タイトルに書いた、新井健二、深沢仁博は、ともにアルビレックス新潟にかつて在籍していたプレーヤーです。
アルビがJリーグ1部に昇格してからサポーターになった人には、?な名前でしょう。
実は吾輩も新井については、二次元情報でしか知らない選手です。
新井のポジションはDF。
中村俊輔と同い年。
03年シーズンまで在籍してたけど、02年と03年は殆ど出番なし。
主に活躍したのは、01年シーズンのみです。
吾輩が、関東圏のスタジアムに足を運んで応援するようになったのは、2002年からなので、頻繁にゲームに出ていた01年のゲームパフォーマンスは、全く目にしていないんですよ。
でもベンチ入りしている新井の姿を見たことはあります。
これが彼のアルビでの戦績です。
2001年―リーグ戦20試合出場/ナビスコ杯2試合出場/天皇杯2試合出場
2002年―リーグ戦2試合出場/天皇杯1試合出場
2003年―リーグ戦4試合出場/天皇杯1試合出場
新井は、04年より、シンガポールリーグ(Sリーグ)のアルビレックスSに移籍。
そして06年シーズンからは、同じSリーグの「シンガポール・アームド・フォーシズFC」に完全移籍しました。
「シンガポール・アームド~」というのは、英語表記すると
「Singapore Armed Forces FC」
『armed』の『forces』ってことは、つまり、軍隊ってこと。
そう、新井は、シンガポール国軍が所有するチームに移籍したんですな。
日本人の感覚では理解し難いかもしれんけど、各国の正規軍には、大抵、サッカーチームというのが存在し、その国のトップリーグに参加しているなんてことも、ザラです。
また、各部隊毎にサッカーチームがあり、軍隊内でリーグ戦を実施している国もあります。
ちなみに、これはサッカー限定の話じゃありません。
それこそ、学校の部活動と一緒で、軍隊には様々なスポーツクラブがあります。
そして、自衛隊にも基地単位でサッカー部があり、、都道府県リーグや地域リーグなどに参加しているんですよ。
話が逸れたので、元に戻します。
新井は、今季より、Sリーグの軍隊チームに移籍したんだけど、先月25日に時事通信が、彼の事を記事にしたんですよ。
ネット配信されていないので、ここに文章を書き起こします。
[世界のサッカー界ではマイナーなシンガポールリーグで、地元チームの外国人枠に入り、サッカー人生に懸ける日本人選手の活躍が目立っている。
現在、4人がそれぞれシンガポールのチームに所属。
DF新井健二(28)もその一人だ。
「シーズン中、大ケガをしたらその時点で首ですから。
日本にいたときに比べ、厳しさが違う」。
新井は、シンガポールのプロリーグに参戦しているアルビレックス新潟Sで、キャプテンとして2シーズンを務め、今季から軍隊のアームドフォーシズFCに移籍した。
食事などの生活面から、待遇面を含め、日本にはない厳しさを日々感じている。
新井にはJ2のチームなどからオファーもあったというが、
「日本では性格的に甘えてしまう。
自分をより厳しい環境に置くことで、人生にプラスになると思う」
と、シンガポールのチームを選択。
他の地元チームで活躍する日本人選手3人も新潟Sからの移籍組だ。
新井のチームは現在、11チームの中で独走状態。
優勝は時間の問題だ。
失点も全チーム中最少で、
「チームに貢献できている」
との自負もある。
「(マイナーでも)外国人枠に入っているというやり甲斐が支え。
契約はもう1年残っており、その後は日本ではなく、もう一段上のオーストラリアを狙う」
と夢は大きい]
新井とほぼ同時期、つまりJ2時代に、深澤仁博というFWがアルビに在籍しました。
あ、彼の事をご存知ない方、名前の読み方は<フカザワ マサヒロ>ですんで。
2000年に、横浜Fマリノスから移籍し、2004年まで在籍しました。
うちの船越とタメ年です。
これが彼のアルビに残した足跡です。
2000年―リーグ戦出場13試合・1得点
2001年―リーグ戦出場41試合・1得点
2002年―リーグ戦出場39試合・3得点
2003年―リーグ戦出場41試合・1得点
2004年―リーグ戦出場7試合・1得点
新井と異なり、吾輩は深澤のプレーをこの両眼で見ています。
その深澤も、16日に記事になっていました。
スポーツニッポン新聞では、ただ今、「Jリーグ発足15年 100年計画序章」という連載記事が掲載中なんだけど、そこで、深澤のことを題材にしているんです。
これもネット配信記事じゃないので、ここで紹介させてもらいます。
