こんにちはバルコアです。
身体の強姦・言葉による気の強姦
性的な関係では、「互いを尊重」しようとする力がいとも簡単につぶされてしまうことがよくある。
それは性のエネルギーが、恐れや節操のない欲望に支配されることがとても多いからだ。
男性は性的能力や男らしさが足りないという恐れを抱かされる一方、ほとんどの文化では、一定の「成熟度」に達するまでは若い男性が性的に無節操でいることを許している。
ある時点で、性的に責任ある行動をする意識のスイッチが自動的に入るとでも思われているかのようだ。
若い男が落ち着くまでは「種をまく」時期が必要だとされ、みだりにセックスを求める男が、自分の行動を非難されたり、きちんと釈明する責任を免れるようになっている。
結局は、生物的な欲求が彼らを支配しているのである。
しかし、女性のほうは、もう30年以上にもわたる女性解放運動があるにもかかわらず、まだそこまで自分の性の本質を探究していいという許しをもらっていない。
男性が楽しみのライセンスを堪能しているというのに、女性はいまだ節度をもって行動することを求められ、性的なエネルギーを抑制することが期待されている。
ワークショップに参加していたある女性は、おしゃれをして友だちと出かけようとすると、自分は「いやらしい」のだと母親に感じさせられたと語った。
母が暗にほのめかしていたセクシャルなニュアンスは、男性に注目されることは売春と同じだと感じさせたのだ。
彼女の気持ちに土足で踏み込むようなこの母親の態度は、彼女の気に対する侵害なのである。