。

 

 1:15 ああ、恐るべき日よ/主の日が近づく。全能者による破滅の日が来る。

 1:16 わたしたちの目の前から食べ物は断たれ/わたしたちの神の宮からは/喜びも踊ることもなくなったではないか。

 1:17 種は乾いた土の下に干からび/穀物は枯れ尽くし/倉は荒れ、穀物倉は破壊された。

 1:18 なんという呻きを家畜はすることか。牛の群れがさまよい/羊の群れが苦しむのは/もはや、牧草がどこにもないからだ。

 

このヨエルの預言は、現実となります。

ユダの地に雨が降らず、干ばつになります。

干ばつの後、大雨が降ると、いなごが大量発生します。

 

干ばつによって、天敵のいないイナゴはどんどんと繁殖します。

そして、ユダの地の穀物は荒らされていきます。

 

ヨエルは、いなごの荒廃と、もう一つ預言をしていました。

 1:6 一つの民がわたしの国に攻め上って来た。強大で数知れない民が。その歯は雄獅子の歯、牙は雌獅子の牙。

 1:7 わたしのぶどうの木を荒らし/わたしのいちじくの木を引き裂き/皮を引きはがし、枝を白くして投げ捨てた。

 

この預言も、現実となり、イスラエルは敵の侵略を受けます。

北イスラエルは、アッシリアに攻め上られ、サマリアは陥落しました。

南ユダは、バビロンに攻め上られ、エルサレムは陥落したのです。

 

イスラエルは、ぶどうの木やいちじくの木に例えられますが、荒らされ、引き裂かれ、彼らは約束の地を失い、嘆き悲しむことになります。

 

 1:19 主よ、わたしはあなたを呼びます。火が荒れ野の草地を焼き尽くし/炎が野の木をなめ尽くしたからです。

 1:20 野の獣もあなたを求めます。流れの水は涸れ/火が荒れ野の草地を焼き尽くしたからです。

 

この預言も、現実となります。

この後、ヨエルは、裁きの後に起こることも預言していくのです。

それが2章、3章の内容です。

 

もう一度、今日の御言葉をお読みします。

1:14 断食を布告し、聖会を召集し/長老をはじめこの国の民をすべて/あなたたちの神、主の神殿に集め/主に向かって嘆きの叫びをあげよ。

 

主に向かって嘆きの叫びをあげよ

これは、今日、私たちに対しても語られる主の言葉です。

 

かつて、イスラエルの民は、ヨセフの時代、エジプトの地に逃れ、そこに安住し、増え広がりました。

しかし、神様の御心は、エジプトの地ではありません。

彼に与えると約束したカナンの地に連れ戻すことでした。

 

彼らは、王が代わると、エジプトの地で苦難を経験します。

虐げられ、苦しめられ、彼らは主に嘆き叫んだのです。

 

出エジプト記3章をご覧ください。P97

3:7 主は言われた。「わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。

3:8 それゆえ、わたしは降って行き、エジプト人の手から彼らを救い出し、この国から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地、カナン人、ヘト人、アモリ人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人の住む所へ彼らを導き上る。

3:9 見よ、イスラエルの人々の叫び声が、今、わたしのもとに届いた。また、エジプト人が彼らを圧迫する有様を見た。

3:10 今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」

 

彼らが、主に向かって、嘆きの叫びをあげると、主は、その声に耳を傾け、モーセを遣わし、彼らを約束の地、カナンへと連れ帰りました。

 

彼らをエジプトの地から救い出された時、彼らは、主を賛美しました。

15章をご覧ください。P117

 15:1 モーセとイスラエルの民は主を賛美してこの歌をうたった。主に向かってわたしは歌おう。主は大いなる威光を現し/馬と乗り手を海に投げ込まれた。

 15:2 主はわたしの力、わたしの歌/主はわたしの救いとなってくださった。この方こそわたしの神。わたしは彼をたたえる。わたしの父の神、わたしは彼をあがめる。

 

みなさん。祈りと讃美はセットです。

主に向かって嘆きの祈る人は、嘆きは嘆きで終わりません。

主が救いの手を差し伸べ、主を賛美する時、賛美する日が訪れます。

 

週報に先週の水曜日の御言葉メールを掲載しています。

イエス様が十字架の上で叫ばれた言葉を黙想し、その内容が今日の結論になります。

 

15:34 三時にイエスは大声で叫ばれた。「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。

 

この叫びは、ダビデの叫び(詩編22編)と言われています。

ダビデは、この後、こう告白しています。

「助けを求めてあなたに叫び、救い出され、あなたに依り頼んで、裏切られたことはない」(22:6)「主は貧しい人の苦しみを決して侮らず、さげすまれません。助けを求める叫びを聞いてくださいます」(22:25)。と。

神に見捨てられたかのように思える時があります。

しかし、主はあなたと共にいて、あなたを決して見捨てません。

大切なことは、その時、主に叫び、祈ることです。

主は良い羊飼いのように、あなたの叫びを聞き分け、救いの手を伸ばし、助け出してくださるお方です。

詩編22編の後、有名な23編が続きます。

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない」(23:1)。

「死の陰の谷を行くときも、わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる」(23:4)。

「命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家に帰り、生涯、そこにとどまるであろう」(23:6)。

主と共に歩む人生は、雨のちハレルヤであり、約束の虹を見る時が訪れます。

暗闇(十字架)ののちには、夜明け(復活)が到来し、主の約束が成就するのです。

主に叫び、救い主の到来を待ち望む人は幸いです。

 

昨年、KBIを覚える日に、李先生が来られ、雲が雨に満ちるという讃美を紹介されていました。

この曲を作られた能城先生が賛美している動画がありました。

懐かしい讃美ですが、お聞きください。

 

雲が雨で満ちると 地に雨が降るように 

賛美が満ちると 主がそこに住まわれる 

雲が雨で満ちると 地に雨が降るように

祈りが満ちると 主の御業があらわれる

ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ ハレルヤ

 

雲が雨で満ちると 地に雨が降るように

感謝が満ちると 主の平安がおとずれる 

雲が雨で満ちると 地に雨が降るように

主の血潮仰ぐと 癒しの雨が降り注ぐ

 

今、受難節を過ごしています。十字架の血潮を仰ぎ、主に祈りましょう。

この教会に讃美と祈りと感謝が満ち溢れますように。

主の御業があらわれ、主の平安と癒しがありますように。

御名によって祝福します。

お祈りいたします。