[Jリーグ効果のひとつに国際的な選手が生まれたことがある。
中村俊輔ら日本代表クラスだけでなく、世界各国で日本人が活躍している。
04年オフに新潟から戦力外通告を受けた深澤仁博(29)は、米国USL(ユナイテッドサッカーリーグ)のモントリオール・インパクト(カナダ)に入団した。
USLは米国MLS(メジャーリーグ・サッカー)とは別組織で実力的には下部に位置する。
レギュラーリーグ28試合、上位6チームがプレーオフに進出し優勝チームを決める。
モントリオールは今季レギュラーリーグで1位になったが、プレーオフ準決勝で、優勝したバンクーバーに敗れた。
深澤は右MFとして23試合に出場、得点はなかったが、レギュラーとして2年目のシーズンを終えた。
「レベルは低くないがサッカーが違う。
テクニックや戦術は日本の方が上だが、個人能力は米国の方が上」。
米国はロングボール主体だが、日本やこれまで行った国とは違うサッカーに新鮮な驚きを感じ、深澤の財産になった。
静岡学園ではレギュラーではなかった。
Jクラブから誘いはなかったが、高校選手権でスーパーサブとして活躍したのが目に留まって横浜に入団した強運の持ち主。
世界志向になったきっかけは、横浜1年目にスポニチ・Jリーグ留学制度で10ヶ月間、アルゼンチンのリバープレートへ行ったことだった。
トップチームには元ウルグアイ代表MFフランチェスコリやアルゼンチン代表MFアイマールがいた。
「アルゼンチン留学がなかったらこうして海外でやることはなかった」
99年にはスペインのテネリフェに行った。
00年途中から新潟へ。
ここでは反町監督から戦術の面白さを叩き込まれた。
「代表に選ばれたこともないけどいろいろな国でいろいろな人に会っていろいろ経験できたことは幸せサッカーはどこでもできるんです」。
来年はまた、別の国で夢の続きを探す。]
新井は来季もSリーグで、その後は豪州リーグを目指す意向を持ち、深澤はカナダから別チームへの移籍を目指しているという。
2人以外にも、世界各地で奮闘している選手は多いです。
いつの日か、FIFAクラブワールドカップ(TM)に出場する、アフリカや北中米、アジアのクラブのメンバーに、彼らのような日本人プレーヤーが名前を連ねて凱旋帰国する事があるかもしれません。
そういう日が来ることを祈っています。
アルビがJリーグ1部に昇格してからサポーターになった人には、?な名前でしょう。
実は吾輩も新井については、二次元情報でしか知らない選手です。
新井のポジションはDF。
中村俊輔と同い年。
03年シーズンまで在籍してたけど、02年と03年は殆ど出番なし。
主に活躍したのは、01年シーズンのみです。
吾輩が、関東圏のスタジアムに足を運んで応援するようになったのは、2002年からなので、頻繁にゲームに出ていた01年のゲームパフォーマンスは、全く目にしていないんですよ。
でもベンチ入りしている新井の姿を見たことはあります。
これが彼のアルビでの戦績です。
2001年―リーグ戦20試合出場/ナビスコ杯2試合出場/天皇杯2試合出場
2002年―リーグ戦2試合出場/天皇杯1試合出場
2003年―リーグ戦4試合出場/天皇杯1試合出場
新井は、04年より、シンガポールリーグ(Sリーグ)のアルビレックスSに移籍。
そして06年シーズンからは、同じSリーグの「シンガポール・アームド・フォーシズFC」に完全移籍しました。
「シンガポール・アームド~」というのは、英語表記すると
「Singapore Armed Forces FC」
『armed』の『forces』ってことは、つまり、軍隊ってこと。
そう、新井は、シンガポール国軍が所有するチームに移籍したんですな。
日本人の感覚では理解し難いかもしれんけど、各国の正規軍には、大抵、サッカーチームというのが存在し、その国のトップリーグに参加しているなんてことも、ザラです。
また、各部隊毎にサッカーチームがあり、軍隊内でリーグ戦を実施している国もあります。
ちなみに、これはサッカー限定の話じゃありません。
それこそ、学校の部活動と一緒で、軍隊には様々なスポーツクラブがあります。
そして、自衛隊にも基地単位でサッカー部があり、、都道府県リーグや地域リーグなどに参加しているんですよ。
話が逸れたので、元に戻します。
新井は、今季より、Sリーグの軍隊チームに移籍したんだけど、先月25日に時事通信が、彼の事を記事にしたんですよ。
ネット配信されていないので、ここに文章を書き起こします。
[世界のサッカー界ではマイナーなシンガポールリーグで、地元チームの外国人枠に入り、サッカー人生に懸ける日本人選手の活躍が目立っている。
現在、4人がそれぞれシンガポールのチームに所属。
DF新井健二(28)もその一人だ。
「シーズン中、大ケガをしたらその時点で首ですから。
日本にいたときに比べ、厳しさが違う」。
新井は、シンガポールのプロリーグに参戦しているアルビレックス新潟Sで、キャプテンとして2シーズンを務め、今季から軍隊のアームドフォーシズFCに移籍した。
食事などの生活面から、待遇面を含め、日本にはない厳しさを日々感じている。
新井にはJ2のチームなどからオファーもあったというが、
「日本では性格的に甘えてしまう。
自分をより厳しい環境に置くことで、人生にプラスになると思う」
と、シンガポールのチームを選択。
他の地元チームで活躍する日本人選手3人も新潟Sからの移籍組だ。
新井のチームは現在、11チームの中で独走状態。
優勝は時間の問題だ。
失点も全チーム中最少で、
「チームに貢献できている」
との自負もある。
「(マイナーでも)外国人枠に入っているというやり甲斐が支え。
契約はもう1年残っており、その後は日本ではなく、もう一段上のオーストラリアを狙う」
と夢は大きい]
新井とほぼ同時期、つまりJ2時代に、深澤仁博というFWがアルビに在籍しました。
あ、彼の事をご存知ない方、名前の読み方は<フカザワ マサヒロ>ですんで。
2000年に、横浜Fマリノスから移籍し、2004年まで在籍しました。
うちの船越とタメ年です。
これが彼のアルビに残した足跡です。
2000年―リーグ戦出場13試合・1得点
2001年―リーグ戦出場41試合・1得点
2002年―リーグ戦出場39試合・3得点
2003年―リーグ戦出場41試合・1得点
2004年―リーグ戦出場7試合・1得点
新井と異なり、吾輩は深澤のプレーをこの両眼で見ています。
その深澤も、16日に記事になっていました。
スポーツニッポン新聞では、ただ今、「Jリーグ発足15年 100年計画序章」という連載記事が掲載中なんだけど、そこで、深澤のことを題材にしているんです。
これもネット配信記事じゃないので、ここで紹介させてもらいます。
[Jリーグ効果のひとつに国際的な選手が生まれたことがある。
中村俊輔ら日本代表クラスだけでなく、世界各国で日本人が活躍している。
04年オフに新潟から戦力外通告を受けた深澤仁博(29)は、米国USL(ユナイテッドサッカーリーグ)のモントリオール・インパクト(カナダ)に入団した。
USLは米国MLS(メジャーリーグ・サッカー)とは別組織で実力的には下部に位置する。
レギュラーリーグ28試合、上位6チームがプレーオフに進出し優勝チームを決める。
モントリオールは今季レギュラーリーグで1位になったが、プレーオフ準決勝で、優勝したバンクーバーに敗れた。
深澤は右MFとして23試合に出場、得点はなかったが、レギュラーとして2年目のシーズンを終えた。
「レベルは低くないがサッカーが違う。
テクニックや戦術は日本の方が上だが、個人能力は米国の方が上」。
米国はロングボール主体だが、日本やこれまで行った国とは違うサッカーに新鮮な驚きを感じ、深澤の財産になった。
静岡学園ではレギュラーではなかった。
Jクラブから誘いはなかったが、高校選手権でスーパーサブとして活躍したのが目に留まって横浜に入団した強運の持ち主。
世界志向になったきっかけは、横浜1年目にスポニチ・Jリーグ留学制度で10ヶ月間、アルゼンチンのリバープレートへ行ったことだった。
トップチームには元ウルグアイ代表MFフランチェスコリやアルゼンチン代表MFアイマールがいた。
「アルゼンチン留学がなかったらこうして海外でやることはなかった」
99年にはスペインのテネリフェに行った。
00年途中から新潟へ。
ここでは反町監督から戦術の面白さを叩き込まれた。
「代表に選ばれたこともないけどいろいろな国でいろいろな人に会っていろいろ経験できたことは幸せサッカーはどこでもできるんです」。
来年はまた、別の国で夢の続きを探す。]
新井は来季もSリーグで、その後は豪州リーグを目指す意向を持ち、深澤はカナダから別チームへの移籍を目指しているという。
2人以外にも、世界各地で奮闘している選手は多いです。
いつの日か、FIFAクラブワールドカップ(TM)に出場する、アフリカや北中米、アジアのクラブのメンバーに、彼らのような日本人プレーヤーが名前を連ねて凱旋帰国する事があるかもしれません。
そういう日が来ることを祈っています。