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6.その他、諸家への影響

そのほか源親行(?-1226)の原著に、その子聖覚(1176-1235)孫行阿が加筆した源氏物語の註釈書、原中最秘抄にも、五行大義の名が見え、素寂(親行の弟、孝行、又は保行とも云われる)の紫明抄(内閣文書本)第二に「五行大義云、以男為剛、以女為柔、女平堤之礼」の文が見える。

原中最秘抄中には「永範云」として、永範の説がしばしば記されている。

この永範は、天文鈔本五行大義巻一の奥書に「摂津守藤原尹範本」とある尹範の祖父に当る。

これから考えると、原中最秘抄、紫明抄の作者は、この藤原家本に拠ったと思われる。

それはさておき源氏物語の註釈書に、五行大義が用いられていたことは、源氏物語に五行説が影響していたことを示すものであろう。

 

また典薬権助惟宗時俊が、周興之の千字文に倣い、医学を志す初心者のために撰した医家千字文註(永仁元年・1293)にも、「将軍靡謀、士卒弗安」の項に、第十四論雑配、四論蔵府の文が、「坎玄主翼、兌昊当梁」の項に、第三論数、五論九宮数の文が、「建一合北、倶二巡南」の項に、第三論数、二論五行及生成数の文が、それぞれ引用されている。

医家が五行大義を重んじていることは、田沢忠舒が「医家奇賞」を編し、その最も主要な部分に巻五、「論人配五行」の殆んど全篇を収めていることに拠っても明らかである。