んにちはバルコアです。

 

放にしても覚醒にしても、いつも私が考えてたのは、例のハムステッドで起こったように思えたようなことが起こったあかつきには、外に飛び出してほかの人たちに教えたくて仕方なくなるだろうってことです。

私は話し好きだし、いろんなことに熱中するたちなので、「これがどういうことかを人に説明すのに私はすごく適任だわ」って思ってたんです。

ところが、私には覚醒と解放の違いもよくわかりません。

これが何なのか、それが何であったとしても、まともな呼び名も浮かびません。

言葉を借りてこないといけないわけです。

私に話せるのは、「何かが完全に消えて、ずっとここにあったものはまだここにあり、すべてが変わってしまったけれど、すべてが同じままで、そしてこの瞬間・・・」、そして彼女の声はしだいに小さくなり消えてしまうのであった、っていう感じです。

 

がこの「K性」を経験するってことはありません。

それは、経験できるような私がいないからです。

もしそうでないとしたら、自分自身を目撃するというプロセスにあるだけなんです。

そういうプロセスは役には立ちます。

気持ちを落ち着けたいとか、幸せじゃないから幸せになりたいと思ってたりするならですけど。

でも私が自分を目撃してるってことじゃないんです。

目撃してる何かがあるのかもしれませんけど、それもすべてひとつのものの一部で、そこだけ切り離すのは無理です。

目撃で言うと、まるでそこに分離があるみたいに聞こえますけど、実際には分離はないんです。

これはけっこう上手な表現じゃないかしらね。