ドキュメンタリー番組でよくある再現VTRだが、どれ程の再現度なのかと時たま考える。
まぁほとんどが脚色されてたり、何かしらの製作者の主観だったりなんだりが入ってたりで基本的には忠実には再現されてないことがほとんどだろう。

それはカクテルにおいても同じことなのではないかと。

今年の春、桜が散った後に送り出した人がいる。
送るのも送られんのもごめんだが、如何せん早すぎた。
追いかける対象が一人居なくなる、それも超えたわけでもなんでもなく。

必死になって再現しようと追いかけているあの味も、あの物静かな会話の中にあった愛嬌のあるキャラクターも。
聞きたいことなんざ山ほどあったのに。

こんな時に思い出したセンテンスは「さよならの語源」だったりする。

-左様ならば、仕方ない。

どれだけもがいても再現できる保証はどこにもない。
もしいつの日か再現できたとしたら、その時には既に自分のものになっている気がする。

それが師匠への手向けになるなら。
そう願うばかりである。

まだまだ道半ば、再現の前にやることは山積しているから。