そんな時は、自分自身の心身を検証する為の内省をしたり、これまでの自分の行為、行動、発言や態度の間違い、などを洗い出し、調査し、勘違いや感性、感覚のズレを発見して、自分の生活態度を改めることに気をつけてます。
誰もが
脳が観せる光景の錯覚とは、
光悦したりなどを含めて例外も漏れもなくすべてが錯覚、幻覚である真実を腑に落とせるまで、、あれやこれやと解釈を変えたり、事実を捻じ曲げようとします。
私は、光悦にハマって自己陶酔したり、自分が真理を知ったと錯覚したり、愚かなる魔鏡に心酔した方々を沢山、見てきました。
私にとって、霊界(偶像)などの現実逃避した世界に依存し、自己正当化を繰り返すことは、非常に残念なことです。
真理の実践とは、どちらさまにとっても唯一正しい修行、正法とは、自分の良心(叡智)から自分の性質の善悪を知り、悪い態度を発見したら、善い態度、行動へと正すことへの連続した実践であることが基本です。
本当の自由度が試されます。
自立への道程、過程では、霊感や霊能、悟りや異能力を全く必要としませんし、開発などもしません。なんの意味もないし、むしろ精神障壁です。
引き寄せや、思考の実現化などの魔導、魔術ですら必要としません。
単純明解に、
心の在り方と生き方を柔軟に正し、人々と和解(正しい解脱)し、家族と社会を明るくし、人々と共に助け合い、分かち合うことが出来る人間同士の霊性を生命進化、精神進化させる方向、方法確認し、、
お互いさまに心と魂を成長発達させてゆく具体的な実践、その方法を明らかにしてゆく行動です。
物質的な
満足だから幸福。
不足だから不幸。
ですらなく、
モノが増えた時には神を称え、モノが減ったら神なんか存在するもんか!などのモノへの信仰(態度)ですらなく、、
日々の自分の態度、行為が幸福と不幸などの人生の受け取り方を分けている事実を認知し、
大生命の叡智と自分の心を照らし合わせ、、一致、合致させる精進を継続し、、
良心から自分を素直に見て、行為、行動し、認知、確認、認識する日々の実践なのだと知っていただけたら良いと思います。
良心(智慧)に似せて自分を変化、進化、成長へと導く行動が生命の具体的な実践です。