これは名久井農業高校の制服のボタン。
自分が着ていないので気にしていませんでしたが
よく見ると名農だけのオリジナルの図柄です。
現在のブレザーになる前は、詰襟の学生服でしたが
やはりボタンはオリジナル。よく農高という文字が
エンボス加工された金色のボタンを失くした生徒が
職員室に買いに来たものです。確かオリジナルだけあって
決して安いものではなかったと記憶しています。
さてこのボタンには「since 1944」と刻まれています。
もちろんこれは1944年、昭和19年に創立したという意味です。
では昭和19年とはどんな年だったのでしょう。
実は終戦の前の年。形勢が不利になった日本が
神風特攻隊を初めて出撃させた年です。
こんなたいへんな時代に作られたのには理由があります。
それは食糧増産。農村とはいえ、食べ物が乏しくなってきた地域のために
この地域が組合立として作った農業学校なのです。
しかし開校して1年後には戦艦大和が沈没。
東京はもちろん、青森市も空襲を受け、その数ヶ月後には終戦となりました。
終戦は1945年8月15日。2日後の17日には
八戸空襲が予告されていたといいますから、ぞっとします。
今でこそ緑豊かな学校ですが、当時のことを想像すると
決して穏やかな学校生活ではなかったと思われます。
たまにはボタンを使ってこんな不幸なできごとを
みんなで考えて見るのもいいかもしれません。