こんにちはバルコアです。

 

以上何れも五行大義に拠って安倍泰親は、護国寺より本宮に御躰を渡すべきであると占し、安倍広賢、賀茂在憲は、新像を造立すべきと論じている。

このように両者ともに、五行大義を主要な拠り所としていることは、当時五行大義が特別な意味を持って重んぜられ、両家の勘文の有力な典拠となっていたことを示している。

それは前述の玉葉中の安倍晴光の記事や天文鈔本奥書に記された「安家正説」「安家秘本」または「泰弘(安倍)」「安倍泰忠」などの文字に拠っても明らかである。

 

降って南北朝、室町期になると、賀茂在方(?ー1444)の暦林問答集、賀茂在盛(1412ー1479)の吉日考秘伝(一名日法雑書)など、江戸に入ると安倍長親著、泰邦注の建天全書、安倍泰重の陰陽略書(慶長十八年写書陵部蔵)などに影響を及ぼしている